ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
第1章で展開されるのが、ヨーロッパの人類史観は二つに大別されるという話です。昔、人々は幸せに暮らしていたが、社会を作りモノを所有するようになって不幸になったというのが、ルソーが『人間不平等起源論』で展開した議論で、旧約聖書の「失楽園」がベースにあります。それに対してホッブスは『リヴァイアサン』において、原初の人間は互いに争って無秩序な中で暮らしていたのが、社会契約によって秩序のある生活を送るようになったと主張します。これらにたいして、どちらも陰鬱な歴史観だとWD(著者の二人のデービット)はいうのです。
ルソー史観は時代と共に書き直され、人類史を扱った現代の著作はそのほとんどがこのルソー史観を取っています。いま流布されているのは次のようなものです:
昔々、私たちは狩猟採集民であり、無垢な心を持ち、小さな集団で平等に生活していた。しかし農業革命が起こり、都市が現れ、幸福な時代は終わった。やがて文明と国家が現れ、文字、科学、哲学が現れ、家父長制、軍隊、大量殺掠、人々を支配する官僚なども現れ、人々は不幸になった。
これは「楽園で幸せに暮らしていた人間は、ある日エデンの園から追い出されて苦しんで生活するようになった」という物語を土台にして、18世紀以降に知られるようになった知識を使ってルソーとその後継者が語り直したストーリーです。美しい物語ではあるのですが、国家で暮らして文明社会を生きている私たちにとっては、ちょっと暗い話です。「あなたがたは不幸だ」と断言されているのですから。
一方のホッブスの『リヴァイアサン』も暗い話で、人間は利己的で、原初の自然状態は無垢から程遠く、万人が万人と争う戦争状態にあったとします。政府、裁判所、官僚機構、警察などにより進歩がもたらされ、人は平和に暮らすことが可能になったのです。人間の本性は利己的で、放っておくと争って無秩序のままだけれど、国家(政府や警察)のおかげで平和で暮らせるようになったとすることで現在の国家体制を肯定します。現代政治のテキストの中にこのホッブス史観の派生系が多く出ています。
本書を通じてWDはこれら二つの史観を共に否定していくことになるのですが、その理由として、近年積み上がってきた考古学証拠はそのどちらも裏付けないということをまず挙げます。先史時代から人々は様々なスタイルで生活をしており、平和で平等主義的に暮らしていたと見られる都市もあれば、社会格差の激しい権威主義的な社会だったとみられる都市も見つかっているからです。考古学的証拠が積み上がっている現在、それらを例外扱いする時期はとうに過ぎたとWDは主張します。
そして、そもそもこの二つの史観には暗い政治的含意があるとするのです。ホッブズの史観は現代経済システムの基本的前提でもあります。つまり、人間は基本的に利己主義であり、エゴイスティックな計算によって意思決定を行っているという前提で経済学は構築されています(つまりホモ・エコノミクスです)。この政治的含意は明らかでしょう。現在の政治と経済システムを肯定しているのです。
ルソー・モデルはそれよりも穏やかですが、「現行システムに問題があろうとも現実にできることは、ちょっとした手直ししかない」という議論に利用されています。「現在の社会的不平等が問題であるということは認めるが、実質的な解決は不可能だ」という隠れた意味がそこにひそんでいます。そして不平等の解消とはいったい何なのかという、具体的なイメージはありません。不平等という状態は変えようもないということを最初から前提としています。行き過ぎを是正する程度のことしかできないのです。「無垢と平等の原初状態」という美しいイメージと抱き合わせの、深い悲観主義を我々の常識に仕立てあげています。
その上で、WDはこの二つの史観は両方とも、先史時代の人々を馬鹿にし過ぎていないかと指摘します。「賢いヒト」の意味を持つホモ・サピエンスという種は二十万年前に生まれたとされますが、バカから徐々に知力を蓄えてきたわけではありません。基本的にはDNAは同じであり、知的能力も似たようなものだったに違いないのです。つまりホモ・サピエンスは途中から賢くなったのではなく、最初から賢かったはずです。なのに我々は社会進化論という考え方に囚われて、昔の人々は我々よりも知的に劣っていたという考えに陥りやすいのです。ルソーの「無知ではあるが無垢で幸福な未開人」にしても、ホッブスの「残酷で野蛮な未開人」にしても昔の人たちを不必要にバカにしていないか?
ではWDの描く人類史はどんなものなのか?それは「人類は様々な社会組織を試みてはやり直し続けてきた」というものです。奴隷のいる階層社会も、平等主義的な平和な社会も人類史の最初からあったのであり、人類は何度も何度も社会形態を変えてきました。ルソーやホッブスが描くような単純なものではなかったというのです。
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<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
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選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)