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【留学記】トイレ開けられた時、とっさになんて言う?
こんにちは、徒然です。ヨーロッパのどこかの国に留学中。今回の留学記は、トイレ開けられた時なんて言っていいかわかんないなという気づきから、言語は道具であるというお話です。
私は、ドイツ語を勉強しつつドイツ語で大学の授業を受けています。つまりヨーロッパのどこかといいつつ、ドイツ語圏のどこかです。
英語も簡単な日常会話くらいならできるのですが、言語をしょっちゅう切り替えるのは大変なので生活の中ではほぼ100%ドイツ語を話しています。英語ネイティブの友だちにも、私と遊びに出かけるときはドイツ語を強要しているワガママガールです。
半年も経ってくると、たいていの日常会話は難なく、大学の授業もなんとなくわかるようになってきました。
そんな中、今日大学でトイレに入っていた時ふとこう考えていました。
今ドア、バァーッン開けられたら、なんて言えばいいんだろう。
全く思いつきません。 "Entschuldigung!"(Excuse me.)だろうか、それとも "Ich bin da." (I'm here.)とかだろうか。そもそも相手は何て言うんだろう。しばらく考えて、ふと気づきました。そのシチュエーション、日本語でもなんて言っていいかわからんということです。
第三外国語を現地で運用できるレベルまで学習していて痛感するのは、習得したい外国語の能力は、母語の能力以上になり得ないということです。
たいていの人間が母語を唯一の言語として扱っている日本の中では、その他の言語が話せるということだけですごく賢いことのように感じられます。
もちろんそれは間違いではありません。日本語は、言語の仕組みとして英語やその他多くのヨーロッパ言語から離れており、例えば英語の習得に要する学習時間には母語によって明確な差があります。
しかし、言語は生活のためのいちツールでしかないというのも一つの事実です。母語以外の言葉を学習によって獲得する、もちろんそれはすごいことですが、もっと大切なのは、それを用いて何を語るのかということではないでしょうか。そうなったとき、母語で語る・考える力が必然的に第二言語(あるいはそれ以上の言語)でのそれの天井になるわけです。
これは他人への批判ではなく、むしろ言語学習だけで何かをやった気になりがちな自分への警告です。その言語で何を語るのか・語れるのか、常にそこを見据えてやっていかないといけません。
夢はでっかく、ドイツ語で専攻分野の論文が書けるくらいになるという目標を打ち立てて勉強に励む毎日です。トイレのドアを他人に開けられた際に小粋なジョークが言えるよう、日本語の技術の研鑽も欠かさず。