161 二次小説『アオのハコ』⑰ 第四話「あいつが勝ったら」、その4
そして一週間後、今度は大喜くんのバド、シングルスの地区大会の日。しかし私は大喜くんを見送れなかった。私の女バスのほうでも公式戦ではなかったけど練習試合があり、一足先に家をでたのです。もちろん家をでる時、「頑張ってね」。声をかけることができた。
たとえ練習試合でも疎かにできない。部活練習とはちがいより本番にちかい形式。意識の上でも状況的にも、これまで内輪で培ってきた技術と方法論がどこまで通用するか、その試金石であり実証の場であった。
一旦学校に行ってマイクロバスで北高にむかう。その近くでこの日のバドの地区大会、大喜くんが戦うことは英明から北高へのルートを調べてわかったことだった。バスケは時間制で開始が決まれば終了も決まるけど、バドは得点制。大喜くんの順番を見ると時間的には間に合うか間に合わないか、一ゲーム一ゲームの長さでどちらにもなる、微妙な順番だった。
私も女バスの部員、女バス第一だから事前に大喜くんのバドのことを言っていたのは渚だけだった。だから渚が率先して、試合が終わったあとで更衣室で言ってくれたのです。
「今日近くでバド部が大会やってるんだって」
「行く行く!」
そして渚、私の他に二人が同行してくれたのです。もちろん監督には別行動することを許してもらい、バスで帰るチームメイトに笑顔で見送ったあとで。
会場へは出場している学校の学生だと、生徒手帳を見せたら気持ちよく対応してくれ、難なく入ることができたのです。そして入場。会場が何面も使って試合をやっているのに比べ、観客はまばら。もちろん地区大会レベルだからカメラもあまりなく、身内だけの催しと一瞬思いつく。
でも一人ひとり、選手の挙動、表情を観察すれば決してお遊びでやっていないことがわかる。一打一打が緊張漲っていること、競技は違っても私の運動部の感覚が教えていた。そして。
「おつかれー」
栄明のバド部をみつけ、渚のほかに一緒に来てくれた二人のうちの一人が私より先に声をかけてくれた。
「女バスじゃん。何でここにいんの」
「隣の北高で練習試合してて。バド部が大会っていうから」
真っ先に反応したのは針生くん。やっぱりバド部のエースだった。これ以降も、二人の会話がつづいていく。
「誰か試合してんの?」
「俺のペアの一年」
「あーあの子か。応援しよ」
私は観客席に入ったあとは先頭のチームメイトに付いて行くだけだった。視線はほとんど会場のコートにむけていて、だから大喜くんを視認したのも針生くんと合流するずいぶん前だった。だから渚をふくめた三人は少し降りて針生くんとならんで応援してくれたけど、私は一人、少しの階段を降りることなく観戦する。私一人で大喜くんの晴れ舞台を見てあげたかったのです。
「私たちが来たせい? 攻められてばっかなんだけど」
「いるよな。『私がみてるとフィギュア選手がジャンプ失敗する』とかいうやつ」
これは私たちと同じ二年、西田さんの台詞。針生くんと仲が良く、バド部の陽気なムードメーカー。私もちょっと心配になる。熾烈を極めた部内戦ではもっと積極的にスマッシュをだしていた。それがなぜこうも受け身受け身に徹するのか。緊張しっぱなしなのかと。
「多分あいつの作戦だよ」
――作戦? 針生くんの言葉だけど、針生くんとペアを組んでいるけど高校入学して二か月余り、そんな頭脳戦ができるものなのか、好きになった男の子だからこそ、引いて見なければと思っていた。
「スマッシュの速さに慣れるのに時間かかるし。大喜立ち上がり遅いから」
そう指摘されて私も大喜くんのゲームを注視する。
「序盤はレシーブに回って、相手が疲れるのを待ってるんだろ。よく見るとちゃんと相手を動かすようにレシーブしてるし」
本当だった。相手は右に左に行き来している。かと思えば手前や奥にボールを散らし、パターンになって読まれることのないように私にも見えた。
「あいつにしては頭使うようになったな」
この針生くんの分析が本当ならと、私はこの夏の大喜くんの活躍を、インターハイさえ夢見たのです。その直後、笠原匡くんが試合のために席をはずして、私のところにやってきたのです。実はこの小説でたびたび名前があがった大喜くんや蝶野さんとつるんでいた男の子、春休み中に四人でパイプ椅子を持ち運んだことはあったけど、面とむかったのはこれが初めてだったのです。
「近くで見ないんですか」
「あ、うん。ここで」
「そうですか。あの俺、色々事情知ってて」
そう、ここで私に顔をむけている笠原匡くん、私が猪股家に居候していることを大喜くんから話した唯一の友だちだった。大喜くんもこれについて話す相手が欲しいと、私に言って来てくれたことがあるのです。そのとき私は大喜くんを信じるよと言ったのです。
「大喜くんから聞いてる。信頼してるから話したって――」
その直後、大喜くんは相手のスマッシュを打ち逃してしまう。目測を間違え、大喜くんのラケットの上を通った。
「あ」
私は小さく声をあげ、手すりを掴んだ両手に力が入ってた。
「やっぱり大会は緊張感あるね。一球一球の重みが違うというか」
今までは眼下で身体を動かす選手の立場だったから全力を出すだけだったけど、昨年まで応援に来てくれた両親やクラスのみんなはこんな思いをしていたのかと、あらためて青春の熱とまっすぐさに当てられてた。
しかし笠原くんはそんなに私の感傷に容赦なく干渉する。
「知ってます? あの試合、千夏先輩の連絡先かかってるらしいんですよ」
「え゛?」
これには私もコメディ、戸惑いの対応を禁じ得なく。なんでと訝しんで漸く大喜くんの対戦相手を見やると、あのモヒカンには見覚えがある。もちろん後年知ったパンクロックの派手な髪型でなく、頭の中央のラインだけ普通の髪の長さのかわいいヘアスタイル。目は見ようによっては可愛い大きな目。それは昨年の栄明の文化祭に来てくれた男の子。なぜ印象に残ってるかというと、廊下に落ちてた財布にその子の写真があり、ちょうどその髪型から廊下の向こうに見えて、届けることができたから。
「ちなみに言い出しっぺは針生先輩なので」
私はだいたいの経緯は察せられたけど、大喜くんを本気にさせるための一考とは察せられたけど、「私は賭けの対象じゃない!」。そんな念を前方の針生くんに送ってた。
「けど大喜が勝ってもなんのプラスもないんです…」
ということは、私は漠然とでも察せられ、笠原くんは何て友だち思いだろうと思うことができたのです。
「だから先輩。あいつが勝ったら水族館でも連れてってやってくれませんかね」
「え?」
予想通りの言葉でもやっぱり私は驚く。笠原くん、大喜くんが私を好きなこと知ってる? 知ってるどころか、すでに大喜くんが自分で笠原くんに白状していたけど、私はどんな経緯であれバレていることは察せられたのです。
「明日丁度体育館使えなくて、部活も休みなので」
それは前から私も知っていた。
「それにあいつが頑張れているのは、先輩の影響もあるんで」
ここまで読んでいただければ、私も同じ思いでいたことはおわかりと思います。でも私は白を切る。
「私にそんな影響力なんて」
私から言うべきことじゃないと思った。私が否定したあと、どんな反論があるか聞きたかった。私も計算高い嫌なやつだけど、その反論にその人のゆずれない意見があると、一学年上の私はわかってた。
「ありまくりですよ。『単身日本に残ってまでIH目指す覚悟!!』、もっというと『朝一で練習してる人がいた、俺もやる!』、影響されやすいやつなんです」
大喜くんらしい。微笑ましく聞いていた。
「昔からこれって決めたらがむしゃらなやつではあったけど。ここ最近の大喜は、友だちから見てもよくやってるなと思うといいますか」
我がことのように嬉しい、それをこのとき私は確かに知ったのです。
「前のあいつだったらあんな羽根取れてなかったと思うんです」
ネットの上ギリギリ、力強いスマッシュを大喜くんは打ち返した。
「レシーブに回るなんて作戦も耐えられなかっただろうし、技術も体力も着実に力がついてきていて…それはきっと身近に同じ目標の人がいるから」
それで私には十分だった。大喜くんの思い、笠原くんの思いやり、そして私の気持ち。それが目の前で繰り広げられている大喜くんのシングルスの試合であり、水族館だと。
「だからもし成果が出たならちょっとくらいご褒美があってもいいと思うんですよね」
その笠原くんの言葉の直後、大喜くんは反撃の狼煙のような強烈なスマッシュ! 相手は目も追えず固まってた。
「うしゃっ!」
大喜くんの雄叫び。観客席から距離があるのにたしかに聞こえたのです。そこに私は大喜くんの未来を見、私の気持ちものせて笠原くんに告げたのです。
「いいよ。大喜くんが勝ったら水族館」
そのときの笠原くんへの笑顔、眼下で頑張っている大喜くんに向けてだったこと、聡明な笠原くんは気づいたはずだった。