人類の幼年期にサヨウナラ 『万物の黎明』ノート16
季節変動する社会が人類史では、ごく普通だったと著者たち(二人のデービットでWDと略します)は主張します。しかしこれは、社会は必ず一定の進化段階を経るはずだという社会進化論と合いません。季節変動をもつ狩猟採集民はバンドと国家のようなものを行ったり来たりするからです。社会進化論からすると進化したり退化したりするのであり、これは馬鹿げています。なので、社会進化論をWDは退けます。
さらに季節変動している社会で、期間限定で現れる権威主義的リーダーは「王様ごっこ」しているようなものだともWDは主張します。となると、平等的社会と階層社会を季節変動で行ったり来たりしている社会で「不平等の起源」を問うのは無意味です。問うべきなのは「なぜ私たちは閉塞(stack)したのか?」であるとWDはいいます。これは
なぜ社会は単一のものになってしまい、社会を組み替えることを人々はやめたのか?
季節変動社会を生きる人々が自覚していったはずの政治的自己意識が失われたのはなぜか?
地位や従属を季節的なかりそめの演技ではなくて、人間に不可避の要素として受け入れるようになったのか?
ゲーム(ごっこ遊び)はいつからゲーム(ごっこ遊び)であることが忘れられたのか?
などの問いを総括した表現なのですが、「これこそが問うべき真の問いである」として、これを以降の章で論じていくとしています。
「人間社会は元来平等だったが、文明化とともに支配と服従の社会に変質した」(ルソー型文明史観)だとか「人間社会は残酷で無秩序なものだっったが文明が平和をもたらした」(ホッブス型文明史観)みたいな「人類の幼年期」を設定する必要はないのだとWDは力説します。初期人類は今の私たちと同じくらい賢かったことを認めるべきだというのです。(人類は最初から賢い人(サピエンス)だった参照。)
それでは、何千年間の間、ヒエラルキーの構築と解体をくりかえしてきたホモ・サピエンスであるのに、現代の我々は永続的で御しがたい不平等の社会のなかにあるのか?いままでの「ビッグ・ヒストリー(人類史観)」は、それを農耕開始、都市への定住、土地所有などに求めてきましたが、そもそもそういう原因を想定すること自体が愚かなことなのではないかとWDは問いかけています。
『万物の黎明』について(目次のページ)
<ノート(トピック毎)>
万物の黎明というタイトル 『万物の黎明』ノート1
アドニスの庭 『万物の黎明』ノート2
新石器革命(農耕革命)は革命ではなかった 『万物の黎明』ノートその3
パラダイムシフト 『万物の黎明』ノートその4
「よくできた社会理論」は滑稽でもある 『万物の黎明』ノート5
蜃気楼としての「未開社会」 『万物の黎明』ノート6
国家の起源を語るのは無意味である 『万物の黎明』ノート7
選挙は民主主義では無い 『万物の黎明』ノート8
ルソーとホッブス 『万物の黎明』ノート9
森に逃げ帰ったインディアン 『万物の黎明』ノート10
北米インディアンによる批判からヨーロッパの啓蒙思想は始まった『万物の黎明』ノート11
ルソーの功罪 『万物の黎明』ノート12
人類は最初から「賢い人(ホモサピエンス)」だった 『万物の黎明』ノート13
季節変動する社会 『万物の黎明』ノート14
季節変動と王様ごっこ『万物の黎明』ノート15
人類の幼年期にサヨウナラ『万物の黎明』ノート16
(このページです)
<読書ノート(要約)>
『万物の黎明』読書ノート その0(前書き&目次)
『万物の黎明』読書ノート その1(第1章)
『万物の黎明』読書ノート その2(第2章)
『万物の黎明』読書ノート その3(第3章)
『万物の黎明』読書ノート その4(第4章)
『万物の黎明』読書ノート その5(第5章)
『万物の黎明』読書ノート その6(第6章)
『万物の黎明』読書ノート その7(第7章)
『万物の黎明』読書ノート その8(第8章)
『万物の黎明』読書ノート その9(第9章)
『万物の黎明』読書ノート その10(第10章)
『万物の黎明』読書ノート その11(第11章)
『万物の黎明』読書ノート その12(第12章)