分裂生成 『万物の黎明』ノート18
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本書第5章では「分裂生成」による文化の形成について議論がされます。その準備として著者たち(二人のデービットということで以下ではWDと略します)は文化人類学や考古学の分野で使われていた「文化圏」とか「文化伝播」という考え方を概観した上で、マルセル・モースが打ち出した文化とは拒絶の機構であるという考え方を紹介します。
モースは、過去の人間は大いに旅をしており、1-2ヶ月におよぶ旅の中で遠方の文化に触れる機会はいくらでもあったとします。つまり文化間の接触は頻繁にあったのです。しかし接触した文化から、あるものは受け入れ、あるものは受け入れていません。だからこそ諸文化は互いに似ているところもあるし、互いに異なるところも出てくるのですが、何を受け入れて何を受け入れないのかの分かれ目はどこにあるのでしょうか。
こう問われると、私などは環境要因などを考えてしまうのですが、モースおよびWDはそれを人々の主体的な価値観に基づく選択の結果だとするのです。
たとえばアサバスカン族(アラスカ)は、近隣のイヌイットのカヤックが自分たちの環境にも適していることが明らかなのにそれを使うことはありませんでした。一方のイヌイットもアサバスカンの使う「かんじき」を使うことはありませんでした。両者とも、互いの技術を使おうと思えば使えたのですが、あえて使用を拒否しています。
既存の様式、形式、技術のほとんどは誰もが潜在的に利用できて、人々は借用と拒絶を組み合わせて文化を作ってきました。それは、自覚的なものであり、何を借用して何を借用しないかを人々は熟考した上で決めているとモースは考えたのです。そして、人は隣人と自分たちとを比較することで、みずからを独自の集団と考えるようになります。つまり、「文化圏」の形成は政治的な問題に行き着くのです。
たとえば農耕を採り入れるかどうかの判断はカロリー計算に基づくものだけではなく、価値観(諸価値)が反映しているというのがWDの考え方です。それは人間とは何か、人間同士はどのように関係するべきなのかといった問いかけです。
さて、この章で取り上げられるのはカリフォルニアからカナダにかけての太平洋沿岸地域に住んでいた先住民族(インディアン)の諸部族です。カリフォルニアの先住民は狩猟採集民でしたが、恵まれた環境にあって勤勉に働き、熱心に富を蓄積することにかける熱意で有名でした。三日月地帯にも比較されるほどに土地は肥沃なのですが、彼らは農耕を始めませんでした。近隣の地域ではトウモロコシなどの栽培を始めていたのに彼らは栽培に手を出しませんでした。彼らは「農耕以前」というよりは「反=農耕的」だったと言えます。
カリフォルニア先住民の農耕の拒絶は、もっぱら環境要因で説明され、ドングリや松の実を集めた方が、トウモロコシ栽培より効率的だったからというのです。北隣の北西海岸地域が水産物を主食とする理由も、同様に説明されています。しかし、多種多様な生態系が共存する広大な地域でトウモロコシ栽培の地域が全くないというのも不思議な話です。
カリフォルニアや北西海岸の人々はタバコやスプリングバンククローヴァーやパシフィックシヴァーウィードを栽培して儀礼や、特別な祝宴の際の贅沢品としていました。それなのに、マメ類、カボチャ、スイカ、葉物野菜などの日用食品のための栽培やっていません。栽培植物の育て方は知っていたのに、日常食としての栽培を拒否していたのです。
さらに北隣の北西海岸地域(カナダ太平洋岸)には、カリフォルニアとは全く違う文化が現れます。それを対比させると:
北西沿岸部:
サケやウラチョンなどの昇流魚に大きく依存。その他の海産物、海洋哺乳類、陸生植物、狩猟資源も豊富。
冬には大規模な村落に集住して複雑な儀式を行い(ポトラッチ)、春と夏は小規模な集団に分かれて生活した
木を使った工芸品、美術品を作り出すことに巧み。
人口のかなりの部分が動産奴隷。
カリフォルニア:
多様な動植物相のもと、多様な陸上資源に恵まれ、焼畑、伐採、剪定などで管理していた。狩猟も釣りもしたが、木の実やドングリを主食としていた。
工芸や美術は地味。編籠技術は高度に洗練。
奴隷はいない。
となります。どちらも狩猟(漁労)採集社会ですが、西の(乾燥した)グレートベースンや、トウモロコシやマメとカボチャを栽培するアメリカ西南部の人々よりも高い人口密度を維持していました。
カリフォルニアの特にユロック族は生活のあらゆる場面(購買、貸借、融資など)で「貨幣」を使うかなり特異な部族で、さらには倹約と簡素化を尊び、浪費的な娯楽を嫌い、仕事を称賛する文化があります。「私的所有」が重要視され、すべての財産が「私的に所有され」ていて富、資源、食料、名誉、妻などすべてが貨幣で買ました。これはマックス・ウェーバが『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で描いた「禁欲的に蓄財に励む」ピューリタンの態度そのものだと指摘されてきました。
一方の北西海岸の住民たちも勤勉でしたが、蓄えられた富は集団の祭事を主宰して還元する義務を負っていました。謙虚なユロックに対して、クワキウトルの首長は自慢好きで虚栄心に満ちていました。この点で、世襲性の特権階級の中で地位を競い合って、目を見張るような宴を繰り広げた中世ヨーロッパの王侯貴族によく似ていたのです。
なぜ、近接する住民たちが、これほどまでの差異を見せるのでしょうか?WDの仮説は「分裂生成が起こった」というものです。つまり、「二つの地域の人々が、互いに対抗し合うかたちで自らを定義していた」のではないかというのです。グレーバーの先生であるサーリンズによる古代ギリシャのアテネとスパルタの例では
アテネ: 海、コスモポリタン、商業、 贅沢、民主制、都市的、土着的、饒舌
スパルタ:陸、排外主義、 自給自足、質実、寡頭制、村落的、移民的、 簡潔
となっており、どちらの社会も、他方の社会の鏡像になっています。つまり、互いに接触している社会がお互いを区別しようとしながらも、結局は共通の差異のシステムのうちで結合することを意味します。カリフォルニアと北西海岸の先住民族社会も同様ではないだろうか?とWDは言うのです。
カリフォルニア:
仕事と利潤追求、自己犠牲、道徳的責任の個人化が倫理的に要請されている。負債を負うこと、継続的な義務を負うことは避けられる。資源を集団で管理することも避けられ、狩猟採集場は個人の所有物。所有は不可侵なものであり、密猟者は射殺できた。しばしば貨幣について瞑想にふけり、最高の富(黒曜石の刃など)を究極のサクラ(聖なるもの)とした。あらゆる楽しみを控え、食事は質素で装飾はシンプル、ダンスは控えめで太ってはいけない。そして分かち合いやケアリングの責任は他の諸部族に比して控えめ。
北西海岸:
派手な娯楽と演出に喜びを見出す。大食いと贅沢の蕩尽宴会として悪名高いポトラッチが有名。この宴会では、気前の良さと保有物への軽蔑をライバルと競い合い、家宝を見せびらかしては破壊してみせ、奴隷を殺すこともあった。権力者たちは豊満な肉体(つまり太っていること)を競いあった。クワキウトル族の仮面芸術は有名であり、儀礼では偽の血液が飛び散り、粗暴な道化警察が暴れ回る演劇的演出が行われた。貴族、平民、奴隷の世襲身分があり、集団間で奴隷を奪い合っていた。平民たち(芸術家や職人を含む)は仕える貴族を自由に選ぶことができたために、首長は平民たちの忠誠心を高めるために宴を催し、娯楽を後援していた。彼らはマフィアのドンもしくはヨーロッパの宮廷社会に似た「漁夫王」だった。
こうした見事なまでに対照的な文化が隣接地域で現れて、共存する理由は何なのか。それを経済合理性で説明する理論もあります。たとえば、農耕を行わない狩猟採集民たちについて「狩猟採集民たちは最小限の労働力で最大のリターンを得ている」(つまりは費用対効果の最適化が行われている)みたいな説明です。しかし、カリフォルニア先住民の行動は「最適」とは言い難いものです。彼らの主食はドングリや松の実ですが、一粒一粒がとても小さくて、毒を抜くなどの作業は大変に手が掛かります。またナッツ類の収穫量は変動が激しく、それに頼るのはリスキーです。北隣の北西海岸地域のようにサケなどの魚に栄養を頼る方がはるかに確実で栄養価も高かったのです。そしてサケはカリフォルニアの川にも遡上していました。経済合理性からすればカリフォルニア先住民の行動はナンセンスです。さらに巧妙な理論もあるのですが、本書でもそれを説明した上でその欠点を指摘しています。
WDは北米では珍しかった北西海岸部の奴隷制を鍵にして話を進めます。この北西海岸部奴隷制もまた、環境や人口動態から説明がつかない現象ですが、WDによれば社会のあるべき姿について異なる人たちの駆け引きの結果として奴隷制が生まれたとします。
北西海岸部では労働力は足りていました。ところが少なからぬ割合を占めていた貴族(の称号保持者)は、自分たちは単純作業をするべきではないと強く感じていて、これが繁忙期に問題になります。無尽蔵に魚は取れますが、貴族称号保持者たちは自分で魚の内蔵処理はやりたくありません。そして身分の低い平民は、貴族からの扱いが悪いとすぐにライバルの世帯に逃げ込みます。貴族と平民は常に交渉しており、貴族はポトラッチのときははもちろん、普段から気前の良いところを見せて自分の評判を維持しなくてはなりません。気前が良くないとみなされた貴族は殺害されることすらあったのです。貴族からすれば、統制の効く働き手が必要なのであり、それで人間狩りに手を出していたということなのです。そう考えれば、生態環境から奴隷制を説明するのは意味をなさないとWDは言います。
ではカリフォルニアではどうだったのか。カリフォルニアの北西部には様々な民族集団・言語集団が入り乱れて圧縮されていました。(シャッターゾーン/粉砕地帯)いままで議論の素材にされてきたユロック族もここに含まれるのですが、ユロックを含むいくつかの部族は北西海岸から移動してきた部族です。しかし彼らは、動産奴隷を持ちませんでした。奴隷人口が1/4の典型的な奴隷社会の北西海岸からカリフォルニアに移動してきて、どこかの時点で奴隷制度を捨てたのです。彼らの中には戦争捕虜が奴隷化することを回避する慣習もあり、集団間の略奪行為が抑制されていました。捕虜を奴隷化することに対して高額の賠償が課せられるなどの習慣があったのです。
さらに、これらの部族の説話には「奴隷を持つことで堕落した(太って、怠惰になる)」祖先の姿が描かれていて、彼らが意図的に奴隷制度を捨てたことが窺われます。つまりカリフォルニアのシャッターゾーンでは社会生活が、分裂生成的な方法で北西海岸社会の反転鏡像社会を意識的に構築されていったんだとWDは推測するのです。
北西海岸:貴族と自由民は薪を割ったり運んだりすることを地位を貶めるものとして拒否し、すべて奴隷に行わせる。
カリフォルニア:薪割とそれを運ぶのは厳粛な公務であり、ウェットロッジの中核的儀礼に組み込まれていた。薪を集めること自体が道徳的目的ですらあった
北西海岸:脂肪や油脂の過剰な摂取がステータスシンボル
カリフォルニア:ウエットロッジで儀礼的発汗に励む
カリフォルニアの道化師:怠惰、大食い、権力欲などをおちょくるが、北西海岸の価値観をひっくり返している。
北西海岸の美術:スペクタクルとあやかしに満ちたもの、仮面大好き
カリフォルニアの文化:仮面を避ける。規律と内的自己研鑽の重視。
という具合に、北西海岸とカリフォルニアは価値観という点で真っ向から対立しています。
北西海岸:家具、紋章、ポール、仮面、マント、箱などの氾濫と浪費、ポトラッチの豪奢と演劇性は特定の人間(首長や貴族)に名誉を与えること。仮面、幻想、ファサードなど外面性というテーマへの焦点化。
カリフォルニア:「労働」を浪費する社会。不眠不休の労働は偉大な美徳。内面性と内省を重視。自己鍛錬を通して人は天職や人生の目的を発見する。その目的を邪魔するものがあれば、そのひとが奴隷やペットと化してしまわないように、その邪魔をやめさせなければならない。
このようにWDは文化の違いを説明するのに環境決定論を使いません。そして「彼らはそういう文化だった」みたいな説明も使いません。どちらにしても「すべては環境がなせる技である」「すべては文化がなせる技である」のような機械的決定論になるだけだからです。
それらに対してWDが強調するのは、人間の主体性(自由意志、自己決定)です。実のところ「人間の主体性(自由意志)」が歴史においてどれほどの影響力を持つのかは答えるのが難しい問題です。だから自由と決定論のあいだに広がる目盛りのどこに議論を設定するのかは好みの問題だとWDは言い切ります。そして「本書のテーマは「自由」であるから、普通よりも自由側に傾けて目盛りを設定し、人間はみずからの運命に対して集団的統制力を有するという可能性を探りたい」とするのです。
北西海岸の奴隷制の普及は、貴族が自由民に従属労働を強制できなかった結果であり、そのために他集団から人間を捕獲するための暴力が広がりました。隣接する北カリフォルニアのシャッターゾーンの部族は、その暴力から自己防衛できる制度を自覚的に構築して、分裂生成の過程で互いを反面教師とする対照的な文化(法外な浪費と、厳格な簡素)を築いていきました。そして、カリフォルニアの北西以外の地域を除けば奴隷制も階級制も完璧に拒絶されていました。
これと似たようなことが世界の他の場所で新石器時代に起こっていてもおかしくはないとWDは言うのです。
<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18(このページです)
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)