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ブレアの死

メメントモリ、1月26日。メメントモリ。その日ブレアが死んだ。呼吸器に異常が見つかり、咳が止まらなかった。前日の深夜のことだ。僕はいつも通りカフェで漫画を読んでいた。「柚子森さん」という小学生が出てくる百合漫画だ。イラストが可愛くて全巻購入した。大学の側にある本屋で見つけたものだ。何度も読み返し、セリフの吹き出しに赤線を引いてみた。天然な主人公がボケていて、その友人の辛辣な一言が強調される。ブレアはその日の夜に調子を崩した。咳を始めて、とても苦しそうだった。夢みがちな僕はその深刻さを受け止めることも、ブレアを思いやることもできなかった。翌日、病院に駆けつける。近所の動物病院に、車で送ってもらう。ブレアを預けて、ブレアは密室に入ることになった。ガラスケースの中で呼吸を苦しそうに続けるブレア。酸素が吸入されているらしい。昼過ぎ、電話が鳴る。僕は急いで階段を降りる。電話には出ない。走って病院に向かった。ブレアは。ブレアは倒れていた。いくつものチューブが繋がっていた。もう意識はないらしい。苦しまないうちに死なせてあげた。ブレアはすぐに息を引き取った。体が冷たい。そして固まっている。家族がやってきた。ブレアの死を見届けた。僕は間違えた。ブレアを、死なせてしまった。深夜に病院を探すべきだった。簡単なことなのに。僕はブレアを両手に抱え、近所を歩いた。近くに幼馴染の住んでいた家がある。萌ちゃんは僕の最初の友達だ。翔くんや佑樹くんたちとの日々での、最初の友達の一人だ。何年も話せていない。一度も話せていない。とにかく萌ちゃん家に来た。インターフォンを鳴らす。「メイムです」。萌ちゃんのお母さんが出てきた。あら、メイムくん、久しぶり。猫ちゃん、死んじゃったの?僕はブレアを抱えていたから不思議に思ったに違いない。そうなんです。ブレア、死んじゃった。ブレアを見て萌ちゃんのお母さんは残念そうな声をくれた。僕らはしばらく話した。僕が10歳の時、ここにカエルがたくさん出たとのことでお家に電話が来た。だから僕はすぐにここへやってくると、カエルはもういなかった。誰もいない萌ちゃん家の子供部屋にある小さなプラスチックの車に乗っかりしばらく項垂れた。僕はつまらないと思い、家を出た。それから十五年。僕は再びこの場所にやってきた。ブレアの亡骸を抱えて。家に入ることもできないので、そのまま近くの公園に向かった。途中、柴犬と出会ってブレアの動かない体を不思議がる子犬と挨拶した。飼い主は気の毒そうにしていた。公園のベンチに腰掛ける。ブレアは動かない。ベンチは木の周りを一周するように円形に置かれている。木の板でできたベンチだ。中心には樹齢200年以上はあるかと思われる巨大な松の木が立っている。その頂上ははるか上空に聳え立つ。昔馴染みの公園だ。よくここでブランコをしていた。鬼ごっこもしたかもしれない。家ではブレアと遊び、公園では子供達と遊んだ。我に帰る。僕は公園を後にした。家に向かう。近所の智弘の家に行く。インターフォンを鳴らす。「メイムです、久しぶり」。ドアからはお父さんが出てきた。メイムくん、久しぶり、元気?僕は何かを話す。ブレアが死んじゃった。智弘がバイクに乗って帰ってきた。ああ、メイムくん。僕らは20年ぶりに何か話した。思えば子供の頃に離れ離れになって、僕は長らく姿を表せなかった。しばらく何かを話して去る。ブレアが休みたいのだそうだ。段ボールを用意する。ドライフラワーを集める。生前、ブレアがよく齧っていた薔薇の花を入れる。フリースを着せる。僕のお気に入りの白いフリース。青い模様が綺麗だ。ブレアは死んだ。16歳という、猫としては長寿な時期だった。人間にしたらとても若い。ブレアはよく懐いてくれた。僕が叫び声を上げて足の痛みに苦しんでいたら走ってきて親指を噛んでくれた。ブレアはやさしい。僕にとても優しい。「にゃう、お魚食べたいにゃあ。」「ブレア?」「どうしたの?」「死んだんじゃ、?」「猫は命が九つあるのにゃ、死なないよ。」僕は薔薇を花瓶に戻した。

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