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173 二次小説『アオのハコ』㉓ 第六話「がんばれって言って」、その3

「とくに異常ないわね」
 大喜が私と入った時、保健の先生は真剣に、でも私に過度な不安を与えない表情で対応してくれた。そして保健の先生にも支えてもらって椅子に座り、大喜にも一緒に私が診察されるところを見てもらう。どんな結果が出るか祈るような気持ち、泣きたくなるくらい不安だった。でも私は蝶野雛、今年はダメでも来年があると、今から考えると本当に健気に思おうとした。
 まずは触診。先生は慎重に患部の足首を曲げ伸ばししたけど、そこで怪訝な表情をし出したという。私の思考は完全に内に籠ってしまい、保険室の設備はもちろん、大事な私の身体にさえ注意を向けていなかった。
「蝶野さん」
 だからやっと次の行動に出れたのは先生の、怪訝な声色に気づいた時だった。
「はいっ」
「今度は超音波当ててみましょう」
 整体師さんでも毎回ではないけどやっている筋肉の状況を診る器械。患部にゼリーを塗って器械を充てると、筋肉の状況がリアルタイムでわかる。音波なので人体には無害の安全な診断方法。でも極度の不安に駆られていた私はベッドで座っての診断でも一人で診られるのは不安で、カーテンを閉じずに大喜に見守ってもらった。その時の悔しい、自分の情けない表情を大喜に見られているとわかってたけど構わない。それほど私の心は弱っていた。ところが。
「い、じょう、ない?」
 私はその場で先生の診断結果を聴き、その驚愕の言葉を戸惑いで復唱していた。
「青あざできてるけど数分で痛みも引くでしょう」
 私は呆気。
「大会前で痛みに対して神経質になってたのかもね」
 それじゃああの時の激痛は神経過敏。私のメランコリックも手伝って過剰に痛みを知覚したんだ。
「一応冷やしておきましょう」
「人騒がせ」
 大喜にも言われる始末。私は全ての状況を理解し、大喜に弁解する言葉を言えた。
「仕方ないじゃん。プレッシャーでいっぱいいっぱいで。夜も眠れなかったんだからね」
 やばい。目が潤んできた。でも大喜にそんな姿を晒せることに嬉しくもあった。ところが大喜、そんな私を見たくないみたいだった。
「ほうほう。それで症状はいつから?」
 それはそれで私は嬉しくなる。先生は安堵したか、この場を退席してくれた。だから私はこれに乗り、まずぼけてやる。
「こんなカウンセラーはイヤだ」
「大喜利のお題かよ。大喜だけにってか」
 大喜、ナイス突っ込み!
「痛みが引くまで話聞いてやるから」
 だから私は大喜に日頃の鬱憤を話してやった。
「蝶野選手の娘って何!? たしかにお父さんのことは尊敬してるけど私の努力はお父さんとは関係ない日本代表の娘だからって結果残して当然とか思わないでほしいコーチだっていつも笑っててだけでアドバイスも」
 そこで私は一旦止まった。これ以上言うとさすがに顧問が可愛そうと思った。それにもう一つ、大喜に言いたいことがあった。
「このままじゃ勝てないだろうなって人がいるの」
「珍しいじゃん。雛が体操で勝てないっていうの」
 大喜、そう私の気持ちを誤解するんだ。少し悲しい。それじゃこれから言うことは決して伝わらない。でもそれでいいや。投げやりじゃない。大喜に誤解されることを前提に私の大喜への気持ちを吐き出すこと、こんな痛快な気持ちがあるだろうか。もちろんそこに哀しみがあること、十分自覚してた。
「私もこんな風に思うの初めてなんだけど。審査員がその人の虜で」
「はぁ。それって演技じゃなくてその人だから得点が入るってことかよ」「メロメロっていうか」
 猪股大喜、お前のことだ!
「ムカつくな」
「ね、ムカつくでしょ。でもね、その人が魅力的なのは、すっごくわかるんだよ。圧倒的に華があるのに気取ってなくて。努力も欠かさないんだもん」
 別に小説だから曖昧にぼかす必要はない。鹿野千夏、大喜が惚れている千夏先輩、そして私も尊敬するしかない千夏先輩その人だった。
「その強者感といったら私が逃げ出したくなるくらいで」
 そのチートさに私は笑うしかない。
「でも絶対逃げないだろ」
「え?」
「雛って根っからの戦闘民族というか」
 大喜、私をそんな風に思ってたのか!
「負けるのは勿論イヤだし、プライドも許さないだろうけど。何より戦わずに逃げる自分を許せないタイプ。雛ってそういう奴じゃん」
 何だ大喜、そんなにら私のことを思いやりを持って見てくれていたんだ。私は本当に嬉しく思えた。でも! でもだ!
「ムカつく! 世の中逃げた方がいいことも沢山あるんだからね!」
「すみません! 世間知らずで!」
 私は痛めた左足首を当てていた冷たいものを、大喜の頬に押しつけてやった。その理由は明白だから敢えて書かない。
「けどその通りなんだよなぁ」
 それは独り言に似つかわしくない、普通の声の大きさだった。そして保健の先生が戻ってきたこともあり、保健室を後にすることにした。
「ってことで戻るか。足もう大丈夫か」
 私はベッドの縁に乗せていた左足を下げ、ゆっくりスリッパに入れる。そして左足を入れたスリッパに重心をかける。その後でゆっくり立ち上がるのを大喜と先生に見てもらった。
「もう痛くない」
 私は自分の身体、反射神経で事なきを得た自分の運動能力に感謝するしかなかった。そして先生にも感謝の頭を下げ、大喜とともに廊下に出た。
「これで負けても言い訳できないな。異常ナシなんだから」
「負けないもん」
 でも。
「大喜」
 私は気づいてしまった。今の状態ではまだ勝つには危ういことを。そして具体的には何が必要なのかを。
「がんばれって、言ってくれない?」
 そう言えば言ってくれるという確信はあった。
「がんばれ!」
「言われなくても頑張るもん」
「言わせたんだろ!」
 でもそれがどれだけ私に勇気をくれるか、大喜は全くわかってなかった。
「蝶野さんおめでとう! 県予選一位通過も納得の出来だったわ!!」
 そして私は栄明の体育館部活のみんなに新体操の県大会優勝トロフィーを届けることができた。結果、成果が出れば顧問の激励も素直に受け止めることができる。とはいっても驕った考えだから大喜や匡以外には言わなかったけど、当然の結果という思いもあった。
 浅倉南の時代から40年以上、新体操の状況は著しく変わったと、お父さんから聞かされていた。当時と比べてその情報と知見は膨大に集積され、そこから真に重大なポイントも整理されている。つまりその情報と知見にアクセスでき、そして実行できる環境にあれば新体操で活躍できるのが今の状況。私は自分の努力も勿論あると自慢するけど、それはやはり蝶野弘彦の娘というアドバンテージがあることは否定しない。だから選ばれし者(勿論自分からは言ってない)として成果を出すのが義務と思っていた。
「なんか心配して損した気分だな」
「まぁ良かったじゃん。結果オーライで」
 大喜に匡。匡は気づいているみたいだけど大喜はわかってない。その大らかさが大喜のいいところなんだけど。だから早速得意のボケをかましたやった。
「何見てんの? 一万円」
「値上げした!?」
「うそ!」
 愉快愉快。自分のボケを自分で突っ込む。
「まだまだ魅力上げてくんだから、しっかり見ておくように!」
 そして陽気に鼻歌を歌い、新体操のみんなのところに戻って行った。これで今回の私、蝶野雛のターンは終わりです。仮面ライダー1号こと藤岡弘、もとい鹿野千夏先輩にターンを返します。

 蝶野さんありがとう。私もだいたい知っていましたが今あらためて読み、蝶野さんの想いの健気さが伝わってきました。では当時私がどのくらい知っていたかと言えば、蝶野さんの不調は噂はもちろん、実際の演技で私も遠目から確認してました。
 そして大喜くんが蝶野さんを保健室に連れて行ったことも、同じ体育館の部活組、実際に見た人も多数いるため秘密にできることではなかった。それを承知で大喜くんは蝶野さんに連れ添ってあげた。それに私は焼き餅を焼かなかったと言えばウソになる。でもそんなことをしてあげられる大喜くんの優しさが私も大好きだから、大喜くんの前では知らない振りをしてあげていたのです。
 そしてその日、蝶野さんがトロフィーを栄明の体育館に持ってきてくれた日、整体師さんでも蝶野さんに会ったのです。
「あいつ何か…余計な…」
「いや、この前のお礼言われただけで」
 夜中寝る前、部屋をでたところで階段を上がってきた大喜くんに、その日のうちに言うことができたのです。
「そうですか」
「すごいよね蝶野さん。一年生なのに県大会で優勝するなんて」
「本人は満足してないみたいですけどね」
 私はお休みの挨拶のつもりだった。
「演技内容が完璧じゃなかったとか。全国ではもっと磨きをかけて完璧に踊ってやるって意気込んでましたよ」
 大喜くんの饒舌さに私がちょっと不安になったこと、おわかりいただけると思います。そして続けて大喜くんは私に対し、決定的な一言を言ってしまう。
「あいつ(雛)、新体操バカだから」
 無自覚な大喜くんの発言だから、尚更私には堪えた。蝶野さんと大喜くん、お互いを同じように考えてる。私は階段を降りず、座って黙考する。
 お二人はお似合いだ。少なくとも蝶野さんは大喜くんに気があるのは私でも察せられる。そうすると少なくとも蝶野さんにとって私は邪魔者、異性の同居人。でもと私はここ、猪股家にいる原点を思い出したのです。
(ごめん蝶野さん、バスケのためだから。引退するまでは同居人でいないと)
 私は改めて自分のわがままを思い知り、それでも覚悟を決めたのです。

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