季節変動と王様ごっこ 『万物の黎明』ノート15
ひとつまえのノートで季節変動社会について書きましたが、本書でそれと並行して描かれるのが「王様ごっこ」です。
氷期(旧石器時代後期)の豪華な埋葬が色々と発見されるに及んで、その時代から階層制社会(あるいは不平等な社会)が出現していたと推定する歴史学者もいますが、著者たち(二人のデビットを略して、以下WDとします)はそこに留保を加えます。埋葬されている遺体の多くが先天性の形態異常(巨人だとか小人症)を示しているからです。骨の状態で異常がない場合でも例えばアルビノや精神的異常者だったのかもしれません。すると、世襲制の階層社会があったという考え、巨人とか小人症とかの世襲王権があったというような考え方は無理です。そもそも、氷期の豪奢な埋葬は場所的にも時間的にも離れて孤立して出現しており、連続性が認められません。
そもそも埋葬で特別扱いされたからといって、生前も特別扱いされたとは限らないのです。人間が埋葬されるということが異例だったこの時代、服を着せたまま埋葬するのは異例中の異例でしたし、その埋葬はマンモスの骨、木の板、石などの重量物で死者の身体を封じ込めているようにもみえるのです。豪奢な衣装によって死者を称えているようにも見えますが、潜在的な危険なようなものを封じこめているようにも見えるのです。異常な存在であるがゆえに、高貴であると同時に危険なものとして扱われる事例は民族誌的にも多く見られます。
さらに実権力を伴った、王のような存在が実際にあったとしても、それが永続的なものであったとは限らない、ということをブリテン島のストーンヘンジの例を引いて議論します。冬至と夏至にブリテン島から人々が集まって、ストーンヘンジの建設が行われ、家畜が集められて宴会が行われていた訳ですが、建材となる巨石と、宴会用のブタやウシなどの家畜は遠くから運ばれてきており、ブリテン島内でそれらを差配する権力が存在していたことは確かです。ストーンヘンジは現在、有力一族の祖先を祀るモニュメントという意見が有力視されていて、当然、その一族の権力が推測されます。しかし、王のような存在があったとしても、それは数ヶ月のことでしかありません。それ以外の時間、人々は分散して狩猟採集生活を送るのですから、王は自らの権力を放棄したと考えられます。
となると、その「王」は王権を行使したり、自覚的に放棄していたということになります。これはレヴィ=ストロースの描いたナンビクワラ族の自覚的政治意識と似てないかとWDはいうのです。ナンビクワラのリーダーは、狩の季節になると専制君主的に振る舞い、園耕の季節になると調整型の世話焼きタイプのリーダーになって、はっきりとその役割を切り替えていました。そして、そういう政治的な役割について十分に自覚的でした。ストーンヘンジで「王」として振る舞っていた人間にとっては、支配権は自然の摂理によって与えられたものというよりも、人間の介入の余地があるものとみなしていただろうとWDは言います。
また平原インディアンの「バッファロー警察」を紹介したローウィも、平原インディアンたちを「意識的な政治アクター」とみなし、権威主義的権力の危険性を鋭く認識していたとしています。彼らは国家を持たない人々だったが、国家がどういうものであるのかは十分に承知していたから権力が特定個人に継続して与えられることを避けたとするのです。(これは『国家に抗する社会』をとなえたピエール・クラストルに通底する考え方です。)
社会構造の季節的変動と政治的自由の間には結びつきがあり、季節変動する社会の中では人々は社会構造の枠組みを相対化して思考を巡らせる能力を得たはずだとWD断定しています。
こうした議論の中でWDが付け加えるのは、「社会の季節変動と政治的自己意識」は現代では弱まっているとはいえ、その可能性はごく弱い形で残ってはいるということです。たとえば、フランスではヴァカンスの時期に人々は一斉に仕事を離れて都市から脱出します。カーニヴァルの期間には、社会秩序は逆転します。あるいは厳粛な儀式が行われるとき、過去のヒエラルキー社会が模倣されます。それは大学の卒業式で皆が中世風の服を纏うことを考えてください。そこに一貫したパターンは存在しないのですが、そこには政治的自己意識の古くからの火種が保持されているのだとWDは言います。ブリテン島では多くの農民反乱がメイデイの祝日にはじまっていたことは示唆的です。
季節ごとの祝祭は季節変動社会の弱々しい残響なのかもしれないとWDは書きます。さらにそこから進めてWDは、最初の王は、カーニヴァルでの遊戯王(カーニヴァル・キング)だったのかもしれないという推論を提出します。その遊戯王が、のちに本物の王になったのだとするのです。さらに「現代は、ほとんどの王が遊戯王に戻っている」という皮肉も付け加え、今後も「王様ごっこをする人間は依然、絶えないであろう」とします。
「ごっこ遊び(遊戯)」はグレーバーの一連の著作の中で鍵となる概念で、グレーバーの中でおそらくは「自由」の問題に密接に関係しています。プレイヤーの合意のもとで「ごっこ遊び」は成立し、プレイヤーの意思でいつでも辞めることができるし、そもそも永続的に続けることを前提としていないのが「ごっこ遊び」なのです。だから、問題は「王様ごっこ(遊戯王)」ではなくて、それが本物の「王」になり、「ごっこ遊び」であることが忘れられてしまったことが問題なのだといいます。本書で繰り返される「閉塞した(行き詰まった)」社会がそこに出現します。
季節変動社会も「王様ごっこ」もその社会を構成する人々が、意識的に選び取ったものだということをWDは繰り返し強調します。イヌイットの季節変動社会について、それを報告したモースは、彼ら自身の選択だったとしています。似たような環境で生活する別の種族は、また別の生活様式をもっているからです。いったん始めた農耕を放棄して、ストーンヘンジを軸とする(おそらくは王を伴った)季節変動社会に移行したブリテン島の人々も、彼ら自身の自覚的決断だったとします。農耕を放棄するに至るような外部圧力があったという証拠がないのです。
最初に取り上げた氷期の「豪奢な埋葬」にしても、埋葬された人々が実際に王として扱われたのは、ほんの一期間だった、つまり遊戯王だった可能性があるとWDは指摘しています。
<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15(このページです)
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)