誰でも出来ることを仕事にしたら一生所得は上がらない
どーもサンクスです!
最近のサンクスはですね、家族と幸せに、親密に暮らせたら、人生はそれで満足なんじゃないか?
と、思うようになりました。
それまでは、社会的に認められるスーパーマンになることを目指すのが良いことだと思っていたのにも関わらずです。
考えが変わった今、仕事を選ぶ基準も変わって来たように感じています。
前は、東京に行こう。と思っていましたが、
今では、1時間以内に行けるくらいの近場で。と考えるようになりました。
東京で一人暮らしをして、人混みの中で辟易したくないのもありますが、大事な人との時間の量を減らしたくないと感じたからです。
そんな感じで考えていくと、仕事なんてなんでもアリなんじゃないか?と思わなくもなくなってくる
って思いながらTVを観ると、芸能人を始め、仕事で脚光を浴びている人が、なぜかとても遠い存在に感じるようになるのです。
でも、果たしてそれは良いことか?
という問いが自分の中であります。
きっとことの時点で言える事があるとすれば、
「ものごとは0か100ではない」ということ。
それはつまりどういうことか?
家族を大事にするからといって、仕事をなおざりに考えるのは違うということです。
もちろん、仕事を第一にしすぎて、家族をなおざりというのも違う。
目指すべきは、第三の道。
すなわち、どちらの気持ちも大切にするということです。
家族を大事にする気持ちも大切にするし、
仕事を大事にする気持ちも大切にする。
これをしたいと、本音では思っているということを忘れないこと。
サンクス自身もそうなんだと、このブログを書きながら思い出す事ができました。
ただ一つこれまでと違うのは、
【承認欲求に流された理想の仕事像を設定しない】ということ。
冒頭に話した通り、これまではスーパーマンを目指していました。
けれどそれは苦しいし、ありのままの自分じゃないから違うと。
だとすれば、これまで描いて来たスーパーマンではなく、新しい理想像が必要だということになります。
難しいのはきっと、
自分の思いの中で、どこまでが承認欲求にかられたもので、どこからが無茶のない望みなのか?
という境界線です。
それは自分の心に聞かないとわかりません。
これを聞かずに、仕事なんてなんでもアリ!
という極端な考え方を採用してしまうと、一生所得は上がらないでしょう。
なんでもアリ!は中途半端でもいいやという気持ちのあらわれになってしまいます。
うまく考え抜きましょう。
この作業を忘れずにできればきっと見えてきます。
それでは今日はここまで!ではまた明日!
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