すべては「ごっこ遊び」 『万物の黎明』エッセイ2
たぶん、名前を出せば多くの人が知っている、あるいは映像を見せれば「見たことがある」と答えるであろう、有名な高校吹奏楽部がある。海外遠征もこなし、マーチングの全国大会で毎回好成績を収めて、Youtubeでも絶大な人気を誇る、とある実力校の話をしてみたい。
練習は激しく、平日は朝練、昼休み、放課後夜7時までの練習、土日祝日も一日中練習か、どこかで演奏活動(1年間に30回程度)を行って、休みは正月しかない。そして、体育会的な統制の中で上級生が下級生を容赦なく「しごく」。この高校吹奏楽部の場合は何度もTV番組の密着取材が入っていて、そのスパルタぶりが紹介もされている。鬼の形相で叱咤し、怒鳴り続ける上級生と泣きじゃくりながら「はいっ」と答え続ける下級生。さらに「泣いてる暇なんてあんの?」と容赦無く問い詰める上級生。生徒のプライバシー保護は大丈夫なのだろうかと心配になるようなTV映像が、いまもネットに残されている。同じテレビ番組では他校のスパルタ吹奏楽部も紹介されていて、あまりのストレスにメンタルをやられてコンテスト数日前に姿を消す部員もいるという状態が紹介されている。おそらくは吹奏楽の強豪校はどこも似たようなものなのであろう。
いま話題にしている吹奏楽部が他校と異なるのは、一般の人気が極めて高くて、前述のTV映像などが多く残されていること、そして1995年から2018年まで顧問を務めた先生が引退後に書いた著書や記事、出演したYoutube動画で数々の証言を残していることにある。それを拾って行きながら体育会的統制の問題を考えてみたいのである。
この先生を「T先生」としておこう。T先生が1995年にこの学校に赴任したときに仰天したのが、些細なことで下級生を怒鳴りつけて詰(なじ)り続ける上級生の姿を見たことだったらしい。その当時はそんな言葉はなかったろうがパワーハラスメントが堂々と行われていたのである。「えらいところに来てしまった」とT先生は思ったそうだ。女子校体育会系クラブ(今は共学だがその当時はまだ女子校だった)の指導の難しさをそこで感じ取ったT先生は、前任校でとっていた「生徒とフレンドリーに接する」という指導スタイルを止めてしまい、「生徒とは一線を画する」という指導スタイルに変更したという。
「一年生脱走事件」は着任数ヶ月後に起きた。一年生が上級生からのシゴキと言葉の暴力に耐えかねて合宿から集団脱走したというのである。脱走はしたものの、行き場に困った一年生たちはT先生らに訴える。一年生から詳細に実名入りで事情を聞き出した上で先生たちは、イジメのコアになった三年生たちを呼び出して話をする。そのときの三年生の対応が、いかにも関西の女子高生っぽいのである。ここからは、T先生の文章をそのまま引用しよう。
ここで描かれている状況を要約すれば、先生たちからの追及に対して「これは、さすがにヤバいところまで行っていたのか」ということを彼女たちが悟って、とっさに笑い話にすり替えて追及をかわしたということである。
上級生が下級生をシゴく「体育会体質」は「私もかつてはシゴかれて今がある」という上級生の理屈によって成り立つ。そして、放っておけばそれは年々エスカレートしていき、組織が疲弊する(あるいは崩壊する)ところまで行き着く。この吹奏楽部の場合は、合宿中の夜も一年生がかわるがわる呼び出されては三年生に集団で詰問され、それが明け方まで続くというものだった。それは一種のゲームと言えなくもない。ルールは「下級生の間我慢すれば、最終年度には1年間だけ権力を振るうことができる」というものだ。そうしたゲーム性が心のどこかに意識されているからこそ、大人たちから介入され、やりすぎを指摘されたときに、笑顔さえ浮かべてそれを認めることができるのである。
そして、このゲームを彼女たちは受け入れていて放棄はしないのだ。
だから、T先生はこの吹奏楽部の体育会的体質自体はそのままにした。部員たちが従わなければならない規則は年々増えて、ときたま「そんな規則、意味ないんとちゃうか」と総務に意見すると、一部は削除されるものの、その他は残って、翌年からはまた細かい規則が増えていく。今も、どうでもいいような規則はいっぱいあるらしい。しかし、生徒たちが決めて受け入れているルールである以上、指導者は口出しをしないというのが、T先生の指導論ということらしい。
なぜ、生徒たちは「ゲーム」の規則を変えようとしないのか。それが自ら選んで入ってきた名門吹奏楽部で演奏をするための条件だと生徒たちが理解しているからだろう。特に、この吹奏楽部は華やかなマーチングが有名で、その演奏を見て憧れて入ってきた生徒たちばかりだ。厳しい練習を耐え抜くことが、晴れやかな舞台に立てる条件であり、先輩からの罵倒に耐えることもそこに含まれるのである。
前述したようにT先生は生徒たちとフラットに付き合うことをやめて、普段は「総務」と呼ばれる部長や副部長、ドラムメジャーと呼ばれるマーチング指揮者だけとも話をして、ヒラ部員とは積極的に話をしないようにしたという。しかしそんなT先生でも、ときおり介入は行う。
T先生によれば、この話を「熱血リーダーのただの感動メッセージに終わらせない秘訣は、この1年生との対話を、ハブになってくれている3年生の総務やドラムメジャーといった役員たちと共有すること」なのだそうで、1年生がへばってくる時期を見計らって、総務を呼んで、「ちょいちょいちょい。あの話、そろそろタイムリーかな」と相談をもちかける。「あの話」と言っただけで役員たちは、自分たちも経験した「あれ」をT先生がやろうとしているのだと理解する。そして、
みたいな感じでスケジュール調整が始まる。そうやって総務たちに「私たちが先生を使って、1年の指導をしている」という感触を持たせる。自分は「総務に操られて感動話をするおもろいおっちゃん」と思ってもらえればそれでいい、というのである。
T先生の、こうした「指導メソッド」は他にも色々あるのだが、「話を盛っているな」と思わせる点も多々あるのでこれ以上は書かない。ただ、T先生の書いていることを長々と引用したのは彼が生徒に行う指導のゲーム性、そして上級生による下級生への指導のゲーム性をかなり客観視できている指導者だと考えたからである。
学校という場を舞台にして「先輩と後輩とのゲーム」に並行して「先生と生徒のゲーム」が進んでいる。T先生が吹奏楽部顧問としてやったことは「先生と生徒のゲーム」を極力抑え、「先輩と後輩とのゲーム」が最大限の結果(たとえばコンクールの上位入賞して目標達成感を得る)を産むように誘導することだったとは言えるのだろう。
多くの強豪マーチングバンドが、おおよそカリスマ的指導者の下で厳しい指導を受けていることを思えば、微妙なコントロールは受けてはいるものの、基本的に「先輩と後輩のゲーム」に運営が委ねられていた、この吹奏楽部が他の強豪校に伍して結果を残したのは、私たちに多くのことを示唆しているように思える。人はゲームを受け入れれば、辛いことも耐え忍ぶことができるし、結果を残すこともできる。ゲームならば、それは永遠には続かず、離脱の自由もあるし、ゲームする相手との信頼関係さえあれば耐えられる。
逆に、信頼関係が失われた時にゲームは地獄となる。ゲームからの離脱の自由さえ見失われるほどにメンタルは追い詰められる。だから多くの指導者は自分をカリスマ化させて信頼を繋ぎ止めようとするが、そのゲームの行き着く先は「偉大なる指導者」と「彼を信望する臣民たち」でしかない。学校を卒業すればゲームは終わるが、その体験が生徒たちに残す良い影響よりは、有害な影響の方が多いように私には思えるのだ。
自己のカリスマ化が自分の体質に合わないことを察知していたT先生は、「先生と生徒のゲーム」で担われていた機能の大半を「先輩と後輩のゲーム」に委ねるという道を選んだ。「先輩と後輩のゲーム」が病的状態に陥らないようにコントロールをかけながら、ではあるのだが。
パワーハラスメントという言葉が登場した頃、「俺たちの若い頃は年長者からの厳しい指導に耐えられたのに」みたいな声が年長者から出されたものである。「なぜ、今の若者は耐えられないのか?なぜ彼らは打たれ弱くなったのか?」というのだ。おうおうにしてその答えは「今の若いものは甘やかされて育てられたから」ではあるが、私には「ゲームからの離脱の自由が失われた」もしくは「ゲームからの離脱がいけないことなのだと思い込む人間が増えた」ことだと考える方が理に叶っているように思えるのである。
TVで紹介された別の吹奏楽部でメンタルをやられてコンクール直前に出てこなくなる部員の話は2010年前後の話である。おそらく、練習がきつくてとっとと辞めていた部員はこれより以前は多かったはずだ。T先生が着任当時(1995年)に遭遇した脱走事件のように、生徒たちはゲームからの離脱を図るべく、脱走したり、先生たちに泣きついていたのだ。たかが学校の部活である。辛ければ辞めれば良いのは自明だし、それが普通だった筈だ。
しかし、ある時点から我々は「逃げてはダメだ」と思い込むようになったのではないか。あるいは、自分たちが置かれた状況がゲームであるという認識が失われたのではないか。離脱できないゲーム、あるいはゲームと認識できなくなったゲームほど過酷なものはない。メンタルを病むまで自らを追い込み、果ては自殺に至るのである。
自殺に追いやった側は「まさか自殺するとは思わなかった」「そんなつもりはなかった」と口をそろえる。彼らは「指導者」だとか「上級生」をやっていただけ、つまりゲームのプレイヤーだっただけという自己認識しかないからである。
以上の話は人類学者デビット・グレーバー『ブルシットジョブ』を参照して書いている。グレーバーは"play"という言葉を使い、邦訳では「ごっこ遊び」という訳が与えられているのだが、それでは文章がしっくりこないのでここでは「ゲーム」という言葉を使ったことは了解いただきたい。T先生の話を引用しながら「ゲーム」と私が書いたのは、グレーバーがよく使っていた「ごっこ遊び」の概念を念頭に置いた上でのことである。
グレーバーが『ブルシットジョブ』で描いたのは、会社における「上司ごっこ」と「部下ごっこ」はときに嗜虐的な関係にもなるし、「部下ごっこ」している人間には離脱ができないから(会社を辞めたら生活が出来ないから)地獄のような関係になる、ということだった。SMプレイ(サド=マゾごっこ)では「離脱語」が定められており、M(被虐)側がその離脱語を口にすればプレイは中断される。たとえば、M側が「オレンジ」と口にすればS側(加虐側)は即座に加虐を止めるのである。しかし、「会社ごっこ」には離脱語が無い。だから職場は時として地獄になるとグレーバーは『ブルシットジョブ』の中で説いた。「オレンジ」という言葉は会社組織の中には定められていないのである。
グレーバーは更に『万物の黎明』という著作の中で、王も最初は祝祭時のカーニバル・キングのような「王様ごっこ」として始まり、やがてそれが「ごっこ」であることを止めてしまって(あるいは忘れさられて)、本物の「王」になったという説を展開している。おそらくは、「王さまごっこ」のプレイヤーが暴力によって(たとえば臣民を恣意的に殺すことで)本物の「王」になったのだろうというのである。当たり前の話だが、殺した人間は生き返らない。SMプレイのように「オレンジ」と唱えても、死んだ人間は死んだままなのである。ならば彼は本物の王として恣意的暴力をふるい続けるしか無い。
パワーハラスメントによって自殺者が出るようになったのは「今時の若者が甘やかされて育ち、打たれ弱くなった」からだとは私は考えない。むしろ彼らは真面目になってしまったゆえに「逃げられなくなった」のではないか。あるいは「ゲーム」であることを見失ったのでは無いか。そのように考えられるのである。
それと同様にグレーバーは今の社会が行き詰まっているのは、社会が「ごっこ遊び」として構成されていることを私たちが忘れてしまったからでは無いかと問いかける。アメリカの平原インディアンはバッファロー狩の季節にだけ「バッファロー警察」を組織し、狩に必要な集団統制を乱すものを逮捕、勾留、処罰(死刑を含む)する権限を彼らに与える。狩が終わればバッファロー警察は解散されて、部族は元の平等主義的な生活に戻る。バッファロー警察への指名は毎年連続しないように調整されており、特定個人に権力が集中しないように配慮される。いわば期間限定の「警察ごっこ」が行われているのだ。それは冒頭で紹介した吹奏楽部の「先輩ごっこ(ゲーム)」とまるっきり同じ構図である。
グレーバーの「ごっこ遊び」に相当する概念を、啓蒙思想家たちは「社会契約」という言葉で表現していた。社会は構成員たちの合意によって構成されているという考え方はフランス革命を導いたが、同時にジャコバン党独裁のような恐怖政治を生み出した。それは「契約」を盾に取った恫喝が始まったということである。「おまえたちは革命の大義に同意した筈なのだから、あれに従え、これに従え」と権力者たちが命令を下しはじめ、それがエスカレートしていったのだ。グレーバーは「契約」とはせずに「ごっこ遊び」とすることで、そこから離脱する自由を残しておこうとする。いかにもアナキストらしい、優しい思想家なのだと私は考えるのだ。
『万物の黎明』について(目次のページ)
<エッセイ>
「おしつけられた?」基本的人権 『万物の黎明』をめぐるエッセイ1
すべては「ごっこ遊び」 『万物の黎明』をめぐるエッセイ2(このページ)
<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最初の市民革命?『万物の黎明』ノート25
世界最古の公共住宅事業?『万物の黎明』ノート26
征服者コルテスと交渉する人々『万物の黎明』ノート27
国家の3要素『万物の黎明』ノート28
「国家」未満?(第1次レジーム)『万物の黎明』ノート29
エジプトにおける「国家」の誕生『万物の黎明』ノート30
肥沃な三日月地帯の高地と低地『万物の黎明』ノート31
第2次レジーム『万物の黎明』ノート32
行政官僚の起源『万物の黎明』ノート33
女性の文明『万物の黎明』ノート34
北米国家解体の歴史『万物の黎明』ノート35
王様ごっこから君主制へ、そして暴力『万物の黎明』ノート36
ローマ法は特殊な法体系である『万物の黎明』ノート37
支配権力は慈善に帰着する『万物の黎明』ノート38
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)