博多通りもん
「博多通りもん」との付き合いも、かれこれ15年以上になる。
と言っても、15年間べったりしていたわけではない。
どんなに会いたくても会えない遠距離恋愛の時代が、かなり長く続いた。
僕と通りもんの出会いは、僕がまだ小学校低学年の時だった。
小1の夏に北海道の右側、紋別から引っ越して福岡の地へやってきたのが契機となった。
実際のところ、どのタイミングで”出会ってしまった”のかは覚えていない。
福岡で生活しているときなのか、札幌の祖父母の家に行くときに空港で知ったのか、福岡を離れるときに知ったのか。
運命の出会いなんて最初はそんなもん。
たった1年9カ月の福岡生活が過ぎ去り、小3の4月から大阪へ引っ越すことになった。
当然引っ越した先での挨拶用にということで、両親は駅かどこかで手土産を選んでいた。
いろいろ迷っていたらしい記憶はある。
だが、荷造りで疲弊した両親はある意味で妥協した。
一番数多く積まれ、一番目立ち、誇らしく「モンドセレクション金賞受賞」の文字が入っている「博多通りもん」を手に取ったのだ。
僕はその時、「モンドセレクション金賞受賞」を「ノーベル賞受賞」なみにすごいことだと考えていた。
だから大阪でああなったのだ。
*
引っ越し荷物の搬入も終わり、お隣さんにご挨拶する時がやってきた。
家族3人そろっての挨拶である。
僕は大人びた小学3年生だった。
だから当然、お土産を相手に渡すとき、謙遜表現として「つまらないものですが」と言って渡す礼儀があることを知っていた。
だが、僕はまだ所詮ガキだった。
父が「つまらないものですが」と言って、黄色い袋に入れられた、黄色い包装紙の「博多通りもん」を相手に差し出したとき、僕はこう言い放った。
「つまらないものじゃないよ」
その場の大人たちは全員、笑った。
謙遜表現を知らない、かわいい子どもだねという表情で。
お前ら全員バカか。それぐらい知っている。
でも続きがいけなかった。
「だって、モンドセレクション金賞だよ」
バカか俺は。
モンドセレクション金賞なんてそこまでの価値はない(ごめんね関係者)。
それを知らなかった。
その後、僕は長らく北海道で六花亭や柳月、北菓楼に浮気していた。
明月堂の「博多通りもん」とは疎遠になった。なんせ手に入れるのが難しかった。
だからたまに親父がもらってきたりすると、飛んで喜んだものだ。
以来、数少ない福岡訪問時には必ず「博多通りもん」を買って帰ることにしている。
今年も福岡に足を運び、乗車予定の新幹線発車3分前に駅売店で平然を装って買った。
今でも、あの饅頭はとてつもなく怖い。
バターの甘さが、幼き頃の苦い思い出を鮮明に浮かび上がらせるのだから。