164 二次小説『アオのハコ』⑱ 第五話「水族館」、その1
「いいよ。大喜くんが勝ったら水族館」
私はこの機会を逃すはずがなかった。友達思いの笠原匡くんから言ってきてくれた大喜くんとのおでかけ。私を好きでいてくれる大喜くんはもちろん、大喜くんを好きな私の想いをより育ませるため、大喜くんと私の関係をより深める切っ掛けにしたいと思ってた。
会場のゲームは1対1でファイナルセットの真っ最中。大喜くんが20点、相手の岸くんが19点。相手が一回ポイントすればまだ続く、息詰まる展開だった。まだ気持ちに余裕がある岸くんはネット越しで受けてネット手前に羽根を落とし、大喜くんを走らせて体力を消耗させる手段に出る。大喜くんは手前に走り出して羽根を跳ね返し、その軌道は低く遠くに伸びた。一瞬の出来事だったけど落下点は岸くんのエリアの一番後ろ、まさにライン上だった。岸くんはネット手前からダッシュしたけど追いつかず、セットカウント2対1で大喜くんが勝ったのです。
この地区大会は決勝戦まで一気に決めるのですが私は大喜くんと岸くんの試合後の握手を確認したあと、早々に会場を後にした。大喜くんの試合ぶり、羽根を見るのに集中して力強くラケットを振りながら、走りは最後まで衰えなかった。そして要所でふるうスマッシュは私から見ても最後の一撃まで鋭く、これなら県大会に進むベスト16に文句なく入るだろうと安心したのです。
でも私は猪股家に直接帰らなかった。前回言及したときは彼女さんと他人行儀な言い方をしたけど実は小中から一緒の友達、針生くんの彼女と待ち合わせしていた。芸能活動している彼女は忙しかったからゲームは見れなかった。もっとも針生くんは大喜くんとのペアのダブルスだけで、シングルスは地区予選免除だったから無理して応援に来ることもないと針生くんに言われたためという。それでもゲーム後の時間はとれて、それまでの短いあいだに私と会う時間を作ってくれたのです。
「で、今どのくらいにいるの?」
「うん、さっき針生くんに電話したら県大会行けるって」
大喜くんは結局同じバド部の二年の西田くんに決勝で敗れ、二位で県大会出場を果たしたのです。
「良かったじゃない千夏。大喜くんの次は千夏だね」
そう、私が大喜くんの家に居候していることはもちろん、私が大喜くんを好きで、大喜くんの方も私を好きらしいことをこの古くからの女友達、花恋には言ってあった。もともとはこの近況報告が花恋とお茶する目的だったけど、針生くんの策略で大喜くんとデートできるという嬉しいハプニングを報告することができた。もちろんこの時点では私が賭けに対象になった経緯は話さず、大喜くんが勝って水族館でデートすることなったとだけ言ったのです。
「すごいじゃない、どっちから誘ったの?」
「それは、私から…」
「で、いつするの?」
笠原くんもいつして欲しいとは言ってなかった。
「ダメだよ千夏、こういうことは早く決めなきゃ」
「でも大喜くんも予定があるだろうし」
「ダメよ千夏。こういうことはタイミングが大事なんだから。この場でLINEしなさい!」
花恋の言いたいことはわかる。大喜くんが年下の引け目で誘えなかったのも想像できる。そう考えて私は大喜くんとの恋路は私が主導しなければと思ったのです。
「でもいつにしよう?」
「もちろん明日!」
そして私は大喜くんにLINEしたあと、その私のスマホをテーブルに置き、大喜くんからのレスを花恋と一緒に確認したのです。既読はすぐ付いたのになかなかレスが来ない。たつぷり一分以上経って、
>よろしくお願いします。
というレスが来たのです。それからはテンポよく大喜くんとLINEができ、待ち合わせ場所と時間、行く水族館を決めていったのです。そのやり取りを見ていた花恋は別れ際、
「千夏大事な第一歩なんだからね、目一杯お洒落して行きなさいよ」
と言ってくれたのです。
そして猪股家に帰ったのですがまだ大喜くんは帰ってない。そういえば今夜は監督の奢りでバド部は外食するから、夕飯はいらないと言っていたっけ。一日の終わりに大喜くんの顔を見れないのはちょっと寂しかったけど、誘った私は大喜くんにどんな顔したらいいかわからなかったし、明日の予定で頭がいっぱいだったから、これはこれで良かったと思ってた。
「お洒落かぁ…」
私は自分の部屋で一人ごちる。バスケに青春を捧げてきた私はこの時まで色恋に無縁だった。そんな私にも好きな男の子には気に入ってもらいたいという欲はあり、それは大喜くん以外は考えられなかった。だから私は大喜くんのため、ちょっと前に花恋と一緒のときに買ったお気に入りをお披露目しようと思ったのです。
そして翌日五月十五日土曜日。朝練はしないと言っても七時起床。おばさん達には女友達と映画に行くと言っていた。いつもなら大喜くんも同じ時間に階段を降りて食卓に着くはずだけど、まだ寝てるみたいだった。私は一瞬大喜くんを起こそうと思ったけど。
「大喜くん一日中バドやったんだもん。眠らせてあげてください」
むしろ私から大喜くんとの今日の初顔合わせを先延ばしさせたのです。私は朝食を食べて改めて外出着に着替え、猪股家をでる。土曜日、開店と準備中のまだら模様の商店街を抜け、電車に乗る。
そして池袋駅に降り立ったけど、改札口で人待ちするわけにもいかない。幸い地下通路を通らずまず地上に出ると言ってあったので、池袋駅東口が見える喫茶店に入る。窓辺でコーヒーを飲みながら、女バスで活動している自分の目を信頼することにしたのです。午前中とはいってもやっぱり土曜日、徐々に顔が視認できないほどの人だかり。でも私は待つこと30分、改札口から走りだしてきたと察せられる肩掛けカバンの男の子を視認できたのです。
私は顔を確認することなく外にでた。そこで見かけたのは落とした硬貨を一つずつ、焦って自分の財布、以前私が届けてあげた平財布に入れている猪股大喜くん。私は微笑ましい気持ちでゆっくり近づき、最後の一枚、百円玉を拾って肩の高さに掲げたのです。
「大丈夫?」
と声をかけたあとで。私がその日着たのは水色のワンピース。体育館で見せている女バスの千夏先輩からは考えられない可愛い姿と、大喜くんに思ってほしかった。
「ありがとうございます」
大喜くんは顔を上げて言ってくれたけど、目一杯のお洒落で照れた私の顔を見たあと、何も言わなかったのです。
「どうかした?」
「いえ」
私の問いかけでようやく戸惑った返事が返ってきただけ。それに対して私は年上の余裕、大喜くんもドキドキしてくれたんだと思うことができたのです。