鶴料理る

杉田久女全集を読み進めていると、不思議な句に出会った。

盆に盛る春菜淡し鶴料理る 杉田久女

読み方は、鶴料理(りょうり)る?

いや、鶴料理(つく)る。

鶴の包丁なる語

正月に宮中で鶴を捌く行事として、鶴の包丁なる季語がある。

↓このような行事。
参考:鶴包丁図 http://jmapps.ne.jp/tsuruga/det.html?data_id=175

しかしながら、当該の句の前後は久女の身の回りのものをモチーフとしたものが多く、急に宮中のことを詠むというのは考えにくい。

鶴料理る

結論からいえば、久女は本当に鶴を料理して食べている。その時の顛末は、題名そのもの「鶴料理る」という随筆に記されている。

以下に抜粋する。

一月三十一日の夜、ちさ女さんが来て、「妹から白鶴を一羽送つてきたから、先生にも一と片もつて来ました」と言つて、お皿にのせた一塊の鶴の肉をさし出した。

(中略)

翌日私は、草庵のまはりを歩きまはつて、まだ莟の固い紫色の蕗の薹や、芹、嫁菜をつんで来、市場へいつて、赤い小蕪や春のお菜を五六種買つて来た。

それらをきれいに洗ひ、塗盆にのせて、居間の畳の上に置いた。へやの中はきれいに取かたづけられ、名香の煙がしづかに流れてゐた。

灯下の屏風の前に、まないたをすゑて坐つた私は、一塊の鶴の肉や、庖丁、摘草籠に入れた芹よめな、盆に瑞々ともられた春菜の彩どりをめでながら、白布をしいた俎板の上で、しづかに鶴を庖丁しはじめた。

私はふと気がついて、机の上の歳時記をひつぱり出し、鶴の庖丁といふ所をめくつて見た。

例句が少いので、鶴を料理る宮中の古式を想像することもかたく、千年切も万年切もわからないが、鶴の肉をすき乍ら、大空を飛翔してゐる白鶴を想像したり、ちさ女さんの語つた、鶴のもものうす紅色の肉だつたら一層料理るのにも感じがいいだらうにとそんな事を思ひつゝうすくへいだ肉を、古代蒔絵の〝 ふたもの〟にもりならべるのだった。

此蒔絵の〝 ふたもの〟は、主人の家が昔大庄やをしてゐた頃殿様から拝領したといふ根ごろ塗の本膳中の御椀なので、三百年前の、金箔総まき絵の大時代もの。私が朝夕机辺にむいて、愛でてゐる器なのであるが、白鶴の肉に芹や若菜、蕗の珠等山肴をもりよせて、じつと眺めてゐると、何ともいへぬ古典のなつかしさがわいてくるのだつた。

以上抜粋終わり。

この後、久女は鶴の肉を知り合いの息子さんが入院している病院へと持参、吸い物にして食べたのち、残りの鶴の肉を節分の夜に家族と食べて、この随筆は終わる。

気になる味

はたして、鶴の肉は美味かったのだろうか。なんとも気になるところだが、味の良し悪しについて、手がかりとなりそうな記述は文中にない。唯一、〝 千年の寿にあやかるやうにと語りあひながら賞味した〟との描写がある。

他所から頂いた食べ物を評する事を良しとしなかったのだろうか。

それでもやはり、美味であれば、美味であった、と記すと思う。
つまりは、そういうことだったのだろう。

盆に盛る春菜淡し鶴料理る    杉田久女
鶴料理るまな箸浄くもちひけり  〃



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