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201 もう一つの『アオのハコ』① #156「勝つことが」

 コンコン。
 私が大喜くんが帰って来たのを一階に降りて確認して自分の部屋に引き上げた後、軽い気持ちいい音のノックがあった。階段を上がる音はなかったしご両親が私に用事を言うには遅すぎる時間。私に用があるのは大喜くんしか考えられない時間、すると玄関で自分のバッグに突っ伏したのは狸だったことになる。
「俺です。入って良いですか」
 私は大喜くんがノブを回す前、ドアに駆け寄って開けてあげたのです。
「入って」
 さっき玄関で見たけどやっぱり大喜くんの顔が見たい。それも一瞬でもできるだけ近くで見たかったから、近すぎて戸惑う大喜くんの表情さえ私の元気の素だった。
 でも、狸をやったということは大喜くんのお父さんと私の会話を聞かれたということになる。私はベッドに腰掛け、大喜くんは私がいつも使っている回転椅子に座る。真面目だなあと思ったけど、話しぶりも大喜くんらしい真面目さがにじみ出ていた。
「千夏先輩、さっきの親父との話し、聞いていました」
「どう思った、大喜くん?」
 自分でどう思ったかは言いたくない。強気と弱気が交錯した発言と自分では思うけど、まず先入観なしに大喜くんの素直な見方を聞きたかった。
「慎重で強引、先輩らしかったです」
「そう」
 大喜くんは私をわかってくれたと思うことができ、安堵した。どうも私は恋人になった大喜くんさえ信じきれない所がある。
「でも親父の言うこともわかるんで」
 性別で語って欲しくない思いはあるけど、やっぱりそういうものがあるのかもと、大喜くんの話しを聞かなければと思った。
「そもそも千夏先輩、居候させてもらってるという後ろめたさがあったといっても恋人を隠す必要があったのかと」
「大喜くん、大喜くんがそれを言う?」
 私の声はちょっと悲鳴になっていた。秘密にしようということは私の立場を慮って大喜くんから言い出したことだった。それを否定するのは大喜くんの判断の自己否定そのものだった。
「だからですよ、俺も大バカだったんです。恋人になった時点ですぐ周囲に告知してインターハイを目指せば、俺も千夏先輩も違った結果になったんじゃないかって」
「でも大喜くんはインターハイに行けたでしょ?」
「そして一回戦で負けた。でもですよ」
 大喜くんの瞳は極めて真面目で真剣だった。私への強い想いから言ってくれていることは明白だった。
「もし行く前にハグしてくれなかったらストレートで負けてました」
 一年のときの県予選での一回戦、遊佐くんとの対戦の悪夢が蘇ったんだと思う。しかし私が以前指摘した新顔の負けパターンを覆し、諦めなかった大喜くんは2ゲーム目を何とか取った。しかしそれで目が覚めた対戦相手、冷静な試合運びで大喜くんの挑戦をはねのけた、そんな展開だったんだと察することが出来たのです。
「俺の地力がなかったから一勝もできなかった。でも身体は動いたし相手も見えた。だから相手がどれだけ凄いかもわかった」
 大喜くんの言いたいことが見えてきた。相手が凄すぎると自分の計量器では測れない。でも大喜くんほどの実力があれば計量器が振り切れることはないと。しかし私のその見方は若干間違っていたようだった。
「それは多分あの東屋で千夏先輩の思いを直接感じられたからと思うんです。どれだけ千夏先輩が俺を思ってくれているか。そして」
 恥かしいことを言ってくれる。でも私の大喜くんへの裸の思いを私自身に告げられ、嬉しくないわけがない。
「俺自身が千夏先輩をどれだけ好きなのかを」
 大喜くんも私に精一杯の告白をしてくれた。でもそれがどう話に結び付くのか、感情が私の中で渦巻いてしまってなかなか論理的に考えられなくなる。
「だからですよ千夏先輩。この想いをあの最初から表現できていれば、つまり最初から周囲に知られて俺と千夏先輩が付き合っていれば」
 大喜くんの話しはそこで途切れた。それ以上は詮無いこと、生産的でないと悟ったからと思う。しかし私は思ったのです。ならばウソでももう一つの、あり得たかもしれない私たちの物語を書いてもいいのではないかと。
 私が大喜くんを押し倒した時点で中断している本編も続ける一方で、氷上の告白以後のパラレルワールドを書いても面白いのではないかと。どこまで書けるかわかりませんが、とりあえず今日は前口上で終えることにします。


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