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私が東京を捨てたのか。それとも、私が東京に捨てられたのか

かれこれ約20年住んだ東京は、本当に楽しく魅力的な街でした。

私が初めて東京を訪れたのは、20歳を過ぎた頃。
10代の頃の私は日本よりも海外に興味があり、東京に行くくらいなら海外に行きたいと思い、東京にはなんの魅力も感じていませんでした。

私は、コギャル世代の少し下くらいです。
コギャル全盛期の頃に中学生だった感じかと思います。
中学生で小室ファミリーを聴き始めて、安室ちゃんやあゆを聴いて青春を過ごした世代。
渋谷109でカリスマ店員がどんどん生まれていた頃ですね。

渋谷センター街のその盛り上がりはもちろんテレビなどを通して知っていましたが、私が住んでいた地方都市までは、その熱気は伝わってきませんでした。

もちろんルーズソックスは履くし、ソックタッチも常備。放課後にはプリクラを撮ってプリ帳に貼るなどはしていましたが、日サロで真っ黒に焼いてアルバローザをきているような人を見かけたら、白い目でみる。そんな朴訥とした空気感が漂う環境でした。

そんな私が憧れたのは、渋谷のギャルではなく、洋画で見る海外の暮らしでした。

子供の頃から洋画はたくさん観ていた方だと思うので、さまざまな映画から影響を受けていますが、特に憧れを強めたのはきっと「ビバリーヒルズ高校白書」だと思います。

リッチ層が住むビバリーヒルズにある高校を舞台にした、華やかな学園・恋愛ドラマです。
ただ、華やかとは言ってもそこはアメリカ。銃や薬物、犯罪などの重いテーマも盛り込んできます。
でもメインはやはり恋愛で、美男美女が華やかな高校生活を送りながら同じグループ内でくっついたり別れたりを繰り返す様を描き、そこに強い憧れを抱いた人は多いはず。
もちろん、私もそうでした。

アメリカの高校生の、自由で自立して(いるように見えた)、オープンで華やかな生活に心底憧れていました。
その影響で、私が夢見たのは渋谷109ではなく華やかなアメリカンライフ。

だから、東京に行くくらいなら海外に行きたいと常々思っていたのです。

そんな私が初めて東京に行くことになったのは、当時付き合っていた彼のおかげです。
当時半同棲状態にあった2歳上の彼が、用事があり東京に行くことになったため、それについて行くことになったんです。

その時初めて訪れた東京で、私は東京に恋してしまったのです。

何があったというわけではありません。東京の熱気にのぼせてしまったのだと思います。
どこに行っても人が多くて、混雑しててうるさくて、ごちゃごちゃしてる。
その雰囲気が、たまらなく私を高揚させました。

そして「この街に住んでみたい」と思ったのです。

そこから東京に住み始めるまでに、そう時間はかからなかったように思います。
私は学校を卒業した後にフリーターのようなことをしており、東京に一緒に行った彼と完全に同棲していました。

ちなみにその彼もフリーターです。いや、フリーターではなくニートです。

今思うと本当に、あり得ないカップルだったなと思いますが…。
彼の実家が裕福で、小さい頃から厳しく躾けられた反動などもあり、高校生の頃から、親に買ってもらったマンションで一人暮らしをするという、ちょっと変わった環境で育った男性でした。

親のスネをかじり続ける男の、そのスネをかじる女。そんな最低な女が私でした。

そんなアホなカップルが「東京に住んでみたいよね」という軽いノリで、東京に住み始めました。

最初はホテルを点々として、次はウィークリーマンションをいくつか転々として、そしてついに部屋を借りました。

もちろん、全て彼の親御さんのお金です(本当にすみません…)。

多くの人は、進学や就職、転勤などで上京すると思いますが、私の場合はこのように本当に「ただ住んでみたいから」という理由で、なんのあても計画もなく上京しました。

結果20年も東京に住むことになるなんて当時の私はつゆほども考えていません。というか、本当に何も考えていません。

東京に住み初めて2年後くらいに、その彼とはお別れをしました。

そして私は東京で一人暮らしを始めました。彼と別れたタイミングで地元に帰るという選択肢もあったとは思いますが、私はまだ東京にいたかったのでしょう。

友達ゼロの状態から徐々に友達ができ、こんな私もじわじわと東京に根を張り始めました。
そして数年後に結婚して、転職を機に仕事でもプチブレイクを果たし、気づけば東京ど真ん中での暮らしを謳歌していました。

ひょんなことから早慶出身者の多い立派な会社に入り、重宝されるようになり、エリートと言われるような人たちと多く交流するようになると、自分の経歴のみすぼらしさを痛感する機会が増えました。

大学受験を真剣に考えたことなんてなくて、センター試験ももちろん受けていません。だから、早慶に入るのがどれほど大変なのか、その実感が持てないのです。ですから、みんながどれくらい努力したのかがよくわかりませんが、単純に「頑張ってきた人たちなんだな、すごいな」という尊敬の念は持っています。

でも、勉強ができるのと仕事ができるのは全くの別物ですよね。
立派な大学を出ていても仕事で輝けるとは限らないんだなーと実感する場面もありました。だから、いわゆる学歴コンプレックスというものとは無縁です(ただの能天気かもしれませんが)。

ただ、そういう一流大学を出ている人は、当然ですが、一流企業で働いている友達がたくさんいるんですよね。

一流企業の中の人とのコネや繋がりが圧倒的に多い。私には皆無のそれが、とても眩しく見え、これまでの人生の積み重ねの結果をひしひしと痛感させられました。

同じ会社で同じような仕事をして同じような生活をしているのに、見てる景色は全然違っていて東京との関わり方、東京への根の張り方も、大きく違っているんだと思えたからです。

加えて感じるのは、東京出身者・関東出身者とそれ以外の地方出身者の、無意識の心持ちにも大きな違いがあるように思いました。

東京や関東出身の人が東京に住んでいることって、わりと「普通のこと」なんですよね。

地方でも、よりよい学びの場やよりよい仕事を求めて、その地方で一番発展している場所にいくのは、普通のこと。
東京や関東の人にとって、それが東京だから東京に住むというのは、ごく自然なこと。

東京にいるための「理由」がいらないんですよね。

でも、関東以外の地方出身者が東京にい続けるためには明確な「理由」が必要なんだと思います。
仕事があるから、結婚して家族ができたから、という至極真っ当な理由以外にも、地元に帰りたくない、地元に帰っても仕事がないなどちょっとネガティブな内容でも、それは立派な理由になります。

そして私には、その「理由」がなくなってしまいました。

私にとっての「理由」は結婚生活と仕事でした。でも、結婚生活が終わり、仕事でもちょっとした変化があり、東京にい続けるための理由にはならなくなってしまいました。

20歳で東京に恋した私は、ずっとずっと東京のことが大好きでした。東京という街も、そこに集まる人たちも本当に魅力的で飽きることなんてなかった。

けれど、東京は大好きだけど、もう昔のような情熱はなくなっていました。

そう、地元に戻ろうと決めた時、私は東京を捨てた気でいました。

私から別れを切り出したんだ。
私からサヨナラを言ったんだ、と。

「東京のことは大好きだけど、あなたとの時間は存分に楽しませてもらったわ。次は新しいステージで頑張るから。サヨナラ」

なんてノリで東京を去るつもりになっていたけど、でも本当は私が東京を捨てたんじゃなくて、私が東京に捨てられたのかなとも思えてくるんです。

「理由」を見失ってしまった地方出身者の私は、東京に捨てられたのかもしれないなって。

そんな中途半端な気持ちの奴に東京にいる資格はないと、バツ印をつけられたのかもしれません。

今の私に、東京はもう眩しすぎます。

そんな今日も上京している人がいて、麻布台ヒルズも完成に向けて着々と進んでいます。
進化を止めない東京。

誰でも受け入れてくれるけど、きちんと振るいにもかける。
それが東京という街の寛容さと残酷さなのかなと思えるんです。


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