新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノート3
本書でさんざん引き合いに出される「従来の通説」のひとつが新石器革命(農耕革命)です。研磨などの方法で、矢先やナイフのような精巧な石器が作られるようになったのが新石器時代ですが、この時代に農耕が開始されたことで人々がそれまでの狩猟採集生活を捨てて定住を始め、その結果として人口が増えて都市が作られ、それが大きくなって国家となったみたいな話は、今でも多くの本や記事でベースにされています。そして農耕開始以前の狩猟採集時代の人々はバンドと呼ばれるせいぜい数十人程度の数家族の集団で移動しながら暮らしていたとされます。ユヴァル・ハラリとかジャレド・ダイアモンドなどの人気作家も、ほぼこの史観で本を書いています。
ところが、どうもそのような順序で事が進行したようでもなさそうだという話は、以前から考古学者の間では議論されていたようです。考古学者ではありませんがJ.G.スコットは『反穀物の人類史』(2017)のなかで、人類最初の文明が始まったとされる肥沃な三日月地帯での遺跡から明らかになったことを以下のようにまとめています。本書よりは分かりやすく時系列でまとめられているので紹介しておきましょう。(J.G.スコットは本書の中でも肯定的に何度も言及される政治学者です。)
スコットのまとめた年表によれば、定住は紀元前1万2000年前に始まっており、動物の家畜化と植物の作物化はそれより3000年ほど遅れて紀元前9000年、そこから様々な作物化が行われて、さらに3000年ほど経ったあたりで町が形成されます(紀元前6000年)。そこから国家と言えるようなものが登場するのはさらに3000年後の紀元前3000年です。定住は農耕とは無関係に行われて国家の形成まで9000年かかり、農耕の開始から都市形成までも3000年かかっています。通説はこれらの出来事は、農耕をきっかけとして連鎖して起きたものと考え、新石器革命(農耕革命)と呼んだわけですが、「革命」と呼ぶには長い時間がかかっていますし、定住のきっかけは農耕という訳でもありません。
たとえば本書の中でも言及されているトルコのギョベクリ・テペは1960年代に発見された紀元前1万年から紀元前8000年にかけての遺跡で、まだ農業を開始していない狩猟採集民たちが建てた神殿跡です。狩猟採集民たちは決められた季節にここに集まって神殿建築を行い、祭祀を執り行って、宴会をしていたのではないかと言われています。私が以前読んだ「ナショナル・ジオグラフィック」誌には野生の麦でビールを作っていたという説も紹介されていました(麦粥という説もあります)。
有名なイギリスのストーンヘンジも興味深い事例です。次代はぐっと降って紀元前2500年から2000年のものですが、これを作った人々はやはり決められた季節に集まって、神殿建設と祭祀を行なっていたらしいのです。面白いことにイングランドでは一度穀物栽培が行われていたのですが、その農耕がいったん放棄されて家畜飼育とヘーゼルナッツ採集で暮らしていた時期にストーンヘンジは作られているのです。農耕によってもたらされた豊かさ(もしくは余剰)が巨大建築を産んだとする従来の史観を裏切る事例です。
従来の史観では、農耕が始まることで人々はバンド生活を捨てて定住し、農業のための灌漑工事を行うために集まることで町が出来て、農耕のもたらす豊かさで人口が増えて都市になって国家になったみたいな話ですが、人類は農耕開始以前の狩猟採集時代から集まって大規模建築をやっていたという事実はそれを覆します。当然、誰かが建築を統率・管理していたに違いありません。数十人のバンドで出来る話ではないのです。
ですから、一般向けの書物で採用されている新石器革命(農耕革命)という考え方は、以前から怪しくなっていました。それを示す格好の例が下に示す『世界史の窓』というサイトです。学校で学ぶ世界史の要点を文献を押さえながら詳細かつ的確にまとめており、退職した高校の歴史の先生が作っているのではないかと言われています。
https://www.y-history.net/appendix/wh0100-38_1.html
このサイトには「新石器革命/農業革命(農業の開始)」という項も立てられており、「約紀元前7000年頃、新石器時代の開始によって、人類が獲得経済から定住・生産経済(農業)に移行し、文明段階に移行した変革」という要約が与えられています。また、「人類は農耕・牧畜社会に移行し、食糧の安定的供給によって人口を増加させ、次の段階で、都市や文明を生み出していった」ともしています。
『世界史の窓』は新石器革命という概念を提唱したのはイギリスの考古学者ゴードン・チャイルド(1892~1957)だという説明を経て、「このチャイルドの提唱は、細部は別として、大筋では現在でも正しいと考えられ、常識化していると言える」としながらも、最近の(1990年代以降の)歴史書を引きながら「現在では農耕社会への移行は、どこか一ヶ所で一気に起こって世界中に広がったという「革命」的な変化ではなく、もっと長期的で、地域的に多様に展開した変化であったと見られて」いるとしています。
「細かいところは修正されているが、大筋は正しい」という見解をとっているわけです。引用されている歴史解説書でも「農業の始まりによって爆発的に生産が増え、人口が増大したこと」や「農業への転換とそれに伴う定住社会の発達、都市の勃興と専門の職人の登場、政治的宗教的権力を掌握した貴族階級の出現といった一連の現象」自体は認めており「大筋では正しい」と見解をなぞります。新石器革命を言い出したチャイルド自体、「生産力の上昇によって生まれた余剰が社会的分業を進展させたこと」が都市を生んだという見方をとっていました。
ところが本書『万物の黎明』では片端からこうした「大筋」さえも破壊していきます。定住と農耕とは無関係に始まったみたいですし、農耕開始以前から宗教的「権力」は発生していたようです。そうでなくてはギョベクリ・テペみたいな壮大な神殿は作ることはできません。アメリカ大陸でも、巨大な祭祀遺跡が農耕以前に作られています。この場合の「権力」が何なのかは色々と議論が必要でしょうけれども、農耕以前にも多数の人間を動員した巨大建築は行われていたのです。さらに言えば、こうした巨大建築を作った人々は「文明」を作っていたとは言えないでしょうか?いや、そもそも「文明」とは何かという議論が必要なのでしょうけれども、農耕の開始を文明成立の条件とする理由はなさそうです。
腰帯に書いてあるように本書はまさに「人類史を根本からくつがえ」しているのです。