行政官僚制の起源 『万物の黎明』ノート33
行政官僚制の起源 ーウバイド期ー
ノート32では、古代エジプトの国家成立時に主権と行政官僚制が結びついていった様子をみました。初期「国家」とみなせる中で、主権と行政官僚の結びつきは稀であるにも関わらず古代エジプトが国家の発祥地とみなされてきた理由は、近代人にとっての国家のイメージに合っていたからだろうと著者たち(二人のデビットなので以下はWDと略します)は言います。そして、社会が大きくなれば必然的に主権者と行政管理が生まれるというのが、これまでの一般的な歴史理解でした。これが間違っているのは、第8章で紹介した事例でも明らかです。複雑な灌漑施設は行政官が管理しなければ建設も維持もできないというのが普通の理解でしたが、バリでは農耕民が自分たちで運営・調整をしていました。記録に残っている初期国家の官僚たちも、灌漑施設に関与していたという証拠はほとんど存在していないとWDは言います。そして古代の皇帝のほとんどは臣民たちが道路を掃除したり排水溝を整備することに関心をもちませんでした。pp.476-478
また、知の独占的アクセスを支配の基盤としていたレジーム(統治)があったにしても、それは実用的な知とは限りませんでした。チャビン・デ・ワンタルでは、それは神秘主義的な知であったと思われます(ノート29)。名簿、台帳、会計処理、監督、監査、文書アーカイブの保管といった技術もメソポタミアの神殿やエジプトの祖先崇拝、中国の神託の解読で生まれたものであり、実務から生じたものではありません。だから、社会が大規模になって複雑化したために、それらの情報管理技術として行政官僚が現れた訳ではないのです。p.478
それならば、専門的な行政管理技術はどこで生まれたのか?WDはシリアのテル・サビ・アブヤド遺跡(BC.6200頃)に注目して、小規模の共同体でそれが生まれたのではないかと推測するのです。テル・サビ・アブヤド遺跡は文字の発明に3,000年先立つ150人程度の後期新石器時代の村であり土製の幾何学的トークンを収めた「家政用書庫」があり、それによって資源の配分を記録していたようです。また、デザインが刻まれた印章があって、容器の栓に刻印するのに使われていました。そしてその栓の模様が照会できるように村のオフィスのような場所に集められて保管されていました。pp.478-479
テル・サビ・アブヤドの住居は均一で特に大きな家は無く、豪奢な埋葬も見られません。小規模な家族群が複雑な分業(家畜の放牧、穀物の播種・収穫・脱穀、亜麻を織る、土器作り、ビーズ作り、石彫り、冶金、、、子育て、老人のケア、家屋の建設とメンテ、冠婚葬祭)をしていたと考えられます。こうした複雑な分業を平等的にこなしていたであろう共同体は他にもありましたが、それらが記録保存技術を生み出したということは無いようです。pp.479-480
しかし、サビ・アブヤドに見られる新技術の導入はメソポタミア周辺の村々に大きな影響を与えたようです。都市が発生する2000年前に、この技術の普及に伴って村落間の個性の差が消えていったのです。家屋も土器も標準化されていきました。この期間はウバイド期と呼ばれています。そして、都市が現れる以前までは、村落内や村落間で格差が生まれることが阻止されるようにこうした技術が使われていたようだとWDは言います。つまり、こうした管理ツールは富を徴収したり蓄積したりするためではなく、それを防ぐためのものだった可能性があるというのです。pp.480-481
WDはもう一つの官僚制の起源として、アンデス村落共同体である「アイリュ」の例をあげます。平等原則を基礎に置いており、メンバーは同じ服を着て、川筋ごとに布地のデザインは同じでした。家族の大小で農地は再配分され、どこかの家族が特別に豊かになることを防いでいました。各家庭が季節労働の不足に陥らないように相互に手助けをしており、そのために若い男女の人数が把握され、高齢者や病弱者のケアも保証されていました。世帯間の貸し借りは記録が残され、年末にはすべての債券と債務が帳消しになります。「村落官僚制」です。こうした貸し借りを記録していたのがキープ(結縄)で、債務が発生したり帳消しになるたびに結んだり解いたりしていました。
ツールは違いますが、メソポタミアでの行政管理システムと同じ発想があったように見えますし、背景にあるのは平等の理念だったのだとWDは推測します。p.482
もちろん、こうしたシステムには危険性があります。他の社会組織法と結びつく時に公平・公正性を装うことができますし、特に征服者による暴力支配と結びつくと厄介です。暴力を独占する主権が、行政管理技術を社会的支配や専制のためのツールに転化させるということです。p.482
<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最初の市民革命?『万物の黎明』ノート25
世界最古の公共住宅事業?『万物の黎明』ノート26
征服者コルテスと交渉する人々『万物の黎明』ノート27
国家の3要素『万物の黎明』ノート28
「国家」未満?(第1次レジューム)『万物の黎明』ノート29
エジプトにおける「国家」の誕生『万物の黎明』ノート30
肥沃な三日月地帯の高地と低地『万物の黎明』ノート31
第2次レジーム『万物の黎明』ノート32
行政官僚制の起源『万物の黎明』ノート33
(このページです)
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)