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蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6

私たちは「未開社会」に対して農耕開始前の狩猟採集社会であり、定住せずに小さな集団(バンド)で移動生活を送っており、だから都市も作らず、巨大な神殿や王の墓を作ることもない、階級差の無い平等な素朴で貧しい社会だったというイメージをなんとなく抱きます。

ところが本書は、そうしたイメージを覆す考古学的事例を次々とくりだしていきます。トルコのギョベクリ=テペという巨石神殿を作ったのは農耕を知らない狩猟採集民でした(pp.100-)。北アメリカでポヴァティ・ポイントという宗教関連遺跡と推定されるモニュメントを作ったのも狩猟採集民です(pp.158-)。氷期(もちろん農耕開始以前)にも豪華な埋葬が行われていた例はいくつも報告されており(pp.99-100)、「イル・プチンチぺ(王子様)」と名付けられた例もあります。これは民族誌からの例ですが16世紀フロリダ西海岸に住んでいたカルーサ族は狩猟漁労採集民でしたが、どうみても王制が引かれ、軍隊を持ち、奴隷が使われていました(pp.169-)。現在知られている最古の町であるトルコのチャタルホユック(BC.7400-5900)は階級差のない社会であり、宮殿も神殿もなく各住居はほぼ均一です (pp.240-)。このリストはもっともっと続きますが、長くなるのでこのあたりで切り上げます。ようするに、我々が抱いていた「未開社会」のイメージはことごとく反例が突き付けられており「例外」だとか「初期事例」というだけでは片付けられないレベルに達しているのです。

WDは「農耕、冶金、都市化、文明化などについての現代人の説明は、意味論的な罠や形而上学的な蜃気楼として今後浮かび上がってくるかもしれない」という、考古学者グラークの1970年代の言葉を引いて、これが正しかったように思えるとしています(p.280)。どういうことかといえば、「農耕革命」を前提として社会進化を物語ろうとしたことで、農耕民の特質とは逆の性質をすべて採集民に投影してしまったのでは無いかというのです。つまり、

  • 農耕民は定住しているー(だから)ー>採集民は移動していた。

  • 農耕民は積極的に食料を生産しているー(だから)ー>採集民は食糧を集めるだけ。

  • 農耕民は私有財産を持つー(だから)ー>採集民はそれを放棄していた。

  • 農耕社会は不平等だー(だから)ー>採集民は平等だった。

という論法によって作られた「蜃気楼」だったというのです。

いままでの支配的な物語の中では、ある狩猟採集民が農耕民と共通するような特徴をたまたま持っていたとしても、それは本質的に「初期的」、「例外的」、「逸脱的」なものでしかなく、その採集民の運命は農耕民へと「進化」するか、衰退するかのどちらかだとされてきました。しかし、前述したように現在得られている考古学的証拠に対して、この物語はまったく合致していないのです。

「農耕革命」という概念が否定されることで、それらの「蜃気楼」は雲散霧消してしまうのです。

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