145 二次小説『アオのハコ』④ 第一話「千夏先輩」、その2
その日の放課後、女バスの部活中、小休憩の時間に顧問の先生女バスの監督に声をかけられた。ロビーのある出入り口の外にでて、先生監督が申し出てきたのはマスコミ対応だった。もちろん顧問の先生監督や担任の先生には、私がこの春に両親と一緒に海外に行ってしまうことを言ってある。だからこのときの話し合いは、顧問の先生監督にとってはダメもとのお願いであり、いつ日本を出るかという最終確認でしかなかった。そのときの私の表情、部活や試合のときの情熱やはつらつや笑顔はなく、やけに事務的で他人行儀だったと覚えてくれていた。
実際、私の気持ちはマスコミ取材を気持ちよく受けて、日本に残ってインターハイへ邁進したかった。しかしそれは私の我がままによって鹿野家を心理的にはともかく物理的に分断することを意味する。そしてどうしてもと言い張れば両親も折れて私の気持ちを尊重してくれて、私を日本に残すための時間的余裕も十分にあった。でも私は自分が納得できる理由で日本に残りたかった。それを見つけられず、焦りと苛立ちでラフプレーを一度ならずしてしまい、絶対の距離からのシュートも失敗が目立っていた。
だから一人体育館に残り、雑念を振り払いたくてシュート練習に集中しようとしていたのです。
「いのまたたいきくん?」
そんな気分のときに大喜くんは体育館に舞い戻ってきた。忘れ物を取りに来ただけだったようだけど、それで私は大喜くんと話すことができたのです。電源管理の人はいるけど広い体育館、声が聞かれることのない密室でもあった。
「まだ練習してたんですか。オーバーワークはよくないですよ」
「そうなんだけど」
私は猪股くんを見てなかった。見られてるのはわかってたけど、面とむかって感情をコントロールする自信がなかった。
「今は少しでもボールを触っていたいんだよね」
これがこの時点で私が大喜くんに告白できたギリギリ。私の事情を知らない大喜くんの理解、それがそれほど見当違いでないと想像でき、私はチラ見したあとで大喜くんにボールを投げたのです。
「1on1しよ!」
そして始まった私と大喜くんの一騎打ち。もちろん私がディフェンスでもオフェンスでも差を見せつけることができ、大喜くんが降参するまでラブゲームを通すことができた。しかし大喜くんは私からボールを盗れないまでも足は速い。それにバドで相手の体重移動を子細に観察していたらしく、たびたび進行方向を妨害されて思ったほどシュート数を稼ぐことができなかった。そして調子がいい私でも百発百中ゴールに入れられるわけではない。スポーツ選手としての大喜くんを体感できた出来事だった。
「さすがバド部。いい動きしてるね」
私は悠々とシュート練習をする一方、私より体重がある大喜くんは座りこんでる。
「母親がバスケ部だったんで、時々一緒にやってはいて」
そして私は少しずつ打ち明けたのです。
「うちのお母さんもバスケ部で、ミニバス入る前から一緒にしてたんだよね」
でも大喜くんはバド部。
「バスケやろうとは思わなかったの?」
「チームプレーが向いてないみたいで」
「え?」
私はボールを拾いに行ったあとで大喜くんに目をむけると、やけに渋くて残念な顔をしていた。
「一人で突っ走るとか…」
「ごめん…」
私は苦笑いしてた。それが猪股大喜くんだと納得できたのです。
「それに好きなんですよね」
だからそれに続く大喜くんの告白、私には得心がいくものだった。
「バドのコートに一人立って、全責任が自分にのしかかってくる感じ。勝っても負けても、自分のおかげで自分のせいですし」
「どMだね」
ちょっとこのときの私には眩しすぎた。それを素直に受けとめる勇気も度量もなかったから、ついからかうような台詞を言ってしまったのです。でもそれでは大喜くんが惚れる鹿野千夏とは若干のずれがあるかも知れず、ゴールに視線をうつして素直な言葉を言うことにしたのです。
「でも安心した。だからあんなに練習熱心なんだ」
「先輩に言われても…」
「せっかく褒めたのに!」
台詞は聞こえなくても電源管理の人には仲睦まじい恋人同士に見えたと思う。私も大喜くんの想いに気づき、自分自身の心を知ってしまっているから、こそばゆいこの二人だけの空間を楽しんでいた。しかし。
「だって千夏先輩。中学引退の翌日も練習してたじゃないですか」
「――え?」
胡坐をして私から目をそらして言ってくれた言葉に、私の意識は過去にとばされた。あれを大喜くんは見ていたんだ。恥ずかしいとは思わなかった。嬉しかった。それで私を好いてくれたと思うことができた。
この大喜くんとの語らいから遡ること一年半、私は中学校の体育館で涙を落としながらオレンジ色のボールを、高さ3.05メートルのリングに何度も何度も投げ入れてた。自分の不甲斐なさが悔しかった。実力はあった。チームワークも良かった。しかし自信のほどは砂上の楼閣だった。ちょっとした決定的なミスで瓦解し、中学生で未熟な私に対処できるわけもなく、ギリギリのところで全国を逃した、その翌日の口惜し涙だった。それを後日だけど大喜くんは知ってくれていたのです。
「よっぽと悔しかったんだろうなぁ、そんなに悔しがれるくらい頑張ったんだろうなって思うと」
私に聞こえたのはそこまでだった。こんな人と出会えるなんてこれっきりと思うことができた。私は顔を赤くして涙をこぼす寸前だった。
「え?」
私が返した言葉は、
「忘れてた」
だったのです。
そして職員の方が見えて片づけることになり、大喜くんが投げ入れた最後の一個がボール籠につめられたボールに跳ね返され、大喜くんと競争するように追いかけていったのです。それは同志と一緒に同じ目標を追いかける、心地いい一瞬だった。そして私たちは同時に最後の一個を掴むことができ、そのとき私の右手人差し指はボールを掴んでいる大喜くんの左手人差し指にかかったのです。運動で私の手が温まっていたからか、思ったほど熱を感じなかった。でも正面から見つめ合ってしまって少し色っぽいふれあいと自覚してしまい、もう少しそのままでいたかったけど照れが出るまえにボールを引きとったのです。
もちろん、
「ありがとう」
という言葉をそえて。大喜くんは、
「いえ」
という返事を目をそらして言ってくれたのです。そして私は大喜くんのため、そして私自身のために決めたのです。