反省と今後の活動について

以前「サーティワンアイスクリームの思い出が31個あるやつへ」を投稿しました。この記事で僕は、サーティワンアイスクリームの思い出が31個ある方の人格を否定しています。

その約1週間後、高橋という同期が「バスキンロビンスの思い出」を投稿しました。

バスキンロビンスとは海外におけるサーティワンの名称です。彼は記事内で、サーティワンで売られている31個のアイスクリームの思い出を書いています。

正直、記事を投稿したときはサーティワンの思い出が31個ある人がいるとは思いませんでした。ましてやSNSを通してそんな方が僕の目の届く範囲に現れるなんて考えもしなかったです。

しかし、これは「考えもしなかった」では済まされない事実です。ここ最近、インターネットでは他人に対して配慮の足りない発言が目立ってきています。本人は何気なく送ったつもりでも、相手を傷つけ、時には人を死に至らしめる言葉が国債のように増え続けているのです。今のところ問題視する方が多数派ですが、これがあたりまえになってしまえば、問題に気づける人間はそのうちいなくなるでしょう。僕たちは今まさに、多くの人が「考えもしなかった」ことによってインターネット内で膨れ上がった負債に向き合わなければならない状況にいるのです。

直面すべき問題でもその規模が大きければどこから手をつければいいのかわからないものです。まずはひとりひとりの問題に向き合う必要があります。

これは当事者になった僕の見解です。なぜこのような想像力に欠ける発言をしてしまったのかを考えました。というより、自分の中ではわかりきったことでした。気づいているけれど直せないという状況に陥っているのです。

順を追って説明しましょう。まず僕個人の問題で言えば、想像力の欠如、自分の中にある感情が極端に少ないこと、キャパシティーの限界があげられます。

まず想像力がなければ、自分が発した言葉によって相手がどう思うかを考えられません。また、自分が感じたことのない気持ちを相手から汲み取ることができません。つまり、自分の知っている感情以外読み取ることができないのです。これは、ひとつも感情がなかった場合、相手に共感することが一切できないことを意味しています。それに近い状態が、感情のバリエーションが極端に少ないことにより僕の中では起こっているのです。要するに僕は、ほとんど誰にも共感できません。そうなってしまえば自分の価値観が絶対的になるのは自然なことだと思います。それが、自分が間違っていないという傲慢な考えを生み出します。

ここまでわかっていれば想像力を身に付ける訓練をすればいいと思うはずです。しかし、こんな化け物が日常生活をまともに送れるわけがないのです。社会との磨耗で体力を消費し、自分を正す余裕などどこにもないのです。キャパは傷つけてたくて傷つけてる訳ではありません。僕にも人間の心があり、傷つけた時は罪悪感に苛まれます。そうやって自分の心が削られていく中で、これ以上傷つかないように自己を守り、相手よりも自分を優先することで、真冬の鉄塊のような心がまた作られていくのです。

以上が僕個人の問題点です。高橋くんには申し訳ないことをしてしまいました。

ただ、高橋くんに対して気になる点がいくつかあります。僕の推理が正しければ、彼は極悪非道として永遠に僕の人生に名を刻むことになります。

いや、高橋くんというのは間違っていました。おい、高橋くんの名を借りてこそこそと陰湿な行為を働く正真正銘の畜生よよく聞け。俺個人の問題である、自分は間違っていないという傲慢な考えを抜きにしても、客観的な事実を元にお前を炙り出す。陰湿な畜生、俺がもう引き下がると思ってたか。重い反省なんてする訳ない。ずっと準備してた。悪逆無道。ただ、暴く。

便宜上、

国際化が進んでる世界でいつまでも建前とか謙虚とか老いた文化にしがみついてるだけのことを美徳としている時代遅れの日本人の気持ち悪さを煮詰めた時の灰汁を濃縮した、粉瘤みたいにちっぽけな腐れ下道「陰湿な畜生」を「高橋くん」として話を進めます。なんのことかわからないと思いますが、しばしお付き合いください。

まず、初めの方に書かれているように「サーティワンアイスクリームの思い出が31個あるやつへ」が投稿されてから、約1週間後に彼は記事を投稿している。おそらく記事のリンクを貼りつけて投稿した俺のツイートをタイムライン上で発見し、その記事を読んでから、あの「バスキンロビンスの思い出」を書き上げたと考えられる。しかし、どう読んでも、あの記事を本物の高橋くんが書き上たとは思えない。なぜなら高橋くんの相方であるカイマン(彼らはスイミーというコンビで活動している)から、よく彼の話を聞いているからだ。俺は実際に高橋くんと喋ったことはないが、カイマンによると高橋くんは以下に挙げられるような人間らしい。

  • 自分の非を認めない

  • 他人への配慮が足りない

  • 人の気持ちがわからない

  • 感性が死んでる

ここでもう一度「バスキンロビンスの思い出」を読んでもらいたい。

画面の向こうにいる読者に配慮できている読みやすい文章。緑の薄い葉が日を浴びた時にできる半透明のようなみずみずしく繊細な感性。

やっぱり高橋くんのような人が書いたとは思えない。カイマンから見た高橋くんの人物像とあまりにもかけ離れている。また、彼の他の記事を読むと、ところどころ「セックスを少々」という言葉が見受けられるが、高橋くんのような気遣いもできず人の気持ちがわからないでいて、そのうえ自分が正しいと思い込んでいる人間が他人と体を重ねることなんてできるわけがない。これは、俺と高橋くんが同じだからこそわかることだ。

つまり、これは高橋くんではない、別の誰かが書いたものだ。「陰湿な畜生」め。他人になりすまして文章を投稿する。これだけでも悪質な行為だ。だが「陰湿な畜生」は他の追随を許さず下道の称号を思いのままにする。

先ほど、「バスキンロビンスの思い出」をことごとく誉めちぎったが、その文章の特徴が高橋くんの相方であるカイマンにそっくりなのだ。カイマンは繊細で傷つきやすく戦場で生まれた病気の野良犬のような人間だ。それゆえ人の気持ちを熟知しており、想像力に富み、優れた感性を持つ。つまり「陰湿な畜生」は、カイマンの文章を真似ることで、高橋くんの皮を被り、さらにその下にカイマンの皮も被っていたのだ。油断ならない二重トラップだ。

「陰湿な畜生」がカイマン本人の可能性はありえない。なぜなら俺とカイマンはたまに映画に行く仲だからだ。そんな友達がこのよう陰湿な絡み方をするはずはない。

常々思ってることだが、カイマンから発せられる言葉は周囲の空間が歪むほどまわりくどい。よく言えば、奥ゆかしい。記事のタイトルに「サーティワンアイスクリーム」という直接的な表現を使うのではなく、あえて、ひとつ奥ゆかしくした「バスキンロビンス」という言い回しを選んでいるあたりも、まわりくどさの骨頂であるカイマンそのものを表している。「陰湿な畜生」はカイマンのことを相当熟知している。狡猾で用意周到な人間に違いない。こいつは高橋くんとカイマンになんの恨みがあるんだろうか。俺が記事を投稿してから、これ見よがしにあの記事を出すじめっとした攻撃がいやらしい。おそらく「陰湿な畜生」は、俺とカイマンと高橋くんになんらかの恨みがあり、かつカイマンの文章を真似できるほどカイマンに近しい人物だと考えられる。同期の可能性は高い。高橋くんのツイッターで投稿記事を共有していることから、その人物は高橋くんのツイッターもなりすましていることがわかる。同期でひとり、相方のキャラ作りに奮闘し、相方のアカウントも運営しているやつを知っているが、「陰湿な畜生」は、彼の二番煎じであり、そのように人の真似事をするようなやつがおもしろいはずがない。つまり「陰湿な畜生」は、同期のおもしろくない人間である可能性が非常に高い。しかし、俺の周りで面白くない人なんてひとりもいない。いったい誰がこんな寒いことをしているのだろうか。残念ながら、俺はまだ正体を掴めていない。しかし、俺とカイマンと高橋くんを愚弄した悪を必ず暴き、生命を授けられこの世に生まれ落ちたことを絶対に後悔させてやる。今後の活動方針は、「俺は犯人を許さない」です。


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大里
銭ズラ