「スジがよろしい」
6年くらい受け続けている研修がある。
今年、それに再チャレンジして、一段階難しい研修を受けている。
解釈学を基にした研修だ。
そこで、講師に言われた。
「あなたはスジがよろしいな」
ああ。はい。いや、ありがとうございます。
尊敬する先生に誉めてもらったのは大層嬉しい。ほんとうに。
どうやら、私が発する質問や感想は、その日先生が説明しようとしていたテーマをずばりと言い当てるものであったり、講義を次に進めるポイントを述べたりしているようである。
授業の構造を理解している、ということなのだろう。
だから、スジがよろしい、と思うわけだ。
でも、これ、私には「ああまた言われちゃったかぁ」と苦笑いしてしまう言葉でもある。
昔から、だいたいのことはすぐに人並みに器用にできる子だった。
学校の勉強でも、バイトでも、部活でも、仕事でも、何でもすぐに把握して覚えることができた。
だから、一目置かれるし、期待される。
「スジがいい」とか「勘がいい」とか「理解力がある」とか、言われるのだ。
ところがだ。
肝心の本人はというと、あらかたマスターしたら高い確率で、飽きてしまうのだ。
だから、情熱が長続きせず、同じことの繰り返しになるとどうでもよくなってしまう。面白くなくなってしまうのだ。
大人から見たらそれは「中だるみ」と言われ、「期待したのに」「目をかけてやったのに」と、叱られたり疎まれたりする。
だから、私は、「世の中、尊敬できる上司には巡り合わないよな」なんて生意気に考えてしまっていた。
あるとき。
今受けている研修で知り合ったひとから、こんなことを言われた。
「あなたは、物事の構造を理解するのがうまいのね」
私はそれを聞いて、ハッとした。
そうか。私が優れている点があるとすればそこだ。
物事の構造をつかむのが得意だから、だいたいのことを聞いて割と早くに理解することができ、その通りに動いたり再現することができるのだ。
でも、その構造がわかってしまうと、どれも同じに見えてきて、繰り返しに見えてしまうから、飽きる。
飽きちゃうんだよ。
「続けること」へのエネルギーは、「スジがいい」とは別の才能なんだろうなぁ。私には、それが少ないんだよ。
だからこそ、飽きやすい私は「職人」にものすごい憧れがある。
ずっとその道何十年と続け、深め、極められる人って、最高にカッコいいと思う。
愚直に、まっすぐに、飽きずに、わかった気になって終わらずに、新発見を繰り返して、より高い次元へいけるひとは、カッコいい。
自分にないものへの憧れだろうなぁ。うん。
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