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︎︎𝖺𝗆͜𝖺͉𝗓𝗈𝗇
福山雅治のCDを買った。
お届けを楽しみに待った。
届いてすぐ、おなじみの茶色い封筒を開けた。
CDを手に取った。
ジャケットの表と裏面を見た。
裏面には小さなヒビが入ってた。
何だかがっかりした。
新品未開封だった。
でも、と思った。
このCDを送られてきたのが、わたしで良かった。
そんなふうに思った。
わたし、我慢できる気がした。
そしてその時、(まったく詳しくはないけどたしか)『氷点』の主人公・陽子を思い出した。
小説を読んだわけではなかった。
30年ほど以前にテレビ朝日で、何度めかの映像化がされたはずだった。
それを少し見ただけだった。
翌日だったか、同じくドラマを見た友だちが言ったのだ。
「信じられる? お金を落としたら、フツーは悔しいとかしまった!と思うものじゃない? なのに主人公の陽子は、そのお金で恵まれない誰かを救えると思ってるのよ。拾った人が必ずしもお金のない人とは限らないし、交番に届けるかも知れないのに」
わたしは黙って聞いていた。
わたしは陽子のような考えを持っていなかった。
どちらかと言うと友だちの意見を支持したかった。
それでも黙っていた。
陽子のような考えを持たない自分を、恥ずべき人間だと思う気持ちになっていた。
わたしには主体性がなく、何かにそして誰かに感化され易いところがあった。
それは30数年経っても変われない、わたしの性格だった。
結局、CDを返品交換してもらうという気にはならなかった。
この子(CD)はわたしのもとにきたのだ。
これも何かのご縁かも知れないと思った。
その時には、陽子のことは既にわたしの頭の中にはなかった。
わたし自身が決めたことだった。
猫を飼っていた時、「この子がうちにきてくれて良かった」と思っていた。
しかし、生き物とCDのような物を、一緒にして良いものか、迷うのだった。
血が通っていると考えられなくもないが、どうなんだ?
だってこのCDも福山雅治が心血注いでつくった物、のはずだ。
幼稚園や小学校低学年では「ものをたいせつにしましょう」と教わった。
わたしのくだらない考察はここまでだ。
読んでくださった方、いらっしゃるのかな、なんて訝しみながら、文章を〆括ろうと思った。
有難うございました!