忘れ物は取りに戻りましょう 【第十八話】
汗をかいたアイスコーヒーのカップが半分以上なくなったところで、理久は信号の向こうから一際目立つ女を見つけた。
身長がどうとか顔がどうとか、そういうことではない。全身真っ黒なのだ。正直、葬式帰りと言われたら信じてしまうほどに黒い。腰まで伸びた長い髪も黒いものだから、顔がぽっかりと白く浮かんでいるようにさえ見える。メイクが濃いという印象はなかったはずだから、地肌が白いのだろう。悲しいかな、理久はそれが悩みだ。
その女は一瞬だけ理久と視線を合わせると、1ミリたりとも表情を変えずに自動扉へ吸い込まれていった。待ち合わせているのだから、真っ直ぐテラス席に来たとしても問題ないのに。
まあ、とにかく女は来た。
理久はスマホを手に取り、カレンダーアプリを起動した。今夜の予定を改めて確認する。警備のアルバイトが十九〜二八時、つまりは朝の四時まで。最近の中では一番長い勤務時間だ。今朝も──朝と言っていいのかはアレだが、十三時近くまで寝ていたから睡眠は足りている。
何があろうが、金を稼がないと暮らしていけないのだ。
「……早いな」
少し低い声が降ってきて、理久はアプリを開いたまま顔を上げる。
目の前とも言える距離にあの顔があって、思わず後退りそうになる。綺麗だからとかそういう話ではない。誤解のないように言っても、単純に、どこか人間らしくなくて怖いのだ。
「あ……どうぞ、座ってください、っす」
なんで敬語使ってんだと自分に突っ込みつつ、女──自称イズミが無言で頷き、静かに座ったのを見届ける。
「…………」
「…………」
「あの」
「あの」
「あっ先にどうぞ」
「あっ先にどうぞ」
思わず顔を見合わせた。さすがにここまで同時だと笑ってしまいそうになる。
だが、自称イズミの表情が全く変わらないこともあり、理久は肩をすくませるだけに留めた。そして改めて手を差し出し、「呼び出したのはそっちなんで……」と続ける。
ほんの少しの間を置いて、女は口を開いた。
「……どこから聞きたい」
「どこからっていうか……とりあえず、名前から?」
「…………夕日、泉」
「イズミ!?」
思わず大声が出てしまい、理久は慌てて手で口を抑える。
……偽名じゃなかったのか。
泉は微かに眉間に皺を寄せ、どうして理久が驚いているのかわかっていないように見えた。思ったとしても、自分の苗字と同じなことに驚いたのだろう程度のことだ。とてもじゃないが、『名乗った時に偽名だと思っていました』とは言えない。
「夕日泉、さん。社会人ですか」
「……大学四年」
「えっ若っ」
「あなたと大して変わらない。一回留年してるので」
「てことは今年……二十三? まじか。いっこしか変わんねぇじゃん」
理久の口調が一気に崩れる。劇団には同世代の人間がいないため、学生時代に戻ったような感覚になった。