震災から13年を考える/逢坂誠二 #7740
【24年3月11日 その6043『逢坂誠二の徒然日記』#7740】
夜明け前の函館、空全体に雲が広がっていますが、雪や雨の雰囲気はありません。1度程度です。今後、晴れ間が広がります。夕方には雨になる見込みで、日中は8度程度です。昨日は新月、今日は月齢1日の月ですが、どこかで見ることができるでしょうか。
1)震災から13年を考える
東日本大震災から13年。未だに2万数千名の方々が避難生活を送っています。
今もあの日のことは忘れません。当時、私は総務省にいましたが、あの日以降の辛い日々を思うと、今もいたたまれない気持ちです。備えのある国づくり、地域づくりをしなければなりません。
復旧復興が色々なかたちで進んでいること、さらに様々な光と影があることなど含め、あの震災のことを継続して検証する必要があります。特に、原発のことについては、課題山積ですが、根本的な問題については何一つ進んでいないと、私には見えます。
福島第1原発は、デブリの扱いも不透明な上、廃炉の定義すら決められない状態です。
原発の規制基準については、一定の進化はあったと思います。しかし規制する側と推進する側の分離は、結局は進まず、13年が経過した今、規制と推進が一体化したと言わざるを得ない状態です。
昨年、原子力基本法が改正されました。この改正で、「国は、原子力発電を電源の選択肢の一つとして活用することによる電気の安定供給の確保に資することができるよう、必要な措置を講ずる責務を有する」ことが明記されました。国が率先して原発復権に関与する姿勢を明確にしました。
「規制」と「推進」の分離が崩れ、国の責任で原発利用が進められ、3.11の教訓は雲散霧消したのです。
地震と原発の関係も曖昧なままです。規制実務をされている皆さんは努力されていると思います。しかし地震の発生を予知し、具体的な揺れの内容を想定することは可能かどうかという、根本の議論が抜け落ちています。「発生予知」と「揺れの想定」が確実にできない中で、原発の地震対策を論ずるのは科学的とは言えない議論です。
特に深刻なのは、避難計画の問題です。有効に機能する避難計画が策定できるかどうかなど、避難計画に関する踏み込んだ議論を棚上げにしたまま、再稼働が検討されています。不都合な事実から目を逸らす国の姿勢は不見識、そのものです。
本来行うべきことは、3.11からの教訓を踏まえて、日本の原発利用の可否を虚心坦懐に議論することです。
今の日本の議論は、原発利用を前提にして、稼働に向けていかに条件整備を行うか、これが基本姿勢になっています。
原発利用に不都合な「地震」については非科学的な議論に終始し、同じく不都合な「避難計画」からは目を背け、稼働の条件を整えることに必死なのです。
こんなことで、国民の命と暮らしを守ることはできません。
東日本大震災から13年が経過しましたが、原発にまつわる課題は山積です。
さあ今日も、ブレずに曲げずに、確実に前進します。
===2024.3.11===
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