ローマ法は特殊な法体系である 『万物の黎明』ノート37
著者たち(二人のデビットなので、以下WDと略します)によれば、ローマ法における自由の概念は特殊だといいます。「自分の財産を自分の好きなように処分する権利」なのです。さらにいえばローマ法における所有権は、権利というよりは権力です。普通に考えて、権利とは他者との交渉を通じて相互の義務を伴うものですが、ローマ法が言う「所有」は、対象物を好き勝手にできる(破壊もできる)ことを意味します。つまり人々との間の了解事項(権利)というよりは、人と対象物との間の絶対権力なのです。pp.575-576
この指摘は本書の中で何回か繰り返されていますが(第4章)、最終章でも言い足りないことがあったかのように、家父長制と奴隷制(暴力)に関連して(ノート36)、繰り返しています。
ローマ法の所有権は奴隷にも及びます。奴隷は人格を認められず、物として扱われますので、所有者(=主人)はそれ(=奴隷)を「自由」に壊す(=殺す)ことができるのです。そしてローマの法学者とは公の場では裁判官を務め、私生活では妻子に対しては家長であり、何十人、何100人もの奴隷に自分のケアをさせていた人たちであり、ローマの家父長とは奴隷をレイプしたり、拷問したり、切り刻んだり、殺害することも自由にできる人々であったことをWDは読者に想起させ、ローマ法のいう「自由」を具体的に描いて見せます。つまりは、恣意的な暴力の可能性が、親密なケアの空間(家庭)の中に持ち込まれていたということです。暴力とケアの結びつきは本書の中でも繰り返されていましたが、古代ローマにおいてもそれが極限に達していたということです。pp.576
WDがローマの法律で注目するのは
・敵は無差別的に攻撃対象であり、降伏した敵は殺されるか、「社会的な死者」(奴隷)として売買される
・奴隷は家庭の中で家父長とその家族へのケアに従事した、つまり親密な社会関係の中に組み込まれた
・家庭の中でケアと奴隷に対する暴力が同居していた
といった事柄です。そして世帯(ドムス)は支配(ドミネート)を意味していくこととなりました。pp.576-577
王国や帝国成立以前の戦争や大量虐殺の直接証拠は出ていますが、そこで捕虜がどう扱われたのかは、(殺されたのか、勝者の社会に組み込まれたのかは、)分かっていません。アメリカインディアンの事例から見るにさまざまな可能性があったようですが、一例として本書でたびたび登場した北米東部のウェンダット(ヒューロン)の例をWDは語り始めます。p.577
ウェンダットの属するイロコイ社会はある意味で交戦的な社会で、血生臭い抗争が繰り広げられていました。ウェンダットの戦争は「弔い合戦」であり、殺されたものの近親者の悲しみを和らげるためのものでした。戦士団は宿敵を攻撃し、頭の皮を数枚と捕虜を数名連れ帰ります。捕虜は名前を与えられて養子になり、いままでとは別人として社会の一員になるよう扱われますが、それに失敗すると拷問で処刑されます。その拷問は女子供を含む共同体全体の儀式として何日もかけて行われました。ウェンダットは子供を叱ることもなく、泥棒や殺人犯を直接罰することもせず、恣意的権力を匂わすことを一切しない社会であるだけに、その暴力性は驚くべきものですが、彼らは家庭内のケアの空間と捕虜に対する暴力とをくっきり分離していたとは言えるのです。その意味で古代ローマとは対照的です。pp.577-578
ウェンダットの暴力の意味を考える上で参考になるのは同時代のフランスです。フランスを訪れたウェンダットは公開処刑と死刑に先立つ拷問に仰天しました。外敵ではなく同族を処刑していたからです。ウェンダットでは暴力は家族や世帯の領域から完全に排除されていました。捕虜になった戦士は愛のあるケアを受けるか、処刑されるかのどちらかであって中間はありませんでした。潜在的暴力に晒されたローマの家内奴隷とはまったく違っていたのです。同国民をギロチンにかける制度とは、家庭内の奴隷を自由に処分できるローマ法に雛形があり、ウェンダットには理解できないものでした。p.580
当時の(アンシャンレジームの)フランス社会にしても帝政ローマにしても、世帯の家父長制が王の絶対権力の雛形となっていました。子は親に、妻は夫に、臣民は支配者に従うべきものでした。上位者は下位のものに対して自由に懲罰を行使することができると同時に、下位のものに対して愛や慈しみの感情をもつことが前提とされていました。ウェンダットでははっきりと分離していたものが、ここではケアと暴力が混濁(あるいは結合)しています。pp.580-581
このケアと暴力の混濁からどうして私たちは抜け出せなくなったのでしょうか?なぜ、互いに関係しあう方法を私たちは再創造できなくなってしまったのか、それを考えることが重要なのだとWDは言います。社会を再創造する能力を人類がなぜ消失したのか、それを問うべきだとWDは繰り返します。p.581
<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
後期旧石器時代の「社会」は広かった『万物の黎明』ノート17
分裂生成『万物の黎明』ノート18
私的所有権の起源 『万物の黎明』ノート19
農耕開始以前から社会はいろいろとあった 『万物の黎明』ノート20
奴隷制について 『万物の黎明』ノート21
農耕民は文化的劣等生だった『万物の黎明』ノート22
ダンバー数を超えると都市は出来るのか?『万物の黎明』ノート23
メソポタミア民主制『万物の黎明』ノート24
世界最初の市民革命?『万物の黎明』ノート25
世界最古の公共住宅事業?『万物の黎明』ノート26
征服者コルテスと交渉する人々『万物の黎明』ノート27
国家の3要素『万物の黎明』ノート28
「国家」未満?(第1次レジーム)『万物の黎明』ノート29
エジプトにおける「国家」の誕生『万物の黎明』ノート30
肥沃な三日月地帯の高地と低地『万物の黎明』ノート31
第2次レジーム『万物の黎明』ノート32
行政官僚の起源『万物の黎明』ノート33
女性の文明『万物の黎明』ノート34
北米国家解体の歴史『万物の黎明』ノート35
王様ごっこから君主制へ、そして暴力『万物の黎明』ノート36
ローマ法は特殊な法体系である『万物の黎明』ノート37 (このページです)
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)