
242 二次小説『アオのハコ』53 第十三話「ラリーしたいです」、その5
健吾は兵藤さんと話してる。別にこれから対戦する者同士で会話してはならないという決まりはないけど、私はそれを見て羨ましく思った。私がいる芸能の世界はなかなか基準がはっきりしないから先輩後輩には仲良くできるけど、同じ年代や芸歴の期間に多様時間が同じような女の子とはなかなか親密に出来ない。だからユニフォームを着ていても試合直前でも言葉をかけられる関係、点数競技で勝ち負けがはっきりしているからこそ出来る美しい関係だと思えた。
健吾に後で聞いたところ、話題は何と猪股大喜くんのこと、この小説で兵藤さんが書いた内容だったけど、初めて健吾から聞いた時に結構驚いた。健吾を散々手玉に取ってきた兵藤さんが、健吾よりさらに一学年下の栄明の選手の面倒を見るなんて、私は何かないとしないと信じられなかった。
そして健吾からの去り際、兵頭さんからのやり取りだけは実際に記す必要がある。
「針生。お前は今日俺から1ゲームは取らないと来年は来られないからな」
「何言ってるんですか。こっちは勝ちに来てるんですよ」
健吾のその意気は善し。但し今から振り返れば兵藤さんに強がりを言うのは良いとしても、自分を過信してこれまでの悪循環になってやしなかったか? これから記す試合の結果を知ってこの会話を伏線として書く今だからこそ、私はそんなことを思ってしまう。
しかしこの時は私は健吾の試合に満足してない、そのことだけを思っていた。一回戦、二回戦と健吾は勝ち進んだけど、常に相手の裏をかくトリッキーなバドで相手を翻弄するだけで、健吾はまだまだ実力を出し切っていない。その真価が試されるのが兵藤さんの試合。観戦中は胃が痛いし祈るような気持ちだけど、振り返ってれば毎回満足した自分がいた。
「ラブオール」
両者〇点という意味。審判のコールで試合は始まった。しかし…。健吾も勿論ダブルスコアまでは点差が開いていない。でも兵藤さんとの差が逃げ水になっていることは今回も変わりない。そして私は気づいた。一回戦、二回戦までにはあった思い切りの良さが兵藤さんとのこの三回戦には出ていないことに。
相手が事前に構えたところから絶対に外すことのできる健吾のバド、それを兵藤さんに徹底的に読まれている弱みから、無難な返しをしていると素人の私でも、このカードを再三観ているからわかってしまう。健吾は兵藤さんに負けるイメージが付きすぎてしまっていた。1ゲーム目は21対15で兵藤さんが先制。私はまたかと思ってしまい、目をつぶっとしまった。
そして2ゲーム目。私はどっちにしても健吾は負けると覚悟した。この2ゲーム目を取っても兵藤さんと健吾は実力差、と言って悪ければ健吾の負け犬の時間が長すぎた。きっと3ゲーム目で兵藤さんは一段違うバドのスキルを見せつける。それに健吾は愕然とするはずだ。またそうでなければ私が好きな、バドに夢中な健吾ではない。
だから私は一矢報いてと叫びたかった。私の願いは通じた。一回戦、二回戦とは違うバド、とはいっても1ゲーム目の負けパターンの弱気のバドとも違う。かなり後になってわかったけどその一生懸命、気迫のバド、それは隣で一緒に一生懸命応援してくれている大喜くんのバドだった。そう、健吾はいつも大喜くんの練習相手になってやったつもりが、ここに来て大喜くんの全力のバドで勝負に出た。そして健吾は技巧も何もあったもんじゃない、全力で脚を使って兵藤さんの球に追いつき、ついに1ゲームを取り返した。