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【Season1-①】1980~W大学入学からの

浪人ののち大学へ入学した。
大学時代はとにかく楽しかったなあ。

ビートルマニアというサークルに入った。
すぐに念願だったビートルズのコピー・バンドを結成した。その後三年間はバンド活動に夢中になった。一年目は自分がリーダーとなり、ビートルズ後期の曲を中心に。当時のビートルマニアは「ビートルズが実際にライブでやった曲以外はやっちゃあダメ」という不文律があったのだが、ルール破りもまた楽し、とガンガンやってしまった。

二年目は掛け持ちで三つのバンドに加入。ひとつは初期ビートルズのライブを再現するバンド。このバンドはプロっぽい扱いをしてもらえるようなところまで行った。そして、アルバム"The Beatles"(通称ホワイト・アルバム)をレパートリーの中心とするバンド、もうひとつはポール・マッカートニー&ウィングスのコピーバンド。

他サークルのバンド(これは50'sロックンロールを中心に演奏するバンドだった)にも参加した。ビートルズ専門のライブハウスに出演していたプロのビートルズのトリビュート・バンドにも入れてもらった。秋には他の大学(確か慶応、青学、明治、駒沢だったかな、、、)のビートルズ研究会に所属するバンドと共同でほぼプロとしてのイベントのステージも踏んだ。

三年目はライブでの再現が難しいといわれるような曲ばかりやろう、という気概のあるメンバーとバンドを作った。アルバム"Revolver"あたりを中心に演奏していた。このバンドもかなりいろんなところに出させてもらった。米軍基地のフェスとか。

その後は、演歌や歌謡曲のバックバンドだとか、着ぐるみでビアーガーデンで演奏をするとか、ピンでの弾き語りや流し、、、これいわゆる「流し」の最後の世代だと思うな。旧後楽園球場、春日の辺りのスナックやパブなんかでやっていた。こういう生活が5年くらい続いたかな。

言っておきますが、中退です。卒業はしていません。

結婚式の時に司会の人に自分で書いたプロフィールの原稿を渡して、そこにはっきりと『大学は優秀でない成績の上に中退という憂き目に会い』と書いたのに、司会者があろうことかそこを『大学は優秀な成績の上に留年という憂き目に会い、、、ええとご卒業されまして』と勝手に変えて読んだ。大学時代の先輩、同輩、後輩から一斉に『ええー!』という声が上がった。
訂正したくてもああいうときには咄嗟には出来ないものですね、、、。ここであえて今言います。「あの時にご列席いただいた皆さん、あれは本当に司会者のミスなんです」

さて、この頃得た教訓。

1)世の中には演奏のうまいミュージシャンはいくらでもいる。

2)何をやるにも健康が何より大事だ。

3)ミュージシャンにとってタバコと酒は百害あって一利なし。これは断言できる。これで身を亡ぼす人間のなんと多いことか!

4)プロとしてやってくのにはテクニックより要領。それと記憶力。ちなみに「プロ」という定義でものを言うときにはミュージシャンを芸能枠で語ることはしない。これは今後もそうです。そしてミュージシャンとして受ける音楽の仕事には貴賎というものは全くないと考えています。

三十年ほど前に自分の音楽制作スタジオに中学生二人が「職業体験」に来たことがあった。後にその体験感想文を見せてもらったのだが、二人とも『この音楽製作という仕事は本当にすきでないと出来ません』と書いていた。思わず微笑みました。

とにかく音楽は繰り返すことが多い。反復作業が本当に多い。好きじゃないと出来ないと痛切に思う。



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