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免許合宿はこの先の2週間を暗示するような曇り空からスタートした(2023.10.10~10.23)

訪れた街の地価を意識しながら散歩する。1㎡あたり何円だろう、足立区だから安く見積もっていいだろう。とか、こんなこと不動産屋で働いてる人にしか許されない思考だ。土地とプライドが比較的高そうな目黒区民だけの特権だ。それなのに、俺なんだ。俺というのものは金に囚われてるんだ。金だけじゃない。色んなものにとらわれて狭い世界を生きているんだ。しかし、東京という街を抜け出したとき、土地の値段の呪縛から俺の頭は解き放たれた。新幹線の出発時間は8時。

俺の目に映る東京は、レッドカーペットで覆われていた。たぶん、有名になることや成功の象徴なんだろう。そんな都心から離れていく山形新幹線は、俺の目に潜む赤を自然な緑に変えていった。寝不足の充血も治った。

米沢駅に向かう。免許合宿だ。閑散期の自炊コースがいちばん安い。この時期を資本主義社会の下の下の俺が選ばないわけにはいかない。

キャリーケースに詰め込んだのは希望でも絶望でもなく米3kg。繊細な夢も雑な被害妄想も入る隙間はなく、米と服とタオルという現実だけがそこにはあった。

山形新幹線を降りると、改札へ向かってキャリーケースをひきずる若い男女の集団が見えた。知らぬ間にグループができている。高校1年の4月と同じだ。先手を打たれて取り返せるほど、今も昔も俺は魅力的な人間じゃない。

改札を出たところで待っていたのは教習所行きのバスの運転手と年齢も職業もわからないマスクをした6人の男女。2人1組のグループが綺麗に3つ並んでいた。カップルと女子二人と女性二人。俺だけひとり。みんな卑怯者だよ。

グループで来ていた場合、介入するハードルが上がる。これは負け戦だ。俺には入る余地がない。バスへと向かう足取りが重く、心が元々ある位置から、ガクンと下に落ちて、ローギアを入れられたみたいな速度で歩いた。

教習所では同じ日に入った人たちと仲良くなれると聞いていたが、それは仲良くなれた側の感想であって、客観的な事実ではない。もう俺は、自分の体験以外は信じない。

バスに荷物を積んで乗り込む。1列に3席あるけれど、間に通路があるから2人席と1人席に分かれている。俺はつい、1人席を選んでしまう。知らない人と隣になり、喋る未来だってあったはずなのに。他の人たちは2人席に座る。

会話が聞こえてきた。女子二人組は友達らしい。俺の斜め前で、金髪の目のでかい女の子がインカメで前髪を微調整する。時々自分の顔が画面に入り込むが、ピースをしてでしゃばる勇気はなかった。まもなく、俺と同じ列に座っていた女性二人組が喋りだした。彼女らは今日初めて知り合ったようだ。

歯車がスロースタートで回り出す。前方のカップルは二人だけの空気感を作り出している。突然3つの歯車がリズミカルに回りだし、車内は賑やかになった。俺の歯車はまだ止まったまま。

ぼーっとしていてもしょうがないので、カバンから本を取り出そうとしたが、硬い表紙に触れたとき、思わず手を離してしまった。自分は一人でも大丈夫ですよという雰囲気を周りに向けて出している、そんな風に勘違いされたくなかった。俺はただ窓の外をできるだけ柔和な顔で見つめ続けた。それから、そんな不自然な行動を取る自分にあきれて笑うなどをしてみた。何年この自分をやってんだ。俺は高校の時からなにも進歩していないじゃないか。

安全運転を心がけてバスは交差点を右折する。車内は俺以外の声で溢れ返る。斜めを上を見上げる。免許合宿はこの先の2週間を暗示するような曇り空からスタートした。

教習所に着いた。ひたすら個人情報を書かせられた。メールアドレスにふりがなを入れる。わい、えー、けー、あい。ここは幼稚園か。1人新幹線に乗り遅れてきた子がやってきた。友達と一緒に参加しているらしく、2人グループに吸収された。カップル、少し大人っぽい女性3人組、若くてアホそうな大学生の女の子2人、そして俺。覚悟はできている。

視力検査を済ませると、早速、車に乗せられた。1日目から運転するなんて、無駄のなさそうなカリキュラムで俺は嬉しい。初めての運転は「安全」さえ意識しなければ、簡単なものだった。しかし、路上で運転する場合もっとも意識しなければならないのが「安全」だった。俺は車に向いていなかった。

授業が終わり、寮に移動する。バスで移動する度に、山形がなにもなさを出し惜しみなく発揮する。この光景を見たとき、田舎で生まれた子ほどインターネットに感謝しているだろうと思った。初音ミクの髪染めの代金は山形県民が払ってもいいくらいだ。

宿泊施設は、小学生の時新しく校庭に建てられたプレハブ小屋によく似ていた。山形に来てからは学生の頃の記憶と照らし合わせることばかりで、山形は俺の走馬灯なんじゃないかと思った。

寮の管理を務めているおじいちゃんが冷淡に迎えてくれた。現在は約70歳で昔は東京の下高井戸に住んでいたそうだ。妻が山形出身で、どうしても東北に戻りたいと言って聞かなかったので、30年前にこちらに越してきたらしい。趣味の狩猟が捗ることくらいしか良いことがなく、ここは東京に比べてなんにもないと言っていた。

管理人はおじいちゃんひとりではなくおばさんもいた。彼女は20代の頃、吉祥寺に住んでいたらしい。こんなになにもないところにどうして東京にいた人ばかりが集まっているんだろうか。彼らは東京のスパイか。東京の若者が田舎で東京の悪口を言っているとでも思っているんだろうか。いまどき言論統制なんて甚だ信じられない。

夜はオンラインで学科教習を受ける。一定の感覚で受講している様子を撮影したり、倍速視聴するとリセットされるようになっていて、サボれないような工夫が施されていた。力を入れるポイント、そうなるよなあ。

学科が終わると短歌作りを始めた。1ヶ月後に文学フリマが迫っていたので、この教習所生活2週間のうちに本を完成させないと「作品がないのが作品ですよ」みたいなもう味がしない現代アートをせざるを得なくなる。

それから6日経った。いまだに東京生まれの管理人たちとしか喋っていない。それ以外の人とは誰とも会話することなく黙々と教習をやり退けた。運転中、左に寄りすぎてると何回も注意され、時の流れに逆らってるかのような速度でS字カーブを進み、順調とも言えなければ、免許を取れなさそうとも言えない、中途半端な運転手として毎日教習所に通い詰めた。ある日、来るべくして、仮免試験の朝が来た。



仮免を取得するためには、学科試験と技能試験を合格しなければならない。学科試験は1問2点で90点以上が合格。技能試験は減点方式で70点以上が合格となる。もし俺や教官の命が失われるようなことがあれば、マイナス100点で試験は不合格だ。

まずは学科試験。わからない問題が10問あった。そのうち、半分以上間違っていれば不合格となる。試験が終わり、合格発表の時を待つ。

電光掲示板に合格者の試験番号が映し出された。1から8の数字が綺麗に並んでいる。全員合格だ。周りからは歓喜の声。俺も嬉しいと感じていたはずだけど、その感情は瞬く間に心の穴に吸い込まれて、すぐに無の状態になってしまった。いつものことだから仕方がない。

教官が「満点が3人います。記念品を渡すので来てください」と言った。優秀な人ばかりだ。「点数を知りたい人は私に尋ねてください」俺は何点だろう。90点だった。ギリギリ合格だ。他の人の点数が聞こえてくる。96点、98点、、。みんな、やるなあ。一安心し、荷物を置いていたソファに戻った。

そこに若くてアホそうな女の子2人のうち1人が座っていた。2人分のスペースしかないので座ると必然的に隣になる。

「お、お疲れ様です…」と言われた。いきなり近くに座られた気まずさを感じさせる言い方だった。「お疲れさまです」と返すと、2人組のうち、もう片方の女の子がこちらに向かって歩いてきた。それから、まるで昔からの友達だったかのように「やっぴー、お疲れー」と俺に言った。気さくを売りにしているタイプか。「お疲れ~」と俺は意識的に語尾を伸ばして言った。

彼女は「90点でしょ?」と笑いながら言ってきた。俺は嬉しかった。こういうのを待っていたんだ!こんな会話をずっと待ち望んでいた。俺は今、下に見られている。人を下に見るというのは心の距離が遠いうちはできない、少なくとも俺の中では。つまり、歩み寄ってくれたんだ、俺の解釈では。勉強はできる方だったから、こういう風に下に見られる、点数低いねとバカにされる感じは今まで経験したことなかったので、最高だった。「ギリギリじゃん」。笑われて嬉しかった。

「みんなすごいよね、大学生?」と尋ねたら、2人とも早稲田の4年生だった。そして、その話を聞き付けてやってきたカップルの男の子の方が「早稲田なの?俺も早稲田」と。早稲田の院生だった。さらに男の子の話を聞いていくうちに別グループの女性3人組も駆け寄ってきて「私たちも早稲田の院生なんだけど」。なんだこの免許合宿は。山形のなんにもないところに、早稲田の学生たちが集まってる。早稲田の学食にこの教習所のパンフレットでも置いてあったんだろうか。

その後、実技試験を乗り越えて、仮免には全員が合格した。2週間の免許合宿のうち、折り返しとなる7日目。それまでバラバラだった2人1組のグループ3つ+俺との間に初めてグルーヴ感が生まれた。紐の延長線上にある4つの結び玉がほどけて1つの直線になったような心地だった。こうして俺の免許合宿前半戦が終わる。


それ以降の毎日はただただ楽しくて仕方がなかった。休み時間いつもひとりで短歌を作るなどして時間を潰していた俺は、早稲田の子たちと一緒のテーブルに座って会話するようになった。俺は前髪が変だったので「前髪」と呼ばれていた。それから色々派生して呼び名が「ひき肉」になった。この舐められているあだ名がなによりも心の距離が近づいた証だ。

一緒にTiktokを見た。おぱんちゅうさぎというコンテンツも教えてもらった。異国の文化に触れているみたいだった。夜中に電話が来て、話しているうちに寝落ちした。みんなで卓球をして、ボコボコにされた。学生時代、人と関わる機会が少なかったから、自分にとってはどれも新鮮な体験だった。これらが本来の純粋な楽しさというものなのか。やっと知れた喜びで胸が踊る。一般的な人はこういう日々の中で生きているんだろうか。

教習所の2階には学食がある。仮免以来、毎日女子大生たちと、そこで昼食を食べながらたわいもない話をしている。窓ガラスの向こうの空はもう曇っておらず、残りの日々を示唆するような快晴だった。

それにしても、彼女らの方からカチカチと音がする。「なんか音しない?」と尋ねると、女子大生の片割れが「ああ、これ」と言って口を開いた。舌ピアスだ。初めて生で舌ピアスを見たので、俺は「ウワーッ!」と大袈裟に驚いた。舌ピアスをつけている、つけようと思った人間が今目の前にいる。就活が終わった瞬間に付けたそうだ。専門のタトゥー屋みたいなところでつけるのかと思ったが、どうやらそれは違うようで、病院で舌に穴を開けるらしい。そして、舌ピアスは簡単に取り外せるそうだ。「夏は、舌ピアスを冷凍庫で冷やしてからつけたら気持ち良さそうだな」と言ったら困惑された。

最終日、前日走ったコースとたまたま同じコースだったということもあり、余裕をもって運転できた。皆が試験を終えて、合格発表待ちとなる中、俺のことをひき肉呼ばわりしていた女子大生がかなりナーバスな状態になっていた。「ダメかも、方向転換で脱輪した、私だけ延泊かも」。本人が思ってるより大丈夫だろという雰囲気が周りに流れていた。俺やツレの子がそう言っても「いや、もう、そういうのいらない、励ましとかいらないから」と傷つくことを恐れて心を閉じた状態に入ってしまっていた。が電光掲示板には綺麗に数字が並んでおり全員合格だった。

心を閉ざしていたその子は爆発するように喜び、みんなとハイタッチしまくる。「ごめんね、なんか私、すごい態度悪かったよね。」彼女は勝手にこの合宿の主役みたいになっていた。

みんなでバスに乗る。始まりの駅、米沢駅に帰る。もうみんなお別れか。教習所から15分ほどの道のり、俺はというと、お腹がすごく痛かった。正直漏れそうだった。バスの揺れが強く腹に応えた。前に座ってる女子大生2人がたまに俺を心配してくれる。見苦しい、かっこわるい俺、と思う。どうしても俺は、いつもこういう感じになる。自覚しているのも気持ち悪い。最後の最後に、綺麗に締まらない、そんな自分が嫌いではないなと思いつつ、可能な限り肛門を締めて揺れに耐える。

「荷物見といてあげようか?」。母親のような女子大生たちのセリフに感謝と恥辱を覚える。駅に着き、扉が開く。急いで外に出て、駅員にトイレの所在を尋ねる。走れ、走れ!漏れないように走れ!ついた!空いてる!めいっぱい踏ん張れ!勢いよく放たれる!笑った!こんな頼りにならない男はいない!

外に出る。彼女らが待っててくれた。切符を買った。同じ列車に乗るのに彼女らと号車を合わせるのを忘れていて、みんな東京方面に帰るのに、実質米沢駅でお別れとなった。卓球してるときの様子や集合写真を送ってもらい、それを眺めながら東京に戻る。

短歌も十分作れたし、充実した2週間だった。あの人たちと今後会うことはあるのか。何十年後かにあの山形の地に訪れることはあるのか。そのときは今よりももっと胸を張れるような生き方ができているといいが。俺が生まれた年の米沢牛くらいは買えるくらいになりたい。


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大里
銭ズラ