僕はしめじを好きになれない

しめじ

しめじ。昔から”香りは松茸、味しめじ”と言われるほど美味とされているきのこ。そして、日本人が最も慣れ親しんでいるきのこと言ってもいいのかもしれない。例に漏れず僕も人生で一番食べているきのこ。でも僕はしめじが好きだと思ったことは一度もない。小さい頃からずっと好きではない。嫌いとまでは言わないけど進んで端をのばしたいとは全く思わない。なぜしめじが好きではないのか自分なりに少し考えてみた。


口の中での主張が強い

きのこ全般に言えることだけど、きのこにはそれぞれ独特の香りがある。しいたけもエリンギも舞茸も。そして食感の個性も強い。しいたけはぐにょぐにょした感じだしエリンギはキュリキュリしている。そしてしめじにもしめじ特有の香りとキニュキニュとした強い食感がある。この香りも食感も僕は好きじゃない。歯を弾き返してくるこの感じが気に食わない。長年きのこを牽引してきたことによって培われてしまった古臭いプライドを感じる。まるできのこであることが正解であると言うような高慢さが見える。俺がきのこを背負ってきたんだと言わんばかりの勢いで口の中で大暴れする。協調性をあまり感じられない。主役の食材に張り合う必要がないのにしめじはいつも自分をアピールしてくる。だから僕はしめじを好きになれない。


なぜあんなにも主張の強いのか?

なぜしめじはアピールをしなくてもいいところでアピールしてしまうのか。その理由について考えてみた。しめじを噛み締めてみるとふと高校時代の自分を思い出した。高校3年間、僕は彼女ができたことがなかった。本当はめちゃくちゃ彼女という存在に憧れていた。でも男友達で冗談を言い合って笑っているのが高校時代の僕にとっての正解の”おおたたすく”だった。そして彼女がいる友達を少しからかって笑っいるのが正解の"おおたたすく"だった。本当は女の子とすごくイチャイチャしてみたかった。手とか繋いでみたかったし。部活後に友達とのご飯を断ってチーノでプリクラ撮ってみたりしたかった。はっちやモスで一緒に勉強してみたかった。でも僕はそれを自虐も含めて嘲笑していた。自分は性格が悪いなと思う。ここで話はしめじに戻る。しめじは高校時代の僕だった。そしてあの強いアピールは自信のなさへの表れなのかもしれない。きのこという内輪の中では真ん中に立っていることへの満足感が得られる。でもしめじはそれだけでは満足できず、外側にも居場所を求めているのだ。高校時代、興味を引きたくて少し大きな声で冗談を言っていた僕みたいにしめじは口の中で他の食材を差し置いてキニュキニュと自分を主張する。あぁ、そういうことだったのか。やっと納得した。しめじは本当はすごく寂しい奴なのかもしれない。そして僕がしめじを好きになれない理由がわかった。同族嫌悪。かつての自分を見ているようで嫌気がさしてしまうのだ。


僕だからしめじに言えること

アドバイスをするのはあんまり好きじゃない。そしてしめじにとってはいらぬアドバイスかもしれない。でもしめじに伝えたい。きのこのこと、そんなに気負わなくていいんじゃないかな。そして、そんなに他人から見られてる自分を意識して演じようとしなくていいんじゃないかな。しめじとかきのことか一旦そういう括りは忘れて自分が思ったこととかやりたくなったことやってみたらいいと思う。そしたらもっと生きやすくなると思うよ。


改めてしめじを食べてみて

改めてしめじを食べてみた。しめじは相変わらずキニュキニュしていた。僕のアドバイスは届かなかったか...。でもしめじもいつかそう思う日が来ると思うよ。そしてやっぱり、僕はしめじを好きになれない。

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