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171 二次小説『アオのハコ』㉑ 第六話「がんばれって言って」、その1

 私は整体師さんから角を二回曲がる家路を歩く。尾けている足音は派手な水音をしているはずだったけど完全に雨脚の音にまぎれていた。だから私は徒歩で五分もかからない夜道を考えごとをしながら歩いていく余裕があったのです。私が感じた蝶野さんの気持ち、それだけでは単なる親愛の情に拠るものと言えるけど。しかし私はその考えを一旦脇に置き、猪股家の門を開ける。
「おかえりなさい」
 私が家の扉を開ける前に大喜くんが顔を見せた。
「どこか行くの?」
「コンビニ行こうかと…」
 でも私が施術をしてもらっている時から降っていた雨、一時小降りになったけどまた道路に跳ね返される音は激しくなっていた。
「けどやめておきます」
「連絡くれたら寄って来たのに」
 それはもちろん結果論。そして大喜くんがそれをしたら私はスマホを忘れたことに気づき、この後の展開が変わっていたはずだった。しかしこのときの私は自分の失態に本当に気づかず、不意打ちに蝶野さんの剣幕を受けることになったのです。
「いのまたたいき、これはどういうことだ!」
「雛!?」
「なんで栄明のヒロイン、鹿野千夏が。栄明のじゃがいも、猪股大喜の家に入っていって、『おかえり』と言われているのか!」
 私は尾けられていたんだ。でも蝶野さんに他人のプライバシーをのぞき見する趣味があるようには見えなかった。人を信じすぎかもしれないけどお互い高校生、駆け引きができる年齢ではないからこのときの私の思いつきは間違ってなかったと思う。
「説明してもらおうか!」
 だから私はあえてコメディにしていると思えた蝶野さんの呼びかけに対し、大喜くんに頷いて返したあげたのです。それで蝶野さんは大喜くんの部屋に入り、私に関することの顛末を話してくれたのです。そしてです。
 これ以後、私の出番はしばらくなく、大喜くんと蝶野さんの関わりがつづきます。それをどうしようかと思いましたが、やはり蝶野さんに語ってもらうことにしました。それで私の主観ではもれていた大喜くんの人間関係が立体的に捉えられ、蝶野さんの想いが直接知ることができ、小説としてより面白くなると思ったのです。それでは引き継ぎます。

 私と大喜が幼馴染みというのはちょっと語弊がある。たしかに近所だから小さい時から知っていた。でもその話は追々するとして、まずは千夏先輩が猪股家の門を開けるのを見た場面から。もちろん私にとって衝撃だった。そしてそれを隠して私と親友していた大喜、普通に学生やっている振りでさっき私とおしゃべりした千夏先輩に対し、裏切られたと思った。
 でもこの気持ちのまま二人と対峙するのはあまりにも失礼だろう。一旦冷静になり、明日悪戯っぽく大喜を責め立てよう。でも私の手には千夏先輩を尾けてしまった理由のスマホ。今では買い物や予定や記録や連絡など、あって当たり前でないなんて日常が考えられない必需品。私は千夏先輩の生活のために一芝居打ってやった。
「なんで栄明のヒロイン、鹿野千夏が。栄明のじゃがいも、猪股大喜の家に入っていって『おかえり』と言われているのか! 説明してもらおうか!」
 私も重い空気は苦手だ。塀の外で跳ねて顔を見せ、気が楽になるよう心掛けたつもりだった。それが功を奏したか、大喜でなく千夏先輩が頷いてくれたっけ。
 そして三人一緒に大喜の家に入ったけど、そこで私は千夏先輩に一矢報いることができた。
「千夏先輩、大喜が連絡しても先輩はわからないですよ」
「え?」
「はい先輩」
 私は大喜の目の前で、千夏先輩のお茶目を教えてあげた。
「蝶野さん、これどこで?」
 千夏先輩の慌てた顔、部活での純粋で真剣な顔しか知らないから新鮮で気持ちいい。
「施術室にありましたって。着替えと一緒に出して戻さなかったんじゃないですか」
「ありがとう蝶野さん」
 そして千夏先輩には引き払ってもらい、改めて大喜に問いただす。
「教えてもらおうか」
 飽くまで悪戯っぽい表情を隠さずに。そして教えてもらったのが第一話「千夏先輩」で書かれたことの顛末だった。
「なるほど。千夏先輩のご両親が海外に行っている間、大喜の家に預かっていると」
「ごめん…千夏先輩とのこと応援してくれてたのに。今まで黙ってて」
 そうなった経緯も含めて洗いざらい説明してくれた。第一話とこの時私に話してくれたこと、事実関係に違いがなかったから今回改めて大喜の誠実がわかって私は今さら嬉しくなる。
「まぁ正直ショックだよね、そんなに信用ないんだって」
「…ごめん」
「親友だと思ってたんだけどな」
 大喜の気持ちもわからなくはない。でも、
「相手があの千夏先輩だから心配してたのに。お家に帰って2人の時間を楽しんでいたとは」
 私はそう話しながら正座していた大喜の腿にジャンプを七冊置いてやった。
「ひ、ひなさん?!」
「それで5時間耐えたら許してやろう」
 事情を聞いてしまった以上、千夏先輩のためにも、ここが大事、あくまで千夏先輩のために私は大喜の味方になるしかなかった。
「大喜だけじゃなく千夏先輩のことでもあるから色んな人に言うわけにいかないのもわかるし。協力するって言っても大して何もしてなかったしね」
 大喜に文句を言った以上、私も謙遜する必要がある。実際この時点で二人の仲に、大喜に対して精神的な応援をし、ついさっき千夏先輩に大喜の株を上げておいたものの、それ以上の作為をしていなかったのは事実だった。
「ありがとう」
 だからこれだけで大喜から礼を言われても何だかね。それにさっきの千夏先輩と大喜の関係から見ると、どうもステディな関係になっているとは思えない。
「でも二ヶ月一緒に住んでてこれってヘタレすぎない?」
「なっ!」
 やっぱり。図星だったんだ。しかしじゃあ、二人はどういう仲だ?
 でも最近、大喜と千夏先輩の距離が近いと感じた理由は解けた。大喜の方は私と匡に白状したようにもともと千夏先輩に気がある。なら千夏先輩の方は? いくら母親が女バス仲間で早朝練習で見知った男子といっても、嫌いな異性の家に住んだりしないはず。そうすると…。
 久しぶりに学校の勉強以外で身体を離れて思考を巡らせ、前を見てなかった。
「すみません」
 私が謝ったのは電信柱。まるでマンガだ。でも私はこの観客のいない一人コントに苦笑ができなかった。
(何してるんだ。私は)
 この私のモノローグは私の性格から考えて、何バカやってるんだろう、というニュアンスのはずだった。でもこの時の私はblueの気持ちだった。
 そして次の日の放課後、県大会へのチェックの意味も兼ねて、レオタードでの私の新体操の演技のお披露目。手足を大きく伸ばせてその意味では審査員にアピールできると思うことができた。でも。
「さすが蝶野さん! これならIHベスト3、いや優勝だって十分狙えるわよ!」
 人をその気にさせるには最適任の新体操部の顧問の先生。私はそれに芝居ががった台詞で応えてあげた。
「任せてくださいこの蝶野雛。その名のごとく蝶のように美しく舞ってきます」
 そして先輩たちの激励を受けながら、私は女バスの方に目を向ける。言うまでもなく千夏先輩が元気に部活を率いていた。それを見たら私も気を引き締めるしかない。私の演技に浮かれる新体操部の仲間を振り切り、体育館を飛び出して階段の踊り場で一人になって演技のおさらいをする。
 実はフリを間違えそうだった。それで次のフリもワンテンポ遅れた。昨日仕上がったと思った私の演技だったけど、雑念が入り込んで細かいところまでの意識が疎かになった結果だった。アニメ『タッチ』では南ちゃんの演技はあっても実際にどう難しいかは描かれてなかったけど、私は痛いほどわかる。その時の感情がまともに表現されてしまうのが新体操という競技。だから成功と失敗は紙一重。もし本番でミスでもしたら―…。
 ――まずい。ネガティブのループで自分で勝手に不調を増幅するパターンだ。この蝶野雛、失敗の理由を知ってるから未然に立て直すことができる。ここは気持ちを楽にする時だった。
(大丈夫大丈夫、私は蝶野雛だぞ)
 気を落ちつかせるため、私は水を飲むことにした。そしたらちょうど椅子が並ぶロビーに私の軽口相手、猪股大喜がいた。だから私は気軽に横から大声をかけてやった。
「何してんの!?」
「雛っ! なんでもないよ!」
「ははーん、また隠しごとかね?」
 これが大喜への殺し文句。何でも白状する武器とわかって言ってみた。「違うよ。踏み込んだら足の爪が肉に」
「わーやめて! 言わないで!」
 何でも答えてくれることはわかったけどこれはいらない。大喜の横にあった救急箱を確認すべきだった。
「ちゃんと消毒しなよ」
 私はそうつぶやいた後、大喜が自分で手当てしている右足の足首にミサンガを見つけた。これまでわからなかったのは靴下を履いていたからだろうけど。
「大喜。そういうのつけるタイプだっけ」
 大喜は神社にお参りしても何かをお守りにしていたか、私は記憶になかった。
「これはっ!」
 大喜は一瞬言いよどんだ。でもまた「隠しごと?」と言われるのが嫌だったんだと思う。大喜は私に正直に話してしまった(そう、「しまった」)のです。
「千夏先輩からもらったんだよ」
「え」
 衝撃だった。だから私はボケと分かって返した。
「もしや付き合ってる? それも隠してる?」
「これは色恋関係なくてッ。ただお互いIHを目指す同志的なやつで」
 私は当てられた。大喜と千夏先輩、こんな二人の関係は私には眩しすぎた。だから茶化して終えるしかなかった。
「ノロケごちです」
「違うから!」
 私は体育館に戻る。そこには女バスのミニゲームで千夏先輩がドリブルで相手を振り回して走り、バドの大喜はスマッシュの練習を繰り返していた。
 そんな二人は同じ目標を目指す同志。じゃあきっと練習がしんどい時はお互いに同志のこと思い出したりして、自分と同じくらい頑張っている人がいるって、励ましたりして。二人はそういう関係なんだ。
 多分千夏先輩も右足首にミサンガを巻いてる。そう思いつき、何て尊い関係だろうと私は涙をこぼしていた。羨ましい。妬みも持った。でも大会前にナイーブになってると自分で取り繕った。
(私は一人で戦わないと。一人で平気だもん)
 その時の私は必死にそう思おうとした。

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