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172 二次小説『アオのハコ』㉒ 第六話「がんばれって言って」、その2

 私は一念発起して登下校の時間も新体操のために充てることにした。近所の川の岸辺、それこそ『タッチ』で南と達也が佇むような場所で、夕日を浴びて人知れず踊ってみたり。あの日みたいに暗い時間に傘を差さなければならない日でも水が跳ねるのもいとわずステップを確認したり。そこまではまだ良かった。
 やり過ぎだと後でわかったのは夜公園のブランコでスマホを見てしまったことだった。自分の演技にためらいを持ってしまい、スマホでオリンピックの演技を観てしまったことだった。観たことではなく暗くなって外でが問題だ。その結果はすぐ翌日の部活にでた。
 ウォーミングアップを終えての演技の練習、Tシャツと五分丈のパンツを履いてだったが目測を誤った。リボンの捕捉をたびたび失敗する始末。
「蝶野さん体調でも悪いの?」
「いやぁドラマ観てたら寝不足気味で」
「睡眠は大事よ」
 私に対しては親が親だから、新体操に関しても健康管理に関しても誰も具体的なアドバイスをしてくれない。せいぜい顧問からのこんな一般論だけだった。
「すいません」
 私は愛想つきで謝るしかなかった。
「調子悪そうだな」
 聞こえてるぞ匡!
「珍しい。いくら緊張しててもいつも演技は完璧なのに」
 今度は大喜。二人とも心配してくれているんだ。だから笑顔を二人に向けたかったけど顧問に向けた愛想笑いを何故かできなかった。大喜が手を挙げて答えてくれたのに目を逸らしてしまった。
「あれ滅茶苦茶調子悪いって」
 そんな大喜の大声を背に、私は一旦体育館を後にすることにした。
(よしよしこれでOK。大喜が女子と仲良くしていると千夏先輩引いちゃうかもしれないしね。邪魔になったら悪いし)
「お花摘みに行こう」
 私は新体操部の二人を連れ立って外に出た。
(しばらく親友はお休みしよう)
 それが私にとって、そして大喜や千夏先輩にとっても最善と思うことにした。
 しかし次の日も掴んだり掴みそこなったり。絶不調の真っ最中だった。さすがに私も焦りが出てくる。
「雛少し休憩したら」
「大会前だからって根詰めすぎだよ」
 昨日一緒にさぼってくれた二人に心配される始末。
「大丈夫大丈夫。失敗は成功のもとだから!」
 だからそう弁解しながらもその指摘には有り難く思った。
「でも一旦リフレッシュしてくるね」
 私はロビーの出入り口、入ってすぐの自販機のスポーツドリンクを飲む。身体が火照って頭にも血が上っている状態だったのが、口から喉、喉から胃に冷たいものが降りてきて内側から私の身体を冷やしてくれる。それで少しは思考が戻ってきた。
(とは言っても皆心配してるよな、情けない。いつも自信満々に振る舞ってるのに)
「しっかりしないと」
 ネガティブでもポジティブに転換できる心の余裕からでたものなら悪いことではない。それが新体操の経験からわかった私の考え方だ。そんな心持ちで掲示板にふと目を向け、イラスト入りのお知らせに目が留まった。
「ダサイクイノシシ」
 久しぶりに笑ったような気がした。でもそんな小さな幸福を一気に吹き飛ばす、私にとっての核弾頭が飛んできた。
「蝶野さん!」
「教頭先生」
 別に教頭先生が苦手なタイプという訳ではない。
「見ましたよ! 新聞のインタビュー記事! いやぁ新体操の実力だけじゃなく受け答えまで素晴らしい!」
「ありがとうございます」
 自慢になるけどスポーツ強豪の栄明でも一番顔が知られているのがこの蝶野雛。大人の対応を迫られる時も沢山ある。
「最近はどうだい? 演技の方は。もうすぐ大会でしょ」
「問題ないです」
 顔で笑って心で泣く。
「そうかそうか。いやぁ自己管理がしっかりしてるなぁ。さすが蝶野弘彦さんの娘さんだ。なんたって日本代表だもんなぁ」
 これこれ。私を一人の学生として見てくれてない。
「お父様は来校されないのかな。是非今度ご挨拶もね」
「話しておきます」
 大人社会のおためごかし、子供(親の子供という意味でなく子供としての子供)の私に取り入るってどうなの!? 笑顔をあくまで向けていたけど、腸は煮えくり返っていた。
「いやぁ立派立派」
 教頭先生が無責任に去っていく後ろ姿を見ながら、私の気持ちが猫背になっていくのを自覚してた。
 期待、全中4位、父親の功績、取材、みんなの心配、調整メニュー、新体操部の星、我慢。私はそんなにすごい人じゃないのに。高校三年で新体操に専念したときの浅倉南のように、普通の高校一年生なのに。とはいっても、今になって周りの人の気持ちもわからなくはない。でもそれは今のところ別の話。
 こんな精神的に猫背になってしまった時、私に必要なものは自分でわかっていた。バカ真っ直ぐで、前に進むことしか考えてないような奴と軽口を叩きたかった。体育館に戻るとすぐにそいつを見つけることができた。でもその真っ直ぐは部活に向けられ、それを中断することは私の好きな大喜を邪魔することだった。
 私は気づいてしまった。胸がギュッと締め付けられた。だから私は側面の出入り口から外に出た。そうだった、私は一人でなんとかしないと。やっぱりそう私は決意するしかなかった。
 そして私は次の日から基礎から、身体を作ることから始めた。外でも体育館でも手足を曲げ伸ばし、指先や足の方向も注意をむけ、股や腰の開き具合を確認する。そうして初めて用具を手にし、大会でかける曲を流してもらう。さすが私の身体、短期間で私の要求に応えてくれ、顧問や仲間に安堵させることができた。
 もちろん英明で一番新体操を知る私、今の状況が不安定なものであることはわかっている。でも過剰な不安は大敵。県予選は通過すればいい。全国大会までに調整すればと、今の状態から逆算してトレーニングを計画しようと思いを巡らせて体育館の通路を歩いていた。
 そんな不安定は崩れるのも容易い。この時は迂闊なことに曲を聴いていて演技のイメージに思考を集中していたため、実際の周囲の状況に即座に対応できなかった。体育館から出てきた男子の一人にぶつかられ、尻もちをついてしまった。しかも左足首を内に曲げ、左膝を畳んでしまった。
 ――捻った? テーピングすれば…、でももし痛みに気を取られて…。
 思考は千々に乱れ、収拾がつかない。自分では無理だった。誰か助けて欲しかった。
「立てるか」
 声をかけてくれたのは大喜だった。なんでここに。バドやってるはずなのに。
「とりあえず保健室行くぞ」
「いい! 一人で行けるよ!」
 そう大喜に行った後、ぶつかって心配したくれた人たちを下がらせてあげた。反射的に大喜と二人になりたかったと思う。でもそれとは違う思いもあった。
「ほら、千夏先輩に見られたらまずいし」
 私はそんなことを思ってた。自分の気持ちに薄々感づいていながら、自分を裏切ることを言ってしまう。
「はぁ? 今それどうでもいいことだろ。『世界の中心はこの雛さまだから!』みたいな顔しといて。肝心な時に余計なこと考えすぎ」
 なんでそんなに私に優しいの? 私は多分、この時自棄になりたかった。新体操からも恋からも一旦ご破算して、普通の高校生になりたかったんだと思う。
「今は雛のこと一番に考えていいんだぞ」
 しかし私が一番に気を許せるこの男子、クラスメイトはそれを許してくれなかった。そして私は結局は、そんな大喜の想い、「新体操の蝶野雛」に応えてしまった。
「ほらつかまれ。せーの」
 私は右手を大喜の首の右側にかけ、その右手を大喜は左手で支えてくれた。その行動が私をさらに苦しませるのを恐らく知らずに。
(やだよ。やめてよ。気付きたくないんだって)
 そして新体操でも私は復活しなければならないことを意味していた。

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