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165 二次小説『アオのハコ』⑲ 第五話「水族館」、その2

 池袋の水族館といったらもちろん、駅から5分のサンシャイン水族館。受付でチケットを買い、入場する。会場は暗く、照明は水槽を照らす照明、そして海の生き物が漂う水槽そのもの。私たち、私と大喜くんの青春の青は未熟という意味もあるけど、海底や海中を模した水槽の青はここの生き物が暮らす場所、神秘的だと思ってた。
 私は率先してその暗闇と神秘の場所に大喜くんを誘ったけど、少しはしゃいで先に入場したのは照れもあったのです。初めての男の子とのデート、それも一緒に住んでいる家の息子さん、どんな感情になるかと思ったらなんだ、私も花恋からさんざん針生くんとの話を聞かされたように、恋する女の子だったんだ。水族館までの五分間、隣で歩く大喜くんの気配、ついつい見てしまう大喜くんの横顔、それを見て拍動は高まるのににやけてしまう。私は本当に大喜くんが好きだと改めて気づき、一旦離れて(大喜くんには申し上げないけど)心臓を落ちつかせようと思ったのです。
 私はサンゴ礁の海からはじまり、それこそ小さな子供のようにあちこちめぐり回る。それに大喜くんはどう思っているかちょっと不安だったけど、一瞬目をむけるとそれほど不満な表情ではないように思え、安心してた。
 そしたら水槽の外と中で大喜くんと四角いお魚(後で調べたらハコフグでした)が左右で向き合ってた。私はすかさずスマホを取りだし、ポイントをゲットしたのです。隠し撮りでなく、ちゃんと
「大喜くん」
 と言ってこっちに目をむけさせたあと。
「えっ」
「いいね」
「何撮ってるんですかっ」
 私にとっては大喜くんとの初デート。
「記念記念」
「消してください」
「ダーメ、ちゃんと記念に残しておかないと」
 スマホだから撮影日時が残る。私はこの写真を一生の宝物にしようと思ったのです。さらにケープくんに抱きついたり水中のイルカを眺めたり。陸上に上がってよちよち歩きする姿は可愛らしかったけど、水中で泳ぐ姿は鳥だった。でも胴体はムチムチで可愛い。
「ムチムチ?」
「両側からワシってしたい」
「ペンギンって冷たいんですかね」
 大喜くんは何を想像してるか、頭のなかを覗いてみたくなる。大喜くんも同じ思いだったのかも知れない。私は顔を斜めにむけて右の大喜くんを見、大喜くんは顔を水槽にむけたまま左目を私にむける。でもすぐに大喜くんは顔をそむけてしまい、なかなか恋人の雰囲気になれない。
 そのとき私にとって幸運なこと、小五くらいの小さい男の子が私の左にぶつかってきたのです。左目の端で気づいていたから左足を左にずらす時間的余裕はあった。でも私はとっさに判断し、男の子のぶつかるに任せて私は右腕を、大喜くんの左腕に触れるにまかせたのです。蒸し暑くなっていく時期、私も大喜くんも半袖。私は大喜くんの素肌に不可抗力という形でふれることができたのです。
 もちろん親御さんとそのお子さんが謝ってくれ、私たちは気持ちよくその家族と別れることができました。そしてまた、あるいはまだ、同じ水槽の前で私と大喜くんは佇む。私は池袋駅から歩いてきた時と違い、心臓は落ち着いていながら横にいる大喜くんの感じを楽しむことができていた。
「そろそろ帰りましょうか」
「あ」
 それを大喜くんは私がこんなに楽しい顔を見せてるのに、夢の時間なら早く終わらせていつも通りに戻りたいかのような態度をとる。そんな対応をとられたら私は大喜くんを引きとめ、家路で言おうと思っていた大喜くんへの「ごめんね」を言うしかなかった。
「待って! 実は」
 私は大喜くんのバッグを掴み、大喜くんは振り返ってくれたのです。
「今日、大喜くんに話したいことがあって」
 言う覚悟はあっても面とむかって、そして公共の場。そして大喜くんには正直でありたいと思ってたから、言葉を発するまで少し時間が必要だった。でもこの間、私からの告白と思われると気付いてしまった。でも私は大喜くんにがっかりされようが今は謝罪すべきだと、それをしなければ私と大喜くんの関係は私のせいで進まないと思っていたのです。
「なんですか?」
「大喜くん。ごめんね」
「え…と。ごめんって…」
「この前『来年も再来年もある』って言ったこと」
 ずいぶん経ってから大喜くんが盗み聞きしていたことを言ってくれた。私もおばさんとの話が一区切りついた直後に大喜くんがリビングに入ってきたから、聞かれたかもと思ってはいたのです。でも私は自分の口から一部始終を話したかった。それが一番私の負担になるけど、大喜くんに対する一番の誠実と思ったのです。
「えっ、あ、あれですか」
「大喜くんが頑張ってるのを知ってたのに、無神経だったなって思って」
 でも私にしても正面向いてメランコリックな表情は晒すけど、大喜くんの顔に目をむけることはできない。
「あれ以来話す機会もなくて。ちゃんと謝らないで。このままなあなあになって。そのまま一緒に暮らしていくのも嫌だから」
 そして私はやっと大喜くんの目を見れた。それが単なる謝罪でないのをわかってほしいと思いながら。
「だから今日は、ちゃんと謝りたかったの」
 大喜くんのリアクションは。
「そういうことかぁ」
 ため息をついてへたり込んだのです。まぁそうなるよね、告白の期待を裏切っての大喜くんへの謝罪の言葉。真面目で堅物ととられ、大喜くんを失望させたと察することができた。しかしそれは間違い。大喜くんはやっぱり私が好きな大喜くんだった。
「千夏先輩は気遣いすぎですよ。俺あんまりひきずらないというか。むしろそういう考えもあるのかって思うし」
 私は地区大会前夜に私に見せた別れ際の態度、そのわだかまりのまま高校バドの最初の戦いに臨んだとばかり思っていた。
「むしろそんなモヤモヤをここ一週間抱えて生活してたんだった方がショックなくらいで」
 しかし私は居候の身。そこ、猪股家にいさせてもらうためには猪股家の人に気を遣い、日本に残る理由のバスケで結果を残さなければならない。それを大喜くんはわかってくれていた。大喜くんはしゃがんだままスマホを取りだして。
「ちょっと待ってください。あ、これだ」
 今度は私のスマホが鳴り、未読一件のLINEを開いたらリンクが張ってあった。開くとここサンシャイン水族館のマスコットキャラクター、ケープくんのスタンプ。大喜くんはそのなかの「ねえねえ」を私のLINEに改めて送ってくれたのです。
「もしうちに住んでて居心地悪かったり、俺に言いたいことがあったらこのスタンプを送ってください」
 それは私のためのお守りだった。たとえ送らなくてもそれを眺めるだけで頑張れる、私はそのとき純粋に思ったのです。
「無言でいいので。そしたら俺が話を聞きに行きます」
 だから私はさっそくそのスタンプを使うことにした。一回、二回、三回。頬が火照っている私の顔を晒しながら。
「……何か言いたいことが」
「んー、そうだなぁ」
 何か思いつく前に押していた。そのときは必ず送りますというサインだった。でも送った以上何か言わなきゃ。そこで私は大喜くんに対して一番無難な、隠れた意味を込めることができる一言を言ってあげたのです。私もしゃがんで目の高さを同じにして。
「大喜くんはいい同居人だね」
 やっぱり大喜くんはちょっと残念がった顔。この顔がこのときの私の癒しになっていた。
 

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