引退する人の心理
身の置き所がない。
実家の仕事を継げと言われて、仕事を極限まで減らして身体を開けたのに、我々、やることがない。
何かやることを与えてほしいと言っても「今はない」「今日はない」「ぼちぼちでいい」と言われる。
せめて職場に出向して、何か覚えようと思っても座るところもないし、執務できる場所もない。
行ったら行ったで「毎日詰めて来なくてもいいのに」と言われる。
けれど、仕事を与えられないのに、「お前に何がわかる」というような皮肉や嫌味は言われるようで、夫も精神的に参っている。
飼い殺しってやつだよね、と苦々しく笑うしかない。
引退をする人の心理
引退をする人の心理ってめちゃくちゃ厄介だと思う。
私も自分で立ち上げた事業を引退してきた経験があるので、わかるところもある。
一生懸命やって来て、最善を尽くして、年齢や色んな事情でそれを手放そうと決めた。決めたまでは、いい。
けど、いよいよのちの人がやって来て、台頭していくときに、なかなか複雑な感情が出てくるものだったりする。
「私の苦労がお前なんかにわかってたまるか」
「簡単にこなせると思うな」
「いいところ取りしていくんじゃねーぞ」
「誰のおかげでここまでおぜん立てしたと思ってるんだ」
「やっぱりお前じゃなくて私じゃなきゃ無理だろう」
「自分が積み上げてきたものをないがしろにされてたまるか」
みたいなね。
その裏には、ここまで一生懸命やってきた自負がある。
そして、それは自分の存在の意味、生きがい、やりがいである。
だから、後進の人に、それを奪われていくような気になるんだろうと思う。
こちらにはそんなつもりは毛頭ないのだけど、自負が強ければ強いほど、複雑な感情も強いのだろう。
私は、前職の時は、自分がそういう思いになる自覚があったし、あとの体制が万全だと思えたから、潔く何もかも辞めた。
顧問からは「綺麗な辞め方」と褒められたくらい。
今の自分の会社も、ほぼそんな感じで後進に口を出さないと決めている。
だから、精神的にすごく楽だ。無責任に応援だけしていればいいのだから。
問題は、自分が後進の人であるところの、家業である。
私たちはそのご機嫌を伺って生きていかねばならないのか?と考えたときに、それは違うなって思う。
「最後の仕事」
私は、引退する人の、「最後の仕事」だと思うのだ。
その「生きる意味」みたいなものの喪失感と向き合うこと、そして仕事を引退した後に新しい「意味」を見つけることこそが。
仕事を引退して、後進に譲ったとしても、自分の存在の意味や価値は揺るがない。これまでやってきた実績や信頼、何一つ失うことなどない。
だから、私たちに、安心して任せてほしいのよ。
失敗もさせてほしいのよ。試行錯誤もさせてほしいのよ。
あなたの価値は、揺るがないのだから。
だから、後進であるところの私たちは、機嫌を取ろうとなんてせずに、淡々とやるべきことをやる方がいいんだと思う。
もちろん、相談はしないといけないし、勝手に進めるのは良くないけどね。
でも、親は親。自分たちは自分たち。それぞれの世代の仕事があるよ、うん。
けどまぁ正直言って、めんどくせぇなクソ爺!と言いたくもなるけどさっ。笑。
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