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女性の文明 『万物の黎明』ノート34

最近の思想はフェミニズムへの目配り、もしくは配慮が必須という風潮があるようですが、本書はかなり気合を入れてフェミニズムに肩入れして論考が進められています。

新石器時代の女性の役割

第6章「アドニスの庭」は新石器時代の農耕の開始について論じたものですが、著者たち(二人のデビットなので以下はWDと略します)はそこに関わった女性たちの存在を強調します。

あるときに農耕が「発明」されて、それが一気に広がった(つまり「農耕革命」があった)という考えにWDは与しません。農耕開始以前の狩猟採集生活を送っていた新石器時代人だって、植物に関する知識を蓄えていった筈です。それは、食べられる/食べられないといった知識だけでなく、顔料の原料として、香辛料として、薬や毒物としての植物の知識が蓄えられ、それと平行して植物を利用した織物、かご細工、紐や縄、網、敷物の技術が蓄えられていきました(それらは遺物として確認できます)。原料となる植物を採取する場所や季節に関する知識も蓄えられていったでしょうし、剪定や焼畑や植え替えといった技術も習得して、播種も行われるようになり、河川の土手を削って湿地を作って種を蒔く氾濫農法も行われ、やがて文字通り鋤で耕す「農耕」も行われたことでしょうが、重要なことはそうした技術が小規模、かつ、ゆっくりと蓄積されていったということです。植物栽培の開始から農耕に依存する集落が現れるまでの時間経過は、現在の考古学的証拠から3000〜4000年とされています。

そして文化人類学的知見に立てば、それらの仕事は伝統的に女性というジェンダーに委ねられてきたことは明らかだとWDは強調します。数学や幾何学も編みかごや織物のデザインを考える中で現れたものであり、それはレヴィ=ストロースが強調した「具体の科学」そのものでもあります。しかし、いままでこうした新石器時代の技術を担った存在としての女性が語られることはありませんでした。レヴィ=ストロース自身、この問題を語る時には見事にジェンダーを排除しています。

最古の町、チャタルホユックにて

人類最古の町であるチャタルホユックを語る時も、ジェンダー論の視点が入ります。アナトリアでBC7400年頃から1500年ほど続いたこの町は、13ヘクタールの広さに約5000人が住んでいました。中心施設、共同施設、街路が一切ありません。同じような間取りの家が密集しているだけで、人々は屋根から梯子で出入りしていたと考えられます。

そうした家屋から見つかった女性の粘土像は最初は「地母神像」と解釈されていましたが、ゴミ捨て場からも見つかったのでその解釈は捨てられているそうです。WDの解釈は「女性家長」だとしており、家屋の空間は母権的なものが強かったことを示唆します。

家屋外に描かれた壁画などには野生のオーロックスを狩る男性表象が描かれていますから、チャタルホユック全体が母権社会だったということはなさそうです。

ここで「母権」という言葉をめぐってWDは紙幅を割いて(pp.242-249)脱線します。現在の学問の世界で忌諱もしくは否定されている「原始母権制」と混同されるのを警戒して、牽制しているようです。「原始母権制」はヴィクトリア時代の空想の産物で、今はまったく省みられていないのは良いとして、初期の農耕共同体で女性が重要な地位を占めていたという示唆をするだけで非難を受けてしま現状をWDは嘆きます。東ヨーロッパの後期先史時代研究者のマリヤ・ギンブタスの学説も、「原始母権制」という空想を現代に蘇生させようとしているとして非難されたとしてWDは擁護します。

つまりヴィクトリア朝の「原始母権制」は社会進化論に基づき、人類が「父親を認識できない」初期段階で父子関係のない母子関係だけの社会を一律に通過したと考えるものであったのに対して、ギンブタスは中東とヨーロッパの新石器時代における女性の自立性と儀礼的優位性を主張しただけだとWDは言います。キンブタスの説は1990年代に、エコフェミニスト、ニューエイジ宗教、多くの社会運動に取り入れられ、胡散臭いものとして見られがちですが、彼女自身の説は真っ当だし、最近のDNA解析に基づく集団遺伝学によってキンブタスの主張の一部は正しかったともします。

WDは「女権政治・女性統治」と「家母長制」という概念を分けてみようと提案します。

  • 女権政治・女性統治:女性が優先的に行政権を行使、軍隊の統率、法律の制定を行う

  • 家母長制:世帯内での母親の役割が、それ以外の生活面での女性の権利のモデル、経済的基盤となり、女性が日常的な権力関係で優位に立つ

そして「家母長制」としての母権制は空想の領域のものではなくて、十分に現実的だとしています。実際、第2章で登場したカンディアロンクが属したウエンダット族のようなイロコイ語族はこれにぴったりと該当しているのです。5、6家族で暮らすロングハウスは女性の評議会で運営され、衣服道具食料は彼女たちが管理していました。町の政治と軍事のみが男性に委ねられたのであり、その男性たちの決定に対して拒否権も持つ女性たちもいたのです。

女性による文明

たしかに「家母長制」は「家父長制」に比べると稀ですし、「女権政治」も稀にしか現れません。しかし、社会(文明)全体が女性的なもので統治されていた事例が無いわけではないのです。その例としてWDは第10章「なぜ国家は起源を持たないか」の最後にミノア文明について紹介しています。

BC.1700-1450年にクレタ島で栄えたミノア文明は異質な社会でした。最大都市であるクノッソスは人口25000人で、東地中海の多くの都市と似てはいます。中心には工房施設と貯蔵施設がありますし、文字も使われていました(線文字A)。しかし、君主制の痕跡がまるで無いのです。そしてミノア芸術でもっとも頻繁に描かれている権威ある人物は女性です。pp.494-495

イラクリオン考古博物館収蔵品

こうした女性は男性よりも大きなサイズで描かれており、近隣文明の例に従えばこれは政治的優位性を示すものです。指揮のシンボルである杖を持ち、祭壇の前で儀式を行い、王座に座り、超自然な生き物や猛獣に囲まれるなど描かれています。一方の男性の描写の多くは裸のアスリートか、貢納を持参しているか、女性の高官の前で従順なポーズをしています。周囲の文化は高度に家父長制的社会であり、このような絵画はまったく見られないものです。pp.495-496

ミノアのこうした宮殿絵画は女神あるいは地上の権力を持たない巫女と解釈されており、ミノアの政治に絡める議論は避けられるか一切無視されていることにWDは疑義を突きつけます。p.496

輸入品も独特です。ミノア商人はほとんど男性であったと考えられるのですが、彼らが海外から持ち帰ったものには女性の影がちらつきます。エジプトから持ち込まれた打楽器や化粧瓶、授乳の母子像、スカラベのお守りなどは、エジプトの王族では無い女性たちの儀礼、ハトホルの儀式に関係するものなのです。クレタ島の特権者の墳墓にこれらのアイテムは集中しており、女性がこうした輸入品の需要サイドであったことが想像できるのです。また、ミノア芸術には戦争のイメージはまったく現れません。その代わりに遊戯や快適な生活にこだわった描写がみられます。pp.496-497

BC.1400年頃に近隣社会、たとえばギリシャ本土のミケーネやピュロスでは要塞が築かれるようになり、そこからの侵攻が始まり、ややあってクノッソスは占領されクレタ島も支配されます。侵攻してきたのは典型的な戦士貴族の社会でした。彼らはクレタ島に線文字Bを付け加え、読み書きのできる一握りの役人が作物や家畜を調査して、税を徴収して、職人に原材料を分配するなどの行政業務を行うようになりますが、小規模なもので、季節ごとの税以外は、王の主権は周辺の民衆にはあまり影響しなかったようです。ピュロスの宮殿は良く保存されており、巨大な炉を中心とした影の多い空間で、壁には屠殺される雄牛と竪琴を弾く吟遊詩人、王座に向かう行列などが描かれていました。pp.497-498

これに対してクレタ島クノッソスの「王座の間」はオープンスペースで、石のベンチが置かれ、近くには階段状の浴室がありました。どうも月経に関係する女性のイニシエーション儀式に関連するもののようです。WDは「王座の間」はを女性評議員たちの場所であっただろうと推測しています。ミノア文明とは女性による政治的支配のシステム(女祭司の集団によって統治されるある種の神権政治)だったというのです。ミノアの美術は、ギリシャ本土の美術や中東の美術とはまったく違う感性で描かれています。ミノアの芸術に英雄は現れません。そこに描かれているのは「戯れ人(プレイヤー)」だけだとWDは言います。pp.498-500

https://sekainorekisi.com/glossary/クレタ文明/

従来の考古学は、クノッソスを奇妙な、異質な文明として深く考えることを避けていたとWDは非難しています。女性の政治があり得たことを認めることが必要なのだと言うのです。

『万物の黎明』について(目次のページ

<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最初の市民革命?『万物の黎明』ノート25
世界最古の公共住宅事業?『万物の黎明』ノート26
征服者コルテスと交渉する人々『万物の黎明』ノート27
国家の3要素『万物の黎明』ノート28
「国家」未満?(第1次レジューム)『万物の黎明』ノート29
エジプトにおける「国家」の誕生『万物の黎明』ノート30
肥沃な三日月地帯の高地と低地『万物の黎明』ノート31
第2次レジーム『万物の黎明』ノート32
行政官僚制の起源『万物の黎明』ノート33
女性の文明『万物の黎明』ノート34
(このページです)

<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次) 
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)

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