
【Season1-②】1984 独り暮らし
80年代の思い出話です。
実家を出て独り暮らしを始めたのは24歳。最寄駅は西武新宿線の新井薬師前駅だった「第二観月荘」というアパートに一年間住みました。風呂無し6畳一間の和室。家賃は¥45000くらいだったかな。
一年だったところで、沼袋駅近くの公営団地に移りました。まあ寝に帰るだけだったので別に不自由も無く過ごしました。
大学はもう中退していましたので、ミュージシャンの生活、、、といば聞こえはいいが仕事もそれほど大きなものはなく、明日になったらどうなるかはわからない、そんな日々ではありました。
大学卒の初任給が¥180000前後だったかな。「友が皆我より偉く見ゆる日よ、、、」といった啄木的心境の日々が続きました。
但しこの頃はある程度の評価をされていて自分がミュージシャンであるという自覚を持って行動できたことに何より勇気づけられました。そしてバブル景気の足音が聞こえ始め、エンタメ業界はますます活気を帯びてきていました。
音楽界ではこの頃、仕事をしてゆく上で不文律ではあるがある種の鉄則めいた約束事がいくつかあって、
①来た仕事の内容は詳しく聞かない。一度聞いた話は断ってはいけない。
②ギャラは後払い。
③基本「アゴアシ付き」である。
アゴアシ、とは食事代と交通費のこと。
このころの自分には一回"ツェーゲー"くらいの仕事がひと月に12〜3本は入ってはきていましたね。主な仕事は、演歌歌手のバックや着ぐるみを着てビアガーデンやイベント会場で演奏すること、そしてスナックやライブパブ、ライブハウスでの弾き語りなどです。いわゆる「トラ」と呼ばれるリザーブ的なミュージシャン、補欠のような立場で、呼ばれたら行って足りないメンバーを補填するような仕事が主でした。
この頃のそんな若手ミュージシャンの心構え。
①楽譜は初見で弾けるようにすること。
②3度5度のコーラスはすぐに取れること。
③すぐに演奏できるレパートリーが最低でも500曲はあること。
自分はロックスターやポップスターを目指そうと思ったことは一度もなく、ただただ音楽を演奏することが職業になることだけを願っていたので幸福感は充分にありました。いい時代でした。青春でもありました。