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原点に立ち返る(逢坂誠二の徒然日記)
【24年12月1日 『逢坂誠二の徒然日記』8005回】
今日から師走。午前5時の函館、多少、雲がありますが、星も見えます。零度程度。日中は晴れ、5度程度の見込みです。路面には、2、3センチの雪が積もっています。いよいよ本格的な冬です。今日は苫小牧市長選挙応援のため、移動中の車内で日記を書いています。
1)原点に立ち返る
最近、改めて原点に立ち返る活動を開始しています。
情報公開、権力の分立、そして教育。
情報の公開が民主主義の原動力であることは、私が繰り返し話していることです。しかし 日本では、この情報公開が不十分です。特に国の予算は、予算積算の内訳が全く公開されません。決算情報も同様です。ある事業について、どの費目にいくら予算が使われたのか、これが分からないのです。こんな状態の中で、国会では精緻な予算議論はできません。
三権分立が機能していません。
議員内閣制のもとで国会と内閣は一体化していると言っても過言ではありません。国会で与党議員は、行政監視の役割をほとんど放棄しています。行政監視を行うのは野党議員が中心ですが、情報公開が不十分で、国会のたび毎に、「情報を出せ、出さない」等の不毛なやり取りが繰り返されます。こんな意味のない国会に終止符を打たねばなりませんが、
判検交流が続く司法の独立性も極めて危うい状態です。判検交流とは、裁判官と検察官との人事交流のことです。刑事部門では、捜査側と裁く側が入れ替わっては、公平な裁判ができないとの批判があり、2012年に廃止されました。しかし、民事では、「訟務検事」と呼ばれる行政訴訟や国賠訴訟での国側の代理人を裁判官出身者が務めることが引き続き行われているのです。これでは公平な裁判になはずがありません。
行政などの諸活動を記録した公文書は、民主主義の基盤とも言えるものです。しかしこの公文書作成のルールは、日本には一応存在しますが、それをキチンと守っているかどうか、行政などから独立してこれを判断する組織は日本にはありません。
昨日の語る会でも、これらの一端が議論されました。
また教育にもっと力を注ぐ必要があるのは言うまでもありません。
原点に立ち返って、地道な活動を継続します。
【24年12月1日 その6308『逢坂誠二の徒然日記』8005回】
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