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征服者コルテスと交渉する人々 『万物の黎明』ノート27

ノート26(世界最古の公共住宅事業)ではAD100-600にメキシコで栄えたティティワカンという都市が支配者を置かない都市であったとする話が展開しました。著者たち(二人のデービットなので以下WDと略します)は、メキシコにはマヤやアステカのような階層性の強い社会もあったのだけれど、同時にティオティワカンのような平等を強くする社会もあり、その伝統も伝えられてきたのだとして、アステカ帝国を滅ぼした征服者コルテスと同盟を結んだトラスカラという都市の話を始めます。

征服者コルテスと同盟した共和都市トラスカラ

スペイン人コルテスがアステカ帝国(三都市同盟)を征服するときに、重要な役割を果たしたのがトラスカラという都市です。コルテスは最初トラスカラと戦っていたのですが、手こずっていました。コルテスの敗色が濃くなってきたとき、トラスカラはコルテスに取引を持ちかけ、同盟して仇敵のアステカ帝国を攻撃しようと持ちかけます。コルテスはこれを受け入れて、アステカ帝国を滅ぼすことに成功します。

コルテスがメソアメリカでやってきたことは、王をみつけて味方につけるか、戦って無力化するかということでした。ところがトラスカラでは王を見つけることができませんでした。コルテスは神聖ローマ帝国皇帝に宛てた報告書で「この地方の統治の仕方は、ベネチア、ジェノヴァ、ピサの共和制とほぼ同様で、全体の首長というものは存在しません」と書いています。

トラスカルテカ(トラスカラ人)が具体的にどのような経緯でコルテスと同盟を結んだのかについては、いくつかの一次資料がありますが、あまり知られていない『ヌエバ・エスパーニャ年代記』という資料をWDは使っています。(この『年代記』の素性と再発見された経緯についてもWDは詳しく述べていますが、ここでは省略します。)WDがこの資料に注目するのは、スペインの侵略者との同盟の是非をめぐる都市評議会での討議の様子が描かれているからです。

『年代記』によれば、コルテストの同盟を結ぶかどうかについて、トラスカラで演説したのは、長老政治家、商人、宗教家、法律家といった面々であり、理路整然とした議論と長時間の(ときには数週間におよぶ)審議によって合意形成を目指す成熟した都市議会の様子が描かれます。スペイン人との同盟については、その提案者が雄弁を振るい、その反対者が貪欲なスペイン人を引き込むことの危険性を訴えかけます。「隷属せずに暮らし、王を認めたこともないわれわれが、なぜおのれを奴隷となすべく、そのために血を流すというのか?」というのです。評議会は分裂して意見はまとまりません。しかし評決に頼らず誰かが創造的な綜合案を提示するまで議論は続きます。このときは「上級司法官」のひとりがこんなプランを提案します:コルテスが領内にはいったら、将軍の一人がオトミの戦士たちと待ち伏せで襲いかかる。待ち伏せに成功すれば彼らは英雄となる。失敗すれば、すべての責任をオトミに被せて、スペイン人と手を組む。そんなプランです。

スペイン征服後の数十年間の市議会の議事記録『トラスカラの法令』でも、政治家たちの巧みな弁舌、合意に基づく意思決定、理路整然とした議論などを見ることができるのだそうですが、歴史家がそこに注目しないことについてWDは延々と文句を並べています。

WDはさらにモトリニーアと呼ばれた修道士が、トラスカルテカのインフォーマントと共に書いた『ヌエバ・エスパーニャ・インディオ史』をとりあげます。モトリニーアは選挙で選ばれた役人の評議会でトラスカラは統治されていたと書いています。評議会に入ることを望む人々はカリスマ性や他人を圧倒する能力は求められず、その正反対の謙虚な精神が求められていました。都市民に従属することが求められ、公衆の罵声を浴びることが義務付けられ、長期隔離の中で断食、睡眠剥奪、瀉血、厳格な道徳教育といった試練をあたえられました。

最後にWDは考古学的証拠で以上の話を裏付けます。トラスカラには宮殿も中央神殿もありませんでした。他の都市では重要な儀礼に使われていた球技場もありませんでした。地区広場が20以上あり、その周りには均質で上質な市民の住居が配置されていました。コルテスがやってくるずっと以前からトラスカラには共和政体が存在していたのです。

他のメソアメリカの都市とはまったく別の政体ではあったのですが、1000年前のテオティワカンから繋がる流れがメソアメリカにはあったのだとWDは言います。人類の歴史で古くから王は存在しましたが、王を置かない政体もまた古くから続いていたのだとWDは繰り返しています。

『万物の黎明』について(目次のページ

<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最初の市民革命?『万物の黎明』ノート25
世界最古の公営住宅事業?『万物の黎明』ノート26
征服者コルテスと交渉する人々『万物の黎明』ノート27(このページです)

<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次) 
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)

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