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231 二次小説『アオのハコ』㊼ コミックス7巻 #57「私は知ってる」、#58「右と左」
#57「私は知ってる」
西田先輩が聞いた話を匡から聞いたからまた聞きのまた聞きの形になるけど、針生先輩は大喜の部活の態度を見て、成長を実感できない努力はしんどいのにと言ったという。それは目標が一回負けた遊佐くんであり、その時の強敵のイメージが際限なく膨らんでいく結果と思う。ただし努力を続けるから実力が付いて行くわけだから、実際の対戦でもそのイメージに引きずられるのでなければ、その態度は自分を成長させる強力な武器になることがある。ここでは触れる余裕はないけど、この蝶野雛が正にそんな経験をしたことがある。
しかし速い、羽根のやり取り。バドと似た競技に誰でも思いうかべるテニスがあるけど、羽根に当てるために着いて行くだけでも足の速さ、腕の的確な振り、上体の捻り、様々な無理が生じているとアスリートの一人として察することができた。
これがテニスなら玉の速さはそれほどでもないから追いつくことは難しくない。ただテニスのボールはバドの羽根より重いから、それを重いラケットの硬いガットで受け止めるから、身体全体の体力が必要になる。そう考えるとバドとテニス、ラケットで物を打ち合い、失敗したら失敗させた方に得点が入るという競技の特徴は似てるけど、求められる身体は真逆とも言える。
そして試合。大喜は長いラリーからのショットを外してしまう。精神的にも良くないはずだ。後日針生先輩もそう言葉にしたという。大喜はしばし佇み、呼吸を整える。遊佐くんは武士の情けか、それを静かに見守ってる。
そして再開。大喜の足は、腕は!? そして眼差しは。足と腕は全然鈍ってない。眼差しも打ち返す羽根に集中してる。私は早朝の体育館で大喜が千夏先輩と同じ空間で練習していたこと、ずいぶん後になるまで知らなかった。でもこの場での大喜の闘争心は本物だと頭ではなく感覚で認識できた。
大喜と先輩がお互いの口惜しさの場面を見ていたことも、そうして結ばれた尊い関係だということも知らなかった。でも私は改めて対岸の千夏先輩を見て、先輩が惚れたのは、そう、私は同居を知ってから千夏先輩の大喜への想いを察していた、このバドに真摯な猪股大喜とわかってしまった。
私が好きだった大喜とは全く違う大喜。私は新体操から離れた場で気安い親友の延長で好きになったけど、千夏先輩にとっては正にミサンガの同志だと改めて気づいてしまった。
そして息詰まるラリー。
「いけっ大喜っ!」
大声をかけたのは同志の千夏先輩。私は最初の余裕は何処へやら、息詰まる打ち合いを見逃すまいと見つめ続けるしかできなかった。
そしてスマッシュ! 大喜はファイナルゲームに持ち込んだ。
#58「右と左」
そしてファイナルゲーム。ラリー、ショット、スマッシュと大喜と遊佐くんの技量は殆ど互角。取ったり取られたりを繰り返してる。でもよく見てみると主導権は大喜が取っていた。むしろ遊佐くんの方が反応して返すのが精一杯と私には見えた。それでも大喜からたびたびポイントを取るから、初めての対戦で大喜が惨敗したのも頷ける。
問題はスコア。私はどっちかが点を入れるたびにこのファイナルゲームは特に手動式の点数を見ていたけど、実は遊佐くんが多い時がなかった。三点差は流石になかったけど常に一点差か二点差、相手にあせりを誘うプレースタイルで大喜は戦うことが出来ていた。
その原因はやっぱり足。遊佐くんも常に瞬発力で動きまわったにしては終盤でも良く動いていた。この試合前に観ていた対戦でのチャレンジャー側に比べれば、最初より遅くなったといっても十分速い。大喜の羽根に殆ど追いつけていた。
対して大喜。足だけは鍛えてると自分で言ってたことがあるけど、ここでその真価が表れた形だった。身体が火照って汗みどろ、吐く息だって荒くなってるのに足だけは身体の反応に追いついて、的確な打球が打てる場所に着く。もちろんそこから放たれる打球は遊佐くん同様、最初に比べれば鈍くはあった。でも結局は足のスタミナの差が大喜と遊佐くん、二人の得点という結果に表れていた。
のだけと改めて遊佐くんを見る。大汗かいて疲労の感はぬぐえず、自分が負けてるのを知ってるはずなのに。笑っていた。勝負の世界、なぜ負けているのに笑う? そう疑問を持つ人もいると思うけど私はわかってしまった。多分バドの天才と煽てられてきたけど、二年先輩の兵頭さん以外、自分の実力に見合う相手をバド強豪の佐知川でさえ見つけられなかったと。
しかし練習試合とはいえ自分を負かしてくれる相手を見つけた。孤高が孤高でなくなり、一緒に切磋琢磨していける相手を見つけた。つまりライバル。アスリートにとってこんな幸福なことはない。この蝶野雛さまがいうのだから間違いない。
そしてゲームセット! 19対21、勝者猪股!
「すごーーい! 勝ったよ猪股くん!」
「さっ。劇の練習に戻ろっ!」
「え。何か声かけたりしなくといいの」
になになは親友だけどわかってない。あんなの見せられたらうずうずしちゃうじゃん。今の私の課題は新体操でなく文化祭でやる劇。大喜は私に勝負の世界に踏み込んだと宣言した。それなら私も行動する義務があるじゃん。
でもそんな思いは私だけじゃなかった。私の対岸で観ていた千夏先輩、そして大喜自身もやる気が溢れたという。あんな姿見たら当然と言えば当然。多分この試合を観戦できた観客全員、審判役も、大喜と遊佐くんの熱戦に当てられ、やる気ウイルスに感染したのだと思う。