「おしつけられた」基本的人権? 『万物の黎明』をめぐるエッセイ1
2024年の4月から始まった朝ドラ『虎に翼』の冒頭シーンは終戦直後の多摩川の河原でした。モンペ姿の女性が新聞で発表された日本国憲法、特に第十四条を読みながら、肩を震わせ泣いているのが印象的です。
日本国憲法が公布された1946年11月に、実際に女性がそれを読んで泣いたという証言や史実があるのかどうか私は知りません。そして、ドラマの中のモンペ姿の女性が泣いていたのは第十四条だけが要因では無いことが物語の進行とともに明らかにはなるのですが、それにしてもこの冒頭シーンは印象的であり、憲法第十四条は物語の中でドラマを貫くモチーフとして繰り返されます。
日本国憲法は「占領軍による押し付け憲法」として保守派から敵視され続けましたし、自由民主党は憲法改正を党是として唱え続けていました。一番の争点は第9条の交戦権の放棄でしたが、基本的人権の条項の数々も槍玉に挙げられています。
たとえば、自由民主党の憲法改正草案Q&A(https://storage2.jimin.jp/pdf/pamphlet/kenpou_qa.pdf)の中には
「人権規定も、我が国の歴史、文化、伝統を踏まえたものであることも必要だ と考えます。現行憲法の規定の中には、西欧の天賦人権説に基づいて規定されていると 思われるものが散見されることから、こうした規定は改める必要があると考えました」
という文言があり現行の日本国憲法の人権規定は「西欧の天賦人権説」に基づくものであり「我が国の歴史、文化、伝統」を踏まえたものではないとしています。それでは、その「我が国の歴史、文化、伝統」に基づく人権とはどんなものなのか、それは「西欧の天賦人権説」とどう違うのか、具体的な解説はなんだか良く分からない文章なのですが、それは置いておきます。私がここで書き留めておきたいのは、「押し付けられた憲法」の人権条項は自民党の憲法改正委員たちが考えるほどには、当時や今の日本社会は「押し付け」とは感じていなかったのではないか、むしろ素晴らしいものとして受け入れた人々もいたのではないか、それが『虎に翼』の冒頭シーンに象徴的に描かれたのではないかということなのです。
自民党の憲法改正委員および憲法改正派の人々は「押し付けられた」という事実を強調することで、現行憲法の不備を説得しようとしますが、もともと日本人の感覚の中にある「あってしかるべきもの」が押し付けられた憲法の中に表現されていたと考えても良いのでは無いか。(実際、人権概念は日本社会に根付いてしまい、現在の自民党改正草案でも基本的人権自体は否定されず、細かい難癖がつけられている程度です。)そんなことを考えたのはグレイバー&ウェングロー『万物の黎明』を読んだからに違いありません。
この本の中で繰り返されるのは、「人類はその初期の段階から、さまざまな社会体制を試行してはスクラップアンドビルドを繰り返し、権威主義的でヒエラルキーの強い社会と、平等主義的で(つまりヒエラルキーがなく)個々人が自由に振る舞える社会とを行ったり来たりしていた」という著者たちの歴史観です。人類の中には権威主義的な社会を受け入れる性向と、個々人が等しく自由な社会を求める性向とが両方あるというのです。
日本は一貫して、権威主義的な社会だったという歴史観は根強いですが(そして、そういう歴史観が自民党の憲法改正委員にも根強いようですが)、日本の農村にも「寄合」といった自治組織があり、全員が一致するまで論議を続けていました。宮本常一『忘れられた日本人』の中には、対馬のある農村でのそうした寄合が描写されています。宮本がその村に伝わる古文書を見せてもらおうとしたら、寄合で村民たちは延々と丸二日間話し合いを続けて「他所から来た研究者に見せる」という結論を得たというのです。
また、室町後期から戦国時代にかけては各地で自治都市が生まれましたし、国自体が自治化したところも生まれました。一向一揆などがその例ですし、山城の国一揆なども有名でしょう。天皇が住まう京都という町を抱える山城の国が自治国家(三十六人衆が統べる共和国)になっていたという意味を私たちはもっと考える必要があります。
もっとも、宮本常一が指摘しているように全ての日本の村落に平等主義的自治組織があった訳ではなく、村の長者が仕切る権威主義的な村落の伝統も日本には確としてありました。宮本は前者の村落は西日本に多く、後者は東日本に多かったと指摘していますが、ようするにそのどちらもが日本には存在し、時代と地域によって変遷していたのでしょう。
我々には、権威者に従って(あるいはおもねって)安寧を得ようとする傾向もあるし、お互いが自由に振る舞える社会を希求する傾向も持つ。そのことを認めた上で、どのような社会を作っていくのか、それを議論していこうというのが『万物の黎明』のメッセージなのだと私は考えています。
<エッセイ>
『万物の黎明』をめぐるエッセイ1 「おしつけられた?」基本的人権
(このページです)
<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最初の市民革命?『万物の黎明』ノート25
世界最古の公共住宅事業?『万物の黎明』ノート26
征服者コルテスと交渉する人々『万物の黎明』ノート27
国家の3要素『万物の黎明』ノート28
「国家」未満?(第1次レジーム)『万物の黎明』ノート29
エジプトにおける「国家」の誕生『万物の黎明』ノート30
肥沃な三日月地帯の高地と低地『万物の黎明』ノート31
第2次レジーム『万物の黎明』ノート32
行政官僚の起源『万物の黎明』ノート33
女性の文明『万物の黎明』ノート34
北米国家解体の歴史『万物の黎明』ノート35
王様ごっこから君主制へ、そして暴力『万物の黎明』ノート36
ローマ法は特殊な法体系である『万物の黎明』ノート37
支配権力は慈善に帰着する『万物の黎明』ノート38
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)