「めんどくさい」と思うのは悪くない
「これやっといて。」
と言われて、めんどくさいなぁと思うことはよくある。
本当によくある。
俺は、多分、一日数回はめんどくさいと思ってる。
めんどくさいなぁと思って、そのままめんどくさいことを続けると、めんどくさい気持ちがどんどん増えていく。どんどんどんどん増えていく。
めんどくさいと思うのは、
・時間がかかると思ってる
・やり方がわからないから調べないといけない
・そもそもやりたくない
などなど、いろいろ理由はある。
「時間がかかる」と思ってるだけならラッキーだ。
なぜなら、スピードを早くするか効率よい方法を見つけるかだから。
キュウリの薄切りをたくさん作ってっていわれたら、
包丁を早く動かして切る
スライサーを使う
などの方法を使う。
スピードアップまたは効率のよい方法の典型的な例だ。
仕事も一緒。自分の能力を少しだけ早めて時間を縮める、効率のよい方法を見つける。
全部自分の力になる。経験になる。次に同じことをやって欲しいと言われたら絶対に早く出来る。
効率のよい方法を探すのはワクワクする。
探してる最中は普通にやるより遅いかもしれない。
でも、効率のよい方法が見つかった時は、俺って天才なんじゃね?と思う。
それでいい。うぬぼれもまた力だ。
「やり方がわからないから調べなきゃいけない」
わからないことを知ることは楽しい。
少なくとも俺は楽しい。
いままで知らなかったことを知ることになるのだ。楽しくなくて何なんだ?
知ってることが増えると、やれることも増えるし、効率化にも役立つだろう。知ってはいけないことなんて世の中には何もないのだ。
ただ、俺の記憶容量は小さいのだが・・・
「そもそもやりたくない」はちょっと厄介。
なぜやりたくないのか。
やりたくないという気持ちはどこから来るのか。
それを探る、知ることもまた知識となるのだ。
やりたくないと感じた時、なぜそう思うのか、そう思ったのか。
一日の終りに振り返ってみるのもいいかもしれない。
原因を探り、その対策を考える。
そもそもそんなに大したことない原因なら、すぐに対策、解決できるはずだ。
少し「自分を知る」「自分の内側を探る」というのもたまにはいいものだ。
「めんどくさがらずにやりなさい」と小さい頃に、親や先生に言われたと思う。
めんどくさがってもいいのだ。
めんどくさいのを楽にすることを考える。効率のいい事を考える。
「めんどくさい」と思うことは悪くないのだ。