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世界最古の市民革命? 『万物の黎明』ノート25

ノート23で、君主制以前のメソポタミア、ウクライナのメガサイト、インダス文明のモヘンジョダロという3つの事例を出していますが、最初は王がいなかったこと、戦士エリートが居た証拠もないこと、共同体の自己統治システムがあったらしいこと(その可能性があること)を著者たち(二人のデビットなので、以下WDと略します)は指摘しています。しかし、その伝統はひどく違うようでもあります。ウクライナのメガサイトとウルクの拡大(エクスパンション)の違いはその最たるものでしょう。

平等には二つの方向があります。「万人が全く同じ」であるべきとする社会と、「万人はそれぞれ異なるが、比較は意味がない」とする社会です。生活用品が標準化され、神殿の働き手に一律報酬が支払われ、合議制が取られていたメソポタミアは前者に傾いた社会であり、各世帯が独自の芸術スタイルと家庭内儀礼を持っていたと考えられるウクライナのメガサイトは後者に傾いた社会と考えられます。さらに言えばインダス川流域の社会は、厳格な平等性もあるけれども、それ以外の部分であからさまなヒエラルキーで補完されている社会だと想像できます。

世界のどの地域でも最初期の都市はその中身は様々にしても平等原則で建設されたケースが多々あったようです。そうであれば、都市のスケール(規模)に合わせて、社会階層(ヒエラルキー)が現れるという進化論的な歴史観は根拠が失われます。ここまで見てきた3例では集落の規模が劇的に増加したのに、富や権力が支配エリートに集中した痕跡がありませんでした。

だからといって、この3例が動乱、変革、体制転覆のリスクと無縁だった訳でもありません。モヘンジョダロでは都市滅亡の200年前に大沐浴場が荒廃しています。工房や一般住居が城塞区域に侵入し、大沐浴場跡にまで広がっています。市街区域には宮殿のような規模の建築物が現れ、工房を従えていました。それまでのヒエラルキーが別のものに変化したように見えます。そして、ウクライナのメガサイトと同様に都市は放棄され、英雄的貴族の支配するはるかに小規模の社会にとって代わられることになります。メソポタミアの諸都市にも宮殿が出現します。

非常に長い目でみれば、歴史は権威主義的な方向に進んでいるようにも見えます。しかし、その逆方向に動いた例もない訳ではありません。WDはそれを中国の例で示しています。

中国で起こっていた最初の都市革命

中国の最初の都市と、最古の王朝である「殷」のあいだには大きな隔たりがあります。初期都市時代と目されているBC2600〜の「龍山時代」には、黄河流域全体に土壁に囲まれた集落が広がっていました。その規模は300ヘクタールを超えるものから、村落規模の要塞化されたものまで様々です。大きな都市の多くに共同墓地があり、個々の墓には彫刻を施された祭祀用の玉が収められていました。これらの都市文明を、従来の中国の歴史書の中に収めることは困難です。

龍山文化の範囲:https://ja.wikipedia.org/wiki/龍山文化
龍山文化の土器 https://abc0120.net/words/abc2007100201.html

陕西省禿尾河のシーマオ遺跡はBC2000のもので、高度な工芸品と大量殺略された捕虜の埋葬が見つかっています。明らかに戦争の痕跡です。

シーマオ遺跡:https://jp.xinhuanet.com/2020-01/14/c_138703597.htm

その南の山西省の陶寺ではBC2300からBC1800にかけて3段階で発展しています。村落の跡地に、60ヘクタールの要塞都市が現れ、その後に300ヘクタールに拡大しているのです。初期と中期は、シーマイと同様の社会階層の証拠が見つかっています。巨大な城壁、道路網、防御された大規模な貯蔵エリアがあり、平民とエリートは厳格に分離されており、宮殿らしき建造物の周囲には工房やモニュメントが集まっていました。庶民の墓は質素でしたが、エリートの墓は豪勢な副葬品に満ちていました。明らかな階層社会です。

ところが、BC2000頃にこれが一変します。街の壁が取り壊され、平民の居住エリアが全域を覆い、大規模城壁をも越えて総面積が300ヘクタールに達しました。儀礼エリアは放棄され、宮殿があった場所には質の悪い建築が並び、ゴミ捨て場がそれを取り囲むようになります。町は首都の地位を失い、無政府状態にあったとみなされています。エリートの墓地に平民の墓が侵入しており、宮殿区域では損壊された(拷問跡のある)死体が集団埋葬されていました。政治的報復行為とみられ、このときの変革が暴力的なものだったと思われます。

ここまで、WDは発掘者たちの報告を引きながら解説をしているのですが、「無政府状態」が200〜300年続いたこと、都市面積が280ヘクタールから300ヘクタールに拡大していることなどから、「崩壊」した時代と捉えるよりも厳格な階級制度が廃止された後の「繁栄」を謳歌した時代ではないのかと疑義を挟みます。宮殿の崩壊後の都市はホッブス的「万人の万人にに対する戦争」に陥ることなく、より公平な自治システムを築いていたのではないかというのです。

これは世界最古の社会変革の事例なのでしょうか?WDはあくまでもその可能性があったと言うにとどめています。彼らが強調したいのは、規模の大きな都市でも、社会変革による可能性はあるのだということなのでしょう。

『万物の黎明』について(目次のページ

<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最古の市民革命?『万物の黎明』ノート25(このページです)

<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次) 
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)

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