全句集という言葉
全句集の編纂にに作者本人が参加することは少ない。
殆どの場合、全句集は没後の刊行となるからだ。
作者周辺の残された人々が、全句集編纂の責を負う。
その作業には、多大な体力の消費と判断が必要となる。
・雑誌や新聞で発表された俳句だけを収録すべきか?
・それとも刊行済みの句集から収録すべきか?
・ノートに書き留めてあっただけの俳句も収録すべきか?
・一文字だけ違う句が複数発表されていた場合、どの句を優先すべきか?
・わずかな違いであっても、全部の句を収録すべきか?
・未発表句と既発表句の線引きをどこに置くか?
・最後の句集を出してから没年までの俳句をどう扱うか?
・旧字体表記と新字体表記をどのように扱うか?
ほんの一例だが、全句集を作成する人々はこのような選択を迫られる。
作者の個性や俳句に対する態度を尊重しつつ判断がおこなわれる。
逆にいえば、全句集の構成は作者の個性がそれぞれ反映されており、それもまた、全句集を読む愉しみとも言える。
たとえば、手元にある3冊を例に挙げてみる。
富澤赤黄男全句集
生前赤黄男が刊行した5つ句集をそのまま収録。句集未収録の既発表句や最後の句集から没年までの補遺は収録していない。
「全句集」というよりも「全」、「句集」といった方が正確だろう。刊行されたすべての句集を収録しているが、その他の句については収録されていない。また、「魚の骨」「天の狼再版(再版)」は「天の狼」との内容がかなり重複している。そのため、それぞれ抄録となっており、俳句の収録作品数は少なめである。その所為か、赤黄男の詩が二篇収められている。
原石鼎全句集
膨大な作句量にも関わらず、生前刊行した句集は「花影」の一冊。編年体で雑誌や新聞など発表された作品をすべて収録。
原石鼎全句集は、なかなか手ごわい一冊だ。石鼎が残した句集は「花影」の一冊のみであるため、この全句集には雑誌や新聞などに発表された全句をおさめている。その数およそ8000句。名作、佳作、駄作、迷作が、それぞれに綾をなし、紙幅に目一杯。ぎちぎちに詰まっている。
読者目線で、正直に言えば、かなり読みづらい一冊である。が、しかしながら、資料的価値を優先した苦渋の決断であるだろう。大変な覚悟と労力のかかった事業であったと思う。また、超然的な印象をもたれがちな石鼎であるが、突然YO・YOの俳句を詠みはじめたり、宝塚歌劇団を観劇したり、と予測のつかない魅力を再発見できた一冊でもある。
久保田万太郎全句集
前半に50歳までの自選句集「草の丈」、そこから70歳までの自選句集「流寓抄」、没後まとめられた遺作集として「流寓抄以後」を収録。後半に季題別全句集として全句を収録。
上記の3冊のなかでは、久保田万太郎の全句集が、一番読みやすい。
いわばベストアルバム2枚と遺作のアルバム1枚という構成なので、そのままスっと作品世界にはいっていける。浅草の頃、そして、流寓の果て、鎌倉へと向かう万太郎のその時々の心おぼえが、名句の数々となり、読み進めていけば、万太郎の人生をそのままなぞっているような感覚になる。また、季題別の全句が後半に載っているので、資料的な意味でも抜かりない。
暁光堂では今までに俳句全集を3冊刊行している。
「全句集」ではなく、「俳句全集」としている。
それは、全句が掲載されていると思って購入された方に全句が載っていないじゃないか!と思われたくないのだ。今まで記したように、俳句界隈の慣例では全句集と銘打っていても全句が入っていないことがときどきあるのだが、購入される方の誤解をできる限り少なくしたいという理由で、「俳句全集」と名付けている。同じ理由で、収録している作品の範囲も可能な限り明らかにしている。