テレビアニメーション 設定制作のこと(原作とは無関係)その5

1992年3月。タツノコプロは30周年記念作ということで全社挙げて「宇宙の騎士テッカマンブレード」を制作していた。

メインのスタッフはみんなテッカマンブレードを作っていた。

他方タツノコプロ白馬スタジオで制作されていた「無責任艦長タイラー」は監督こそタツノコプロ生粋の真下耕一さんだったが、制作はデスク以下全員新人という脆弱な体制だった。

制作の経験者は3ヶ月前に元いた制作会社が倒産し、タツノコプロに転職?してきた堀川憲司氏のみ。その堀川さんにしたってデスクとして制作に当たるのは初経験だった。

進行はいない、演出助手は1ヶ月前までは専門学校生、そして設定制作はついこの間までラジオ局の下請けディレクターで、アニメ制作にはズブの素人の僕。

僕ときたら何しろレイアウトと原画と動画の区別もつかない。

最初は設定ラフデザインの整理から仕事を始めさせられた。

タイラーはキャラクターは平田智浩さんが全員起こしていたが、メカは惑星連合宇宙軍は増尾昭一さん、ラアルゴンは伊藤浩二さんがそれぞれ担当しており、お二人が最初に描かれたラフデザインが大量にあった。

それを分けるのが新人設定制作の最初の仕事だった。

否、最初の仕事は9:45までにスタジオに入り、各スタッフの机の掃除からだった。灰皿をきれいにして、鉛筆削りのカスを捨てる。

タツノコの設定制作の仕事はそれからだった。

ま、しかしそれくらいはついこないだまではラジオのアシスタントディレクター(通称AD)もしてた身にとっては何ということもなかった。


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