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第2次レジーム 『万物の黎明』ノート32

エジプトの国家形成はどこまで一般化できるのか

ノート30「エジプトにおける「国家」の誕生」で世界で初めての「国家形成」を説明した上で著者たち(二人のデビットなので以下はWDと略記します)は一般化を試みます。つまり、表向きは王に対して臣民たちはケアと献身に奉仕しており、それが社会的機械を構成していますが、そこに例外的暴力が結合したものを国家とみるのです。実に逆説的な話です。ケアリング労働とは、そもそも機械的労働と対立しています。ケアの対象の特質、ニーズ、特殊性を認識して理解した上で、必要なものを提供するのがケアリング労働の筈です。その一方で私たちが「国家」と呼んでいる組織になにか共通の特徴があるとすれば、ケアリングへの対象を抽象的なものに置き換えようとする傾向なのだと、WDは指摘します。つまり「国民(ネーション)」という抽象をケアしようと欲する何かです。古代エジプトでは、人々の献身は支配者や死者のエリートという壮大なる抽象に振り向けられていました。そして組織は(王を父とする)家族のイメージと共に機械としてのイメージで想像されるようになります。人間活動のほとんどが統治者の世話をするなり、神々を世話する統治者を手伝うなりして、上方に向かっていき、それが神の祝福と保護という形で下方にむかう流出を招き入れるのです。物理的には労働者の町での大宴会がその流出の例となります。pp.465-466

この「国家形成」はモデルとして、どこまで他地域に適用できるのでしょうか?少なくともインカ帝国には適用できそうです。実際、古代エジプトとインカ帝国には類似点が多々あります。死んだ支配者のミイラ化がそうですし、ミイラ化した支配者の領地が維持される仕組み、生きている王の巡回、都市生活への反感(都市は祭祀センターで定住者はいなかった)などがそうです。しかし、他の「初期国家」はエジプトやインカと大きく異なっているのです。p.466

メソポタミア、マヤ、中国の初期国家

初期王朝時代のメソポタミアは数十の都市国家からなり、それぞれの都市国家はカリスマ的戦士王によって統治され、支配権を争っていました。しかし、メソポタミアのこうした王たちは、道徳的な秩序の外に立って好き勝手に振る舞えるような存在だったのか、つまり「主権」を主張していたのかWDは疑っています。彼らは都市を支配していたことになっていましたが、都市は自己統治の伝統を有する商業的ハブであり、神殿行政システムに支えられた都市神がいて、王が自らを神として振る舞うことはありませんでした。神の代理人もしくは神の守護者です。第6章ノート31で見てきた、三日月地帯低地の行政管理的秩序と高地の英雄社会的な政治というふたつの原理が共存していたと言えるでしょう。そして主権は神々にのみ属していました。p.467

古典期マヤに目を移すと、統治者アハウは一級の狩猟者であり一級の神のなりすましであり戦士であることを意味していました。いつも小競り合いをしている小さな神々のようなものです。そして行政機構はありませんでした。行政的なヒエラルキーはすべて宇宙に投影されており、天体の動きで世の全ては決定されていました。pp.467-468

こうした初期国家に共通点を見つけることは可能です。システムの頂点に華々しい暴力が備わっていること、家父長的世帯組織に依拠して模倣しているということ、分割された社会階級の上に統治の装置が置かれていることなどです。しかし、ここまで見てきたように、これらの要素は中央政府がなくても存在しましたし、あったとしてもその形態は多様でした。メソポタミアでは社会階級は土地保有権と商人の富に基礎をおき、マヤでは権力の基盤は土地や商業にはなくて、人の流れや忠誠心を統率する力にありました。p.468

中国の場合、殷の首都の安陽は宇宙論的蝶番であり、生者と死者の世界の狭間に位置する舞台でした。生者のためには行政機関であり、それと同時に王家の墓地と遺体を安置する神殿でもありました。そして工業区域では祖先との交流儀式に用いられる青銅器や翡翠が生産されています。この点でエジプトやインカに似ていますが、その他の点がまるで違います。殷の支配者は広域におよぶ主権を主張しませんでした。占いが重要な儀式であった点も他の初期国家とは異なります。いかなる王の決定も占いによって神々や祖霊の承認を受ける必要がありました。亀甲占いの結果は官僚が読み取って記録され、保管されました。その他の用途で文字が使われていた形跡は発見されていません。そして、殷の統治者たちも生贄に使う人間を獲得するために戦争を行っていました。統一王朝の体裁は保ちながらも、競合関係にある宮廷とは争いを続けて、英雄社会的な闘技的ゲームを繰り広げていました。pp.468-470

こうしてみると、エジプトやインカのように地域での社会システムが単一の政府のもとに統合されたのは、珍しいケースに属するのでしょう。殷のように統一は名目だけのことで、実際には諸宮廷が争い続けるほうが一般的だったようです。メソポタミアでも覇権が世代を超えて続くことはありませんでしたし、マヤでも勢力圏争いは決着がつかないまま続いていました。pp.470-471

「第二次」レジーム

3つの基本的支配形態、暴力の支配、知の支配、カリスマ権力はそれぞれに、主権、行政管理、英雄政治という形で結晶化するというのが、以前の議論でした(ノート29)。その3要素の一つだけを発展させたのが「第一次」レジームでしたが、ここで論じた「初期国家」は3つのうち二つを統合した支配の「第二次」レジームと規定することができます。その組み合わせ方は事例ごとに異なります。エジプトでは主権と行政が、メソポタミアでは行政と英雄政治が、マヤでは主権と英雄政治とが融合していたと見ることができるのです。そして、いずれも3つ目の原理は人間世界から排除されて非人間的な宇宙に転移されているとWDはいいます。pp.471-472

権力構造が変換したエジプト第1中間期

古代エジプトの浮き彫りで描かれている世界では、天において神と王は同列であり、地上は農村と狩猟場の二つから成っていて王に恭順しています。それが古王国建設者が描いたエジプトのイメージであり、それをシンボライズするのが死すらも征服していると言わんばかりの巨大葬祭モニュメント(ピラミッド)でしょう。エジプトの王権は二つの顔を持ち、内なる顔は広大なる拡大家族の至高の家父長であり、外なる顔は戦争指導者であり狩猟のリーダーです。ただし、王は名誉のために命や尊厳、自由を賭ける英雄的人間としては描かれませんし、戦争も政治的な競い合いとして描かれません。王は負けるはずがないのです。国家の役人たちが競い合うフィールドもなく、役人たちはただただ王との関係(王をどのようにケアするという機能)があるだけです。主権と行政は肥大化していますが、競争というフィールドが見事に欠落しています。エジプトにはローマの戦車レースも、オルテカの球技のようなものも現れません。勝ち負けの世界は神々の世界に限られているのです。pp.472-474

君主制は記録された歴史を通じて一番人気のあった制度ですが、その魅力とはケアリングの性格を帯びた感情と、おそるべき恐怖の感情の両方を同時に動員できる能力に関係しているとWDはしています。p.474

恣意的な暴力を振るう権力(主権)と人間を機械の歯車のように使う行政機構とを統合し、英雄的競合政治が欠けていたエジプトですが、第一中間期(暗黒時代とも言われる、BC2181-2055)に反転します。古代王朝末期から州執政官(将軍)という地方指導者が統治機能を引き継いでいきました。彼らが先王時代に争いあった小王たちと異なるのは、自分たちを民衆的英雄として表現している点にあります。カリスマ的地域指導者たちであり、中央の家産制国家の崩壊と共に、公共サーヴィスの質と神々への信心を通じて、カリスマ指導者たちが民衆の支持を競い合ったのです。pp.474-476

「われは、餓えし者にはパンを与え、裸のものには衣服を与え、、、、」

本文p.476

古王国時代は主権原理と対立する貴族政治も人格統治もありませんが、第一中間期にこうしたカリスマ指導者の統治が行われ、世襲貴族が誕生しました。権力行使の枠組みが、主権からカリスマ政治に移行したのです。同時に民衆による王へのケアが、支配者による民衆へのケアへと変化しました。第一中間期は壮大なモニュメントが建造されなかった故に、「暗黒時代」と呼ばれ混沌の時代と見られていますが、重要な政治変化が生まれたことに注目するべきだとWDは言います。p.476

『万物の黎明』について(目次のページ

<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最初の市民革命?『万物の黎明』ノート25
世界最古の公共住宅事業?『万物の黎明』ノート26
征服者コルテスと交渉する人々『万物の黎明』ノート27
国家の3要素『万物の黎明』ノート28
「国家」未満?(第1次レジューム)『万物の黎明』ノート29
エジプトにおける「国家」の誕生『万物の黎明』ノート30
肥沃な三日月地帯の高地と低地『万物の黎明』ノート31
第2次レジーム『万物の黎明』ノート32
(このページです)

<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次) 
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)

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