224 もう一つの『アオのハコ』② #108「決着ついたでしょ」
一月四日、氷になった池で大喜くんから告白され、私が返事をして恋人同になった私たち、初めは猪股家の人たちにも学校の友だちにも秘密にしようということになった。もともと少しずつ仲を深めていった私と大喜くんだから、告白し合って付き合いだしたとしてもバレないだろうと思えたのです。それに大喜くん、そして私も初めての彼女で彼氏で嬉しすぎていっぱいいっぱいなところがあったし。
しかしそれなりに時間が経って最初の興奮が落ち着き、それでも私は大喜くんに対する、大喜くんは私に対する想いがほかほかで考えるだけでにやけてしまう時期、私が大喜くんに夢佳の今を話して大喜くんが怪訝な態度を示してから状況が変わっていった。メタになってしまいますがここからが私たちの事実を記した物語でなく偽史、あり得たかもしれない物語になります。
「千夏先輩、夢佳さんがバスケやって嬉しいですか?」
私は絶句した。今さら自分のやったこと、私と大喜くんが恋人になった切っ掛けを否定するのか、でも誠実な大喜くんがそんなことを考えるはずがない。夢佳がバスケを再開したことも私と夢佳が仲直りしたことも、大喜くんは喜んでくれたはずだ。だから私は悲しく、こう訊くしかなかった。
「大喜くん、何でそんなこと訊くの?」
「いや、私も夢佳さんがもう一回バスケを始めてそれを千夏先輩が喜んでいるのは嬉しいです。でもです」
「でも?」
私の声は気弱だった。でも顔を上げて大喜くんの顔を、眼差しを見ることはできた。それはいつものはつらつさとは違う、少し陰のある雰囲気があった。
「もしかしたら、千夏先輩のインターハイの最大の障害になるかも知れません」
「え…」
「千夏先輩吃驚しましたね」
大喜くんに見透かされてる。そして自分の迂闊さに気づくことが出来た。
「そして二年もブランクがあると、夢佳さんを見くびっている」
それは正に私の傲慢さだった。でもそれに気づく大喜くんを怖くも感じてしまった。大喜くんは私の表情、その表情の裏にある私の心を察せられるはずなのに、どんどん攻めてくる。
「でも千夏先輩。相手を見くびって返り討ちに遭うのが去年の籠原、その相手は栄明です」
大喜くんの言いたいことはわかった。でも私にも意地がある。バスケでは私の方が専門家だ。
「でも夢佳は二年もブランクがあるし」
「教える分にはあまり関係ないです。それにバスケの番組や雑誌、全然チェックしてなかったと思いますか?」
そこまで考えられるなんて。
「どうして大喜くんはそんなことを思いつけるの?」
「一つの切っ掛けで卒業するには夢佳さんのバスケ歴は長すぎます。それに」
「それに?」
「夢佳さんのバスケ歴は千夏先輩より若干ですが長いです」
小二でバスケをやり始めた時、私の手本は夢佳だった。
「だから見くびるなと?」
「はい」
大喜くんは力強く答えたのです。でも大喜くんにとって、私に言うべきことはこれからが本題だった。
「だから千夏先輩、やっぱり俺と千夏先輩が付き合いだしたこと、言いましょう」
「え…、誰に…?」
言うまでもない、大喜くんはそんな表情をしていた。それを冷たく私は感じ、心細くなってしまう。
「大喜くん、黙ってることで私を守ってくれるんじゃなかったの?」
「俺も最初はそう思ってました、でも上杉達也がなぜ甲子園に行けたのか、スラッガー新田を打ち取り強豪須見工に勝ったのか、それがわかって秘密にしてる場合じゃないぞと」
「上杉達也って、マンガでしょ?」
私たちが生まれる遥か前、二十世紀に流行った恋愛を絡めた野球マンガ。私も中学で本格的にバスケに打ち込みはじめる前後、一通り読んだことがある。上杉達也と浅倉南、大喜くんと私の関係に似ていなくもない。でも。
「所詮マンガでしょ?」
「そうなんですけどそのマンガをよく読みこむと、明青が勝ったのはそれほど荒唐無稽でない理由があったと思えてきて」
「何それ?」
私には見当がつかなかった。
「センチメンタリズム、感傷です。亡き弟の夢を受け継ぐというドラマです」
確かにそれはマンガ、アニメ『タッチ』の一つのテーマで、上杉達也にとってはそれをも越えて自立するのが命題だった。
「一方の新田率いる須見工は春夏併せて五回連続の甲子園出場がかかった地区予選決勝。千夏先輩ならどっちを応援しますか?」
そこまで言われて漸く私も合点がいった。
「つまりタッチの世界で、マスコミの報道などもあり、明青学園ファンが結構いた。それは強豪須見工を追いつめるほどのプレッシャーだったと」
「そうでなければ新田明男も上杉和也の亡霊観て空振りしないと思います」
大喜くんの分析に私は呆れるしかない。でもそれが私と大喜くんが付き合ってることを明かすこととどう結びつくのか、どうもこうもない、私も朧気に大喜くんの主張が読めてきた。だから私はその時を言ってみた。
「でも私と大喜くん引き離されるかもよ」
「俺が断固拒否します。うちの両親には今まで通りいさせて下さいって」「でもうちの父は…」
私の父は口下手だから何を考えてるのかわからない。だから私は問題が起きた時、最悪を想定して接しがちだった。
「それはその時考えましょう。今は夢佳さんがバスケに復帰して、それでも栄明がインターハイに行ける手立てを考えるべきです」
「つまり私が海外に行く可能性があったことも明かすと? でもそれじゃあ私の父が」
私の母、妻からの説得があったらにしても一人娘の私の無理を聞いてくれた私の父、感謝しこそすれ悪く思うことは私にはできない。
「俺もそこには気を遣います。だから千夏先輩は自分から家族のことを打ち明ける必要はないです。俺が泥を被りますよ。だから」
「だから?」
「千夏先輩も周囲の雑音が大きくなるでしょうがインターハイに突き進んでください。俺もそれに追いついていくので」
そして大喜くんと私、覚悟した物語が始まった。