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母屋のリフォーム記録①

「昭和初期建築の建物に、昭和60年代に軽量鉄骨をつなげた母屋」をリフォームすることになった。
そこに、夫・私・高校生息子・小学生娘・うさぎ2羽で引っ越す。

もともと、相当古い建物にその都度建て増しを繰り返してきたというので、家事導線なんかあったものじゃない。
緑灰色の砂壁、障子で仕切られた和室、雨戸は木製でささくれだらけ、謎の押し入れに、ひんやりとした蔵、そして、ただただ使わなくなったものを押し込んだだけのゴミ部屋。とことん謎の間取り。

本当は、ぜんっぶ壊して、古民家再生リノベーション的なモダンな建物にしたい。古いものはそのまま生かして、梁を出して、床は無垢材で仕上げて、漆喰壁にして・・・というのが理想だった。

でも、大手の建築会社に相談したところ、「うちでは無理です」と言われた。理由は、木造の建物に軽量鉄骨をつなげた混合住宅になってしまっているから。
こうなると現代の法律では、そのままの形を活かすことができず、まずはつなげた部分を切って(縁を切るというらしい)、それから木造の部分だけをリノベというのを勧められた。
そう!その方がいいに決まっている。

だけど、それはものすごくお金がかかる。
そして何より、義父の反対にあってしまった。
曰く、「(軽量鉄骨の部分も)まだ使える、そんなことする必要はない。無駄な金を使うな。お前たちの勝手にするな!」と。そのくせ「ワシらとは別居なんだから、お前らの好きにしたらいい」という。意味不明である。
つまりそれは、「ワシの目が黒いうちは、今のままの間取りで、ワシらがそうしてきたように、部分的にリォームだけして住め」ということのようである。

私たち夫婦は、何度も口論した。
私は、夫には、もっと強く義父に言ってほしかった。
「自分たちが住むのだからオレ等で決める!好きにさせろ!」と。

でも、夫は言わなかった。
それを言うと、決裂するのがわかっているし、あとでそれを回収するほうが尋常じゃないストレスだとわかっていたから。
幸か不幸か、親と縁を切れるような家業ではないので、どうしようもない。どうしたって義父の力は強く、私たちだけでは進まないのが実情の、家業なのだ。
そのストレスを抱えて、今後の長い人生を生きていくのは無理だ。
妥協かもしれない、けれども、私たちは円満な方を選んだ。

もっと先、つまり義父が口を出さない時期になるまでは、今できる範囲でリフォームだけ工夫して乗り切ろう、ということになったのだった。


ということで。
お風呂場と台所と洗面台とトイレという、水回りのリフォームをすることになった。
間取りは動かさずに、そのままのリフォーム。それでも、工夫してお風呂を広くしたり、システムキッチンは最新のものにしたりと、楽しい行程ではある。

少しずつ、その工程について、そしてDIYでセルフリフォームする部分についての記録を書いていこうと思う。






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