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KYOTOKYOと大野智の魔力

感受性も鈍って、体力も衰えて、労働後は寝たきりの毎日だ。セルフケア困難。
片足ずつ棺桶と風呂キャンセル界隈とに突っ込んでいる。
働けば働くほど、手は赤く節くれだって、心も踵の皮みたいに分厚くなっていく。

疲れ切って布団に横たわっている時に、久しぶりにKYOTOKYOのレポを読んだ。
ファンの瑞々しい感性と、過ぎ去った日々を思ってごうごうと泣いてしまった。劇場に通う体力、文章力、インターネット黎明期に長文記録を残せる知性と財力、全てが眩しすぎる。才能の塊である。

この煌めく感受性の持ち主は今どうしているのだろうと気になる。

いてもたってもいられない気持ちで、キラキラの欠片をひと粒ずつ集め出す。永遠に完成しないパズル。歌詞どころか題名すら諸説ある曲。センチメンタルシティロマンス。センチメンタルロマンスシティ。どっち?どっちだ?

突然画像を加工し始める。ポスカを握った時のように血が騒ぎだす。

この曲途中から作詞が投げやりな気がする

大野智くんがいつか戻ってきてくれた時のために、どこへでも行ける体力でいたい。そしてKYOTOKYOのファンのように全力で、全身で、ショーを楽しみたい。体力のゲージ数が下がっていく中で、最後まで瑞々しい感性でいられたら嬉しい。

「ひそかに震えてる」の声の美しさにゾクゾクする

書くことは癒しであり、セルフケアの一部だと聞く。
棺桶からも風呂キャン界隈からも足を洗うために、私を奮い起こし続けてくれた歌について書いていきたい。

最後に
@ohno_3104_deep_sorrowでインスタもやっています。
よかったら、のぞいてください。


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