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244 私の好きな漫画(アニメ)のキャラクター

 能登ボランティアの前日note、やっと下のリンク先のnoteを参考にする機会になりました。

「お前はどうなんだ」シリーズ第二弾で、私も考えて見たくなったのです。

 早速一人目。

上杉達也

 私にとっては間違いなく上杉達也。私が観た映画やテレビ、読んだマンガや小説の中でベスト・オブ・ベストのキャラクター。例に挙げた画像の表情もすることもポイント高い。
 マンガの最初の中三では双子の弟の応援に回ろうと思ったのに悪友の策略と突然の悲劇によって無理やり主人公にさせられる。突然手渡されたバトンを弟の代理として実現させるも、結局は自分、上杉達也としてその檜舞台の頂点に立つ。その舞台の様子は一コマもなかったけど、必要ない話しは描かないというあだちマンガの真骨頂。
 しかし上杉達也は一人では存在せず、友人や幼馴染みの叱咤と激励、そして自分自身の自覚がしっかり描かれて、応援したくなるキャラクターで、友人になりたい人間です。

クワトロ・バジーナ

 二人目はシャア・アズナブル。上記の画像はクワトロ・バジーナを名乗った頃のもので、本名はキャスバル・レム。ダイクン。シャアをいいなと思うのは桃香さん、千夏先輩や針生先輩などのキャラ造形の原型と思うから。
 仁菜ちゃんが憧れていた桃香さん、大喜くんが目標としていた千夏先輩に針生先輩、物語が進むにつれて三人とも欠点や限界のある一人の人間として私たちファンはもちろん、それぞれの主人公に知られていきました。その主人公の引き立て役の描き方、ガンダムシリーズのシャアが私の原体験だったのです。
 しかも例示したゼータのクワトロの時代以前、今週TVKの再放送で最終回を迎える『機動戦士ガンダム』の頃、終盤のララァ編で既にアムロの戦闘能力に手を焼く場面がある。その上で逆シャアの「ララァ・スンは私の母…」の迷台詞、つくづくシャアは富野由悠季が作り上げた生きたフィクションのキャラクター。

矢吹丈

 三人目はジョー、矢吹丈です。このキャラクターは今から振り返れば、私が出会ったフィクションでのロックなキャラクターです。そしてこんな元気をくれるような笑顔が出来る一方、リングの上では鬼気迫る、あるいは求道者のような表情をするとい意味で、上杉達也の先輩格とも思ってて。
 しかし何と言っても最大の魅力は段平のおっちゃんという力強いコーチがいたとはいえ、己の拳でなり上がっていく姿。それはケンカだけは強いはぐれものが世間で認められる可能性のある数少ない舞台、ボクシングというスポーツがあったればこそ。私自身はそこまで腕力がない代わりに不幸な境遇でもなかったですが、その生きざまには憧れていたと今になって思ってて。

ルパン三世

 そして四人目はルパン三世。自由という概念、思想を突き詰めるとこうなるという、海外を含めてもアニメとして破格のキャラクター。何せ人も殺す銃を持つ犯罪者だもん。アルセーヌ・ルパンの孫という設定とはいえ、どこでそれを思いついたのか、そしてなぜ二枚目にならずに済んだのか、つくづくこんなキャラクターを生み出したモンキー・パンチ氏の独創性は計り知れず。私はそこに犯罪者になる気はなくても悪のかっこよさ、悪のプロの非情さを見せつけられました。
 だから私にとってルパン三世は旧ルパンとマモー編、そしてレベッカがヒロインのPART4なのです。

 そして五人目です。実は私も五人目で難渋してます。一つにつき一人という原則を外せば浅倉南が挙げられる。原則を守れば倉上ひなた、アシリパ、後藤喜一が候補。
 しかしアシリパさんは変顔するヒロインという特別があるけど、その他の点では典型的な(必ずしも悪い意味ではないですが)活劇のヒロイン。それなら鶴見中尉の方がキャラクターとして魅力だけど、それでは比較論になってしまう。
 また後藤隊長は魅力的なキャラクターだけどキャラ造形に感心こそすれ、これだ、という感慨はなかったと記憶したる。ぼざろは最近過ぎるし、ヤマトはその意味ではこれぞというキャラクターは私にとってはいない。だからやっぱりこれが五人目。

倉上ひなた

 青い空と白い雲と言うことでタッチの遺伝子をしっかり受け継いでいるヤマノススメだけど、山は一人ひとりが自分の足で一歩ずつ歩いていく場所。そう、主人公の雪村あおいを巻き込んで同じことをさせるという意味で、ミサンガの同志の猪股大喜と鹿野千夏とは違う同志的意味が、あおいとひなたにはある。
 アニメを最初に観て、『アオのハコ』のように途中からマンガも読んでわかったのは、あおいとひなたはあくまで友だちと言うこと。当たり前と思うかもしれませんが二人には物理的な距離も物質の縛りも、一緒に山ガールを始めてからは特にない。二人の障害は二人の関係ではなく、二人が挑む/登る山そのものだから。
 しかし同行二人という言葉を思い起こせば、私たちファン/視聴者の一人ひとりに倉上ひなたという相棒は実際にいなくても、心の中にはいるという理屈になる。実際、ひなたの親が初登場はセカンドシーズンの後半だけど父親だけだし、ひなたの内面や親との関係は原作でも滅多の描かれない。
 私はそれを千夏先輩のようにキャラを固定させないためというよりは、劇中に存在するものなのか、曖昧にしたかったためと思いいたったのです。それにしては劇中で存在感抜群だけど。(大塩高志)


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