僕はディズニーに行ったことがない
ディズニーに行ったことがない。
ランドもシーもない。
ついでに言うと、大阪に住んでいたことがあるがユニバも行ったことがない。
富士急ハイランドもない(どこにあるか知らなくて、今さっき調べて山梨にあることを知って驚いたくらいだ)。
この手の類いの場所にとにかく行ったことがない。
たぶん、ゼロではないと思う。どっかの遊園地には行ったことがあるはずだ。でも、遊園地で一番好きなのは観覧車という人間なのだ。
「ディズニーに行ったことがない」
このセリフを吐かれた人間の顔は皆同じになる。そして同じような言葉を投げつけてくる。
ありえない、嘘~!、マジ?、なんで?、人生損してるよ、ほんとに??、北海道出身だから?(場所は関係ねえよ、馬鹿野郎。好きなやつはどこ住んでても行くんだよ!)、友達いないの?などなど。
余計なお世話だ。とりあえず「黙れ」。
(※ちなみに、友人はいる。彼女はいない。ごく普通の友人から、新宿駅から羽田空港まで一緒に歩いてくれるような友人まで、いろいろいる(笑)彼女がいないからじゃないの?とみる向きがあるかもしれないが、きっと自分が好きになる人はディズニーにこだわりがないだろうし、相手もそうだからこそ自分とつきあうのだろうと思う。知らんけど。)
個人的な感覚では、大人よりも子ども(中学生や高校生)の方がストレートにそういった反応をしてくる。狭い世界に生きてるんだな~と思う(そっくりそのまま、自分にも当てはまる面があることはもちろん受け入れる)。でも、かえってストレートにそう反応される方がまだいい。大人の、言葉を飲み込む感じの方が嫌気がさす。
だから、基本的には「ディズニーに行ったことがない」発言はしないように心がけている。とにかく面倒だからだ。
別にディズニーが嫌いというわけでもないし、避けているわけでもない。これまでたまたま機会がなかっただけなのだ。本当に。今後行くことになる可能性は十分にあるだろう。でも、こういった言葉を投げつけられる経験を重ねてしまうと、行くのが嫌になる。意地を張りたくなる。
本当にディズニーが好きな人の愛が深いことはわかっているつもりだ。その愛がゆえに暴走した言動がありうることも知っている。ジャニオタさんなんかもその類いだろう。僕はソフトバンクホークスに対してそういう気持ちなんだから、知っている。
でも、そういう誠の愛を持っている人は「人生損してる」という表現方法は使わないはずだ。この表現に安易に飛びつきたくなる気持ちは分からなくもないが、かえって人を遠ざける表現であるということを経験上知っているはずなのだ。
先日のこと。友人に打ち明けたら、もちろん驚かれたが、まあ、冷静に受け止めてくれた。そして、これまでの経験も相まって、それこそ安易だったかなと思うが、「興味がないんだよね」というのを理由に挙げて話した。実際、そうなのだ。間違ってはいない。
ただ、それを聞いた友人は「興味のないこともあえてやってみるのもいいと思うけど?」と正論を返してきた。
全くその通り。他のことについては、興味のないものをやってみたり、飛び込んでみたりしているつもりだ。そして、そのことは非常に大事だと思っている。今の時代、関連動画とか、フォローしている人の発信しか目に入らないだとかで、フィルターバブルなる問題が取り沙汰されている。
だからこそ、興味のない分野に手を伸ばすことの大事さは重々理解しているつもりだ。
なんだけども。
案外、興味のないジャンルに手を広げていても、どこかに通底している何か基準があったりして、実はそのバブルから抜け出ることができていないようなことも多いんじゃないかと最近は思う。これは自分自身も、問いかけをしてくれた友人もそう。
結局、人間、偏った価値観の中で興味をたまたま持っていなかったジャンルに手を伸ばしているだけのような気がするのだ。それは元から興味を持つべくして今持っているだけのことで。
でも、可能な範囲での関心を広げる行動さえも怠ると、本当にバブルのなかに閉じ込められてしまうのだと思う。だから、少しずつそのバブルの大きさ、範囲を広げていく。そして、別のバブルと出会った時に、ぶつかり合うのではなく、吸収・調和できることが理想なんじゃないかと思うのだ。ぶつかってもいいが、すぐはじけ飛ぶんでなくて、じっくりとがっぷり四つになったうえで判断すればいいと思うのだ。
話が大きくなってきたぞ笑
ディズニーに話を戻す!
上記の考えを踏まえると、いきなりディズニーに行くのは今の自分にはあまりに興味から乖離したことだから、もう少しライトに触れられるものから入るのがいいかもしれない。ディズニーコンテンツに触れる、とかね。
そのうえで言いたい。
なぜにここまで、ディズニーに行ったことがあるのは当たり前という社会の価値観が形成されているのだ?
理不尽!笑
もう、もはやここまで来ると、自分がマイノリティなのは明らかで、そのままでいた方が、他の人にはできない経験が積めるのではという気さえしている。これは、別に代わりのことを何か経験しているという意味ではなく、ディズニーを知らないということが、かえって、武器になるというか。特徴になるというか。
あえてやってみない、選ばない、という興味の拡げ方もあるのでは?と思っている。ようは引き算だ。
あれもこれもと経験を積みに走ると、すぐにそれはただの消費と化す。
自分の力で広げる、というよりも、広がるのを待つというか。本来は、自然と広がるものなんじゃないだろうか。「あれもこれも」で広がる場合がある。でも、「あれはしないこれだけ」で広がる場合もあるだろう。
僕は後者でありたいかな。
そもそも、「興味を広げる/広がることは良いことである」という価値観が当たり前とされている点から疑ってかかるべきかもしれないし。
どうなんでしょう。
もう一度言っておきます。
僕はディズニーに行ったことがない。