「善良な人」の狂気と「無慈悲」な殺人鬼、どちらが怖い? 映画「ハロウィン KILLS」
友人と見に行った久しぶりの映画「ハロウィン KILLS」。その記事を書くといいながら、また長い時間が経ってしまった。少しばかり記憶も薄れかけているが、思い出しながら書いていこうと思う。
映画「ハロウィン KILLS」とは
最初に、「ハロウィン KILLS」という映画そのものについて触れておきたい。
この映画は、1978年に制作されたホラー映画「ハロウィン」の続編にあたる物語だ。もっと正確に言えば、1978年版「ハロウィン」の直接的な続編として2018年版の「ハロウィン」があり、さらにその続編という立ち位置にあたる。これからさらに続編も公開されるらしく、三部作になるようだ。
「ハロウィン KILLS」には、第一作である「ハロウィン」の監督、ジョン・カーペンターが制作に参加している。彼は「郵政からの物体X」で知られる映画監督で、忍び寄る不気味さを描くことにかけてはピカイチだ。
キャストに関しても、初代「ハロウィン」と同じ俳優陣が、同じ登場人物を演じている。有名どころを挙げれば、シリーズを代表するヒロインのローリー・ストロードを演じたジェイミー・リー・カーティス。彼女は年を取り、おばあちゃんになったものの、より強い女性へと進化していた。その他にも、初代を見ている人であれば「この人が……」と感慨深くなる人々も登場している。シリーズのファンならば、ぜひ、その目で直接見てほしい。
映画「ハロウィン KILLS」の簡単なあらすじ
前作「ハロウィン」でマイケル(ブギーマン)を罠にはめ、家ごと焼くことに成功したローリー。彼女は大けがをしながらも、満足していた。やっと、40年前の悪夢を清算することができたのだ。
しかし、現実はそう甘くなかった。マイケルは生きており、新たな殺戮を開始したのだ。ローリーが住む町・ハドンフィールドは大パニック。
そのパニックの中で、40年前の事件の生存者であるトミー(ローリーが守った少年)は、町の人々を率いてマイケルと対決することを決意する。
怪物性の塊VS集団心理
ブギーマンといえば、押し入れに隠れ潜んでいるとされる(ことが多い)、子供をさらう化け物だ。日本でいえば、なんだろう……。なまはげ?
「ハロウィン」には、マイケル・マイヤーズという殺人鬼が登場する。彼は善悪の心がない人間で、人を殺すことを何とも思っていない。担当の精神科医は、彼を「完全な悪」と評している。
今作は、そんな「完全な悪」であるマイケルに、ハドンフィールドの町民たちが立ち向かう様を描いた作品だ。前作はローリーVSマイケルだったものが、マイケル一人のために大勢が動員されることになる。
町民をまとめ、率いていくのは40年前の事件で生き残った少年・トミーだ。彼はローリーに守られたことを恩に感じており、なんとしても自分の手でマイケルを葬りたいと感じている。それが自分の使命であり、ローリーの恩返しにつながると考えているのだろう。
しかしその考えは、ハドンフィールドの町を狂気に陥れていく。力を合わせてマイケルを殺そうと町民を扇動し、結果として、関係のない命を奪うことになったのだ。町民が一人の人物を追いかけて病院内を走り回る。このシーンは、集団心理とパニックに陥る様がわかりやすく描かれていた。それはどこか魔女狩りのようで、「わかりやすい悪」であるマイケルよりも、より不気味だ。
マイケルは確かに、町に恐怖をもたらした。しかし、町に狂気をもたらしたのはトミーの執念だ。
対してマイケルは、相も変わらず殺人を繰り返している。なぜ、彼は殺人を犯すのだろう。人を殺すことに対し罪悪感が無いのは確かだが、「殺人衝動」に苛まれているとも思えない。もしかすると、子供特有の残虐性が極端に発露しているのかもしれない(ここはよくわからない)。
何にしても、動機が分からない殺人は恐ろしい。その上に、今作のマイケルは異常な不死身性を持っている。もしかすると、ジェイソン・ホーヒーズ以上かもしれない。殺しても殺しても死なずに立ち上がってくる様は、まるで悪魔か怪物だ。
怪物に立ち向かうには、狂気性が必要だろう。しかし、狂気に呑まれた人は、怪物側に立つかもしれない。
さて、どちらがより恐ろしい?。